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映画備忘 年末年始編

年末年始、大人だけで過ごしたので、毎日映画を観て本を読んでいた。

『ブレージング・サドル』メル・ブルックス 1974年
特に、映画セットに乱入してからの展開がおもしろかった。映画(作りもの)と現実がごちゃまぜになっていく感じ。

『雨月物語』溝口健二 1953年
セリフの日本語は、今はもう忘れられた言葉遣いで、私はそういうのが大好き。自分も使いこなせたらいいなぁと思うけど、今のところは聞くのが好き。

『祇園の姉妹』溝口健二 1936年
花街が舞台のストーリーは、最終的には、そこに生きる人々のたくましさや美しさに収束しがちだと思っていた。
この映画では、主人公の芸妓が男にひどい目に遭わされ、怒りに震えながら「こんな商売、なくなってしまえ」と言い切る。それがとても印象的。

『幸せのはじまりは』リチャード・マークス 2010年
観た後に満足感のあるラブコメディ。
ただ、恋にすべてを期待しすぎでは。リース・ウィザースプーンの今後の人生は、男次第なのか?相手役のポール・ラッドも、大事な決断を彼女任せにして大丈夫?
でも、脇役のセラピストのセリフは印象に残る。「自分に正直になれる選択をしなさい。」正直になることは、本作に一貫したテーマだと思う。リースにフラれてしまうオーウェン・ウィルソンは、悪い男ではないし、彼なりにリースを愛していた。けれども、この時点の彼は、自分や彼女に正直になれる段階ではなかったのだ。
……しかし、高い満足度の1番の理由は、ジャック・ニコルソンの素晴らしいタヌキ親父ぶりかもしれない。

『JFK』オリバー・ストーン

『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』セルジオ・レオーネ 1984年
ブルックリン、ユダヤ人地区が舞台。過去パートは、1910〜30年代。ということは、絵本作家モーリス・センダックの場所と時代。当時の街並みや社会情勢は、こんなふうだったのかな。
この時代、アメリカでもヨーロッパでもみんな必ず帽子をかぶっていて、そういうタイトルの本もあるくらい(『みんなぼうしをかぶってた』ウィリアム・スタイグ。この絵本もニューヨークが舞台)。私の勝手な推測は、髪の毛を頻繁に洗わなかったことが理由のひとつではないかと思う。汚れて脂っぽい髪の毛を隠して、きちんと見せてくれる帽子。
映画そのものは、一番の印象は展開がゆっくりしていること。主人公が重要なメモを読もうとしたら、老眼鏡がなくて取りに行って…みたいなことまで描いている。

『ディパーテッド』マーティン・スコセッシ 2006年
マフィア側のマット・デイモンと、警察側のレオナルド・ディカプリオ。真逆の立場でありながら、同じ場に居合わせるシーンでは彼らは必ず似たような服装で登場する。お互いの鏡みたいな存在なのだろうか。それとも、似て非なるもの?
どうでもいいけど、上の映画の関連でモーリス・センダックのことを検索していて、センダックの写真を初めて目にした。なんだか、ジャック・ニコルソンに似ている。

『イコライザー』アントワーン・フークア 2014年
デンゼル・ワシントンのスーパーマンぶりはもはやギャグの域。『ブレージング・サドル』の超人的な早撃ちと同じ。そして、彼がなぜそこまで正義を追求するのかわからない。そもそも、すべてのきっかけとなった少女が復讐を求めていたとは限らない。
このデンゼルの所業は、私人逮捕系YouTuberと変わらないのでは。こちらはモスクワまで行っちゃうけど。
音楽とか映像はカッコいいので最後まで見ることはできた。


タイトル画像は、初詣に行った斎場所大元宮の灯籠。変わった彫り物だなと思ったら、十二支だった。今年は辰年。
斎場所大元宮は吉田神社の一角にあり、普段は門が閉ざされている。年始は特別拝観ということで訪れた。中の造りも興味深かったので、今度、別の記事に書きたい。

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