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若者のすべて#1

もう季節はすっかり秋だというのに、ここ数日眠りにつこうとすると決まって頭の中で流れる曲がある。
フジファブリックの「若者のすべて」だ。

この歌を聴くと思い出さずにはいられない“あの人”のことを、今日はここに書いてみようと思う。


“あの人”と出会ったのは中学2年の4月だった。
(実は同じ幼稚園の同じクラスになったことがあって、隣同士で写っている写真があったのだけど、その時はそんなこと知らなかった。)

1学年6クラスある大きな中学校だったため、1年の頃は“あの人”の存在なんて知らず、2年になって同じ6組になったのだが、名前も顔も知らない完全に「はじめまして」の人だった。

たぶんそれは、“あの人”からしても同じだったと思う。

いつからお互いのことを認識して、話すようになったのかは覚えていないけど、夏を迎える頃には、ごく自然にメールアドレスを交換して、たまーにメールでやりとりするくらいの仲にはなっていた。

私と“あの人”はスクールカーストの同じ層に属していたこともあってか、林間学校とか、家庭科の調理実習とか、男女グループを作って行動するときにはたいてい同じグループになっていた。
たまに違うグループになるときもあったが、そんなときはなんだか寂しい気持ちになったのを覚えている。

それに、“あの人”は地味にモテるタイプで、定期的に「あの子、“あの人”のこと好きらしいよ」などという話があがっていた。

それを聞くたびに、私はヒヤヒヤしていたのである。
そのうち、“あの子”と誰かが付き合い始めてしまうのではないか、と。

別に何かきっかけがあったわけではないし、なぜ好きになったのか、どこが好きなのかも未だにはっきりとはわからない。
けれど、着実に“あの人”の存在は私の中で大きくなっていて、1年が経つ頃には、完全に私の「好きな人」になっていた。

そうなると気がかりなのはクラス替えだ。
同じクラスになれるのは1/6の確率、パーセントで言えば17%ほど。

3年の初日の朝、ドキドキしながら、でも平静を装ってクラス表で自分の名前を探した。2組だった。

“あの人”の名前は・・・2組にはなかった。
じゃあせめて隣のクラスに・・・!と思ったが、1組にも3組にも名前はなかった。

そうなると何が起こるか。

顔を合わせる機会がぐっと減るのだ。
通っていた中学校は昇降口が1~3組と、4~6組に分かれていて、昇降口から教室までのルートが全然違う。
利用する階段も真逆で、登下校時にばったり会うなんてことは起こらないような作りだったのである。

4~6組のクラス表は、もう一方の昇降口に掲示されていたので、“あの人”が何組になったか確認することはやめた。
例え隣の隣のクラスだったとしても、昇降口が違うなら、4組も6組も同じだ。

それくらい、同じ昇降口を使うということが重要だったのだ。


長くなりそうなので、中3編はパート2へ。






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