見出し画像

チャリティー活動とは

2022年2月24日
ロシアがウクライナに侵攻を始めた日。

ちょうど1年が経過。
現在も停戦には至っていません。

当時、日本中で
チャリティー活動やニュースの拡散などが
盛んに行われていたように思います。
SNSのタイムラインにも
いろんな情報が上がってきて、
辛い気持ちになりました。

オリジナルグッズを作るサイトでは、
ウクライナの支援グッズを作り
それを購入してもらえれば
そのお金を寄付する
、ということもでき、
購入する人も多くいた気がします。

私も寄付金を送ったり、
instagramで、ウクライナのために祈るような絵を投稿したり。
(その絵は、インスタ広告でお金をかけてウクライナ限定で拡散されるようにしたりしていた←そのお金も寄付にまわセヨという意見も聞こえてきそう)

とにかく、何かしたかった。
instagramでは、ウクライナの方からたくさんのコメントやDMをいただいた。
「関心を持ってくれていてありがとう!」
「癒される絵をありがとう!」
そういう言葉がとても多かった…


時は流れ、2023年2月6日
トルコ南東部でM7.8の大地震が発生。

自分のSNS上に、トルコ関連のことは
何も上がってこない。
チャリティーグッズを買いましたという投稿も
見かけない。

そして私も、絵を描いてない。


チャリティーとは

チャリティーとは、慈愛・慈善・博愛または同胞愛の精神に基づいて行われる公益的な行為・活動のこと。 語源は「親切」を意味する古代ギリシャ語「カリス」及びそのラテン語形「カリタス」から。

Wikipedia

なぜウクライナ紛争の時は
日本中が熱狂して親切心を振りかざし、チャリティー活動をしたのに対し、トルコ大地震に対しては、静かなのだろうか。
(もちろん、現在もチャリティー活動をしている人はいます)


無関心

正直、私もトルコ地震のことは無関心だった、と言い切っても過言ではありません。

ニュースを聞いた時、「大変だな、、」とは思った。
でもその1回きり。
普段、ニュースも見ないため、
同棲しているパートナーから
「トルコのニュース見た?」と言われて知った。

地震 = 対自然
紛争 = 対人間
という感じで、紛争の方は、より、「かわいそう!」という関心を持ちやすいのかもしれない…

でも、地震だって他人事じゃない。
それに、トルコは親日国としても有名で、
東日本大震災の時は、救援隊で人が駆けつけてくれていたり、寄付金や支援物質を届けてくれている。


東日本大震災の時に関心を持てたのは
同じ日本だからということだろう。


なぜ平等を願い、世界平和を目指しながら
トルコの地震や、他にもいろんな国の情勢に
関心を持てないのだろうか。


想像力が足りない

それはきっと、私の想像力が足りないから。

繋がっていない人との関わりを
想像しきれていない。
自分が体験したことのないことを
自分ごとに変換できない。


世界平和は、「隣人を愛することから」という意識があり、その隣人を、同居しているパートナーとうさぎのことしか捉えられていないのかも?…


とても自分が情けなく
恥ずかしくなりました…


想像力が足りないとどうなるか

世界のことだけではなく
身近な世界においても
想像力が足りないことで誰かを傷つけてしまう。

例えば、「老害」という言葉。
以前、バスに乗っていると、お年寄りの方で
めちゃくちゃ大きい声で悪口を言ってる方がいた。
その時に、「こういうのも老害なのだろう」と思ってしまった。

でももしその人が
自分の両親や、年老いた自分自身や、パートナー、子どもだったら?
それでも老害だと思うのだろうか?

そのお年寄りの方も、
誰かの子どもであり、誰かの親かもしれない。
その日たまたま気分がよくなかっただけで、普段は違うのかもしれない。
何かご病気で、本人の意思とは関係なく、そうなっちゃうのかもしれない。

全く何も想像できずにシンプルに
「うるさいなー・・・」と思ってしまった。


全員に好かれることは無理だったり
嫌われる勇気を持つことも大事だったりはするけど、
だからと言ってそれは、
親切心を一切持たなくて良いということではない。


口先だけの自分

私が、穏やかな人生を歩めているのは
間違いなく、
支えてくれるパートナー
癒しをくれるなすび
応援してくれる家族、友人、SNSでの繋がり、お客さん

たくさんの人・動物から
素敵なエネルギーをもらっているからだ

だから、これまで自分がもらったものを
もう十分すぎるくらいもらったものを
次の世代の子どもたちや、動物、
世の中に渡していきたいはずなのに

人々に癒しを届けたくて
絵を描いてるはずなのに

デジタル化が進む世の中でも
アナログの温もりを忘れたくなくて
絵を描いてるはずなのに


口先だけの自分に
心底軽蔑したという、
そういうネガティブなお話…


これからどうするか

幸いにも、気づけた。

実は、この「トルコの地震について無関心な人多くない?」という感じの話は、パートナーから出てきた話だった。

彼は東日本大震災の時も
被災地に行ってボランティア活動をしていたり
熊本の大雨の時もチャリティー活動をしたり
と、「寄付でお金を贈る」以外の活動もしていた。

そんな彼が悲しそうにトルコの話をし始めて
ハッとさせられた。

『あれ?私のことじゃん』


私のことを言ったわけでは無いそうだけど
気づかせてもらえた。
本当にありがたい。


自分の在り方を見つめ直し
絵と向き直る時間にもなった。


過去に戻ることはできない。
これからどうするか。
今どうするか。


考えながら行動していきます🐰


今日は、ドヨンとしたお話に
最後まで付き合ってくれて、ありがとうございます😌

私の気づきが
誰かにとっての気づきにもなると
嬉しいです。


自論として最後に付け加えると
全てのものに関心を持とう!
とは、思いません。

キャパ以上に、自分の人生を
悲観に捉える必要は無いから。

ただ、自分に本当の意味での
チャリティ精神が日頃から備わっていれば
世の中との関わり方が
もっと違って、もっと温かいものになる。

そんな気がするのです…


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?