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いのちの名前

昨日テレビで「千と千尋の神隠し」の放映があったから、今日のネットニュースのコラムでジブリの公式Twitterでいろんな話題が載っていて面白かったです

ネットピアニストであれば
動画や配信でジブリの曲を弾いてらっしゃる方も多いのですが
いかんせん、3年前までの私はYouTubeのピアノ動画があまり好きではなかったもので…
正直なところ、楽器の演奏はCD音源かコンサートが好きでビジュアルにもこだわりなくて…

余談になりますが
YouTubeを見始めたきっかけは、車のCD再生が故障で不能になったからでした
見始めたというよりも、米津玄師さんの曲を聴きながら月に数回片道3時間ほどの実家帰りを繰り返していたからです
スマホって便利ですよね

そんな中で出会ったのが
ふみくんのピアノでしたが、このピアノが好きだと思った経緯は昨年熱く語っているので割愛かつあいします

顔なんて見てなかったのです
音が好きだったから

YouTubeの動画再生は、ライブラリで選曲して自動でリピートできるので
好きな演奏をピックアップして(たまに入る広告動画は、後にプレミアム登録をして有料ながら解決しました)
数年前までは、手に入らないクラッシック奏者の古い演奏などをよく聴いていたはずなのですが
ドライブのおともをしてくれる娘の影響で米津玄師さんを聴くようになりました

今日も前置きが長くなりました

いのちの名前です

「千と千尋の神隠し」は
子どもたちが最も好きでカウントできないくらいビデオを見ました
ビデオテープが伸びるのが早いか、子どもたちが飽きるのが早いか…
多分、同じくらいだったと思います

娘が大人になり、この映画のことを私に解説しました

「お母さん、この物語の登場人物は人の感情をそれぞれ表しているそうなの」と

なるほど、そう考えて見直すと
私の感情の中にも存在する

昨日のジブリのカオナシについてのコメントが納得いきました
「カオナシの正体は神様ではなくて、誰もが持っている心」(趣旨)

娘の談によると、メインキャラクター
一人一人が人間の感情のひとつひとつなのだということなので
自分に当てはめてみるなら、ママが「お金なんて請求来てから払えばいい」とか
「長いものには巻かれておこう」とばかりに食べ続ける欲にかられた自分も存在するのかもしれないし
千尋のように、正義とモラルを重んじる気持ちだって多少はあるものです

私は、Twitterでの発言を始めたばかりの頃、そのカオナシみたいな心に揺り動かされて失敗をしたことがあります
目立ちたかったわけではないのですが
「喜んでもらえるかもしれない」と思って、ルール違反の動画をツイートしてしまったのです
当時、フォロワーさんが10人もいたかどうか…
ところが、いきなりものすごい数のアクセス数です
知らない人からのいいねやリプに怯えてしまったことを覚えています

「動画を見せてくれて、ありがとう」

と、興奮したようなリプライが次々と来ました
何が起きているのかさえもわからなかったけど、その自分のアカウントの有り様が、カオナシが投げる金に群がる人々のように感じ、怖くなり
動画を取り下げお詫びのツイートをしました

そして、少しの時間殻にとじこもり
心の慰めに繰り返し聴いたのが
この演奏動画でした

ルール違反を反省しても尚
怖さに萎縮してしまった心ごと抱きしめてくれたような演奏

そして、常に直接手を貸してくれるわけではないけれど
何かから私を守ってくれているような
私の心の中では手を繋ぎ、窮地を救ってくれているような不思議な感覚

ふみくんのピアノを聴く上で
せめて私は千尋でありたいと思った…
(実在の私はと言えば、千尋の両親みたいなところが多いのですが.苦笑)

千尋のような可愛らしさなど持ち合わせていないことは百も承知で書かせて頂きました(あしからず、といった気持ちです笑)

はい、ふみくんは私のハク様
というお話でした

⬇いのちの名前の演奏動画

https://youtu.be/V4YXm65v3ds




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