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私は私の親より良い親だろうか

私は、私の両親より良い親だろうか。

無意味な問いとは分かりながら、時々、そんなことが心をよぎる。

私の両親には、良いところもあった。
ただ、子どもに対して関心が薄かった。

私には2歳違いの姉がいて、彼女にとって私は邪魔者だった。姉も両親からの関心を思うように得られない、と感じていたのだろう。いろいろとつらいことがあり、私は子どもの頃、早く大きくなって姉と別々に暮らしたい、と思っていた。
姉が社会人、私が大学生のころ、ある出来事があり、その問題が露呈した。私は“姉のひどさをようやく両親に知ってもらえた”と思った。
その後、母は私に、子どもの頃からの姉と私の関係について、「気づかなくてごめん」と言った。
でも、それは気づかなかったのではないと思う。私は両親に訴えたこともあるが、取り合ってもらえなかった。関心がなかったのだと思う。父も母も。

姉とのことに限らず、私は両親からの心理面への関心や共感を求めていたが、得られなかった。

父と母には彼等なりの理由があるとは思う。ここには詳しく書かないけれど。

ともかく、両親から得られなかった関心を、過去に戻って取り戻すことはできない。
今できることは、自分で自分に関心を持つことだと思う。

自分に関心を、とはどういうことだろう。
私はいつもいろいろ悩んだりあれこれ考えたりしているが、それとは少し違うのだと思う。考えることは、自分を客体化して状況を把握しようとする行為だ。ここでの「自分への関心」とは、それとは違って、主観的なものであるはず。
多分、意外と単純なことのような気がする。
たとえば、自分の体調や感覚に敏感になること。客観視しようとする癖がついていると、自分と一体化するのは簡単ではない。私は自分の不調に気付きにくいところがあって、いつもいつも元気いっぱいというわけでもないのに、体調不良で仕事を休むことは滅多にない。でも、自分自身の声に耳を傾けて、いたわることも必要なのだろう。

そして、自分に対して真正面から関心を持てない時、他者に関心を向けることもできないのだと思う。自分の中の子供が、「私だって構ってもらえていないのに」と拗ねるから。

子育てにおいて、関心を持つことの大切さはずっと前から感じていたし、心がけてもいた。2人目の子がまだ小さかった頃、ある育児の専門家が「子どもを見ていればいいんです。それができれば大丈夫です」と言うのを聞いて、きっと真実だと思ったのを覚えている。
簡単そうなのに、なかなかできないのが、じっと見ていることだと思う。仕事、家事、スマホ、気を散らすものがたくさんある。先に書いたように、自分の中の子どももいる。

それでも、自分に向き合い、自分の子どもたちにも向き合える親になりたい、と思う。
まずは、自分の体調や心に敏感になることから。


タイトル画像は、先日の息子の誕生日のケーキ。菓子店をしている母が作ってくれた。ろうそくはスペイン語FELÍZ CUMPLEAÑOS 誕生日おめでとう!

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