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なんとかしましょう、お義母さん~業者相談編~


「なんだかね、ここがベコベコするんやわ」

始まりは義母のその一言であった。
私達は2世帯同居家族である。同居といっても地方にありがちな形態で、やたらと広い敷地内の母屋と離れ、2棟の家にそれぞれ住んでいる。ここで2世代の夫婦が、夫の祖母の介護、息子娘の育児など、お互い困った時は助け合うが普段は下手に干渉せず、それなりに平和に暮らしてきた。
夫の祖父母を見送り、息子娘が巣立った今は、中年と後期高齢者の夫婦が二組。義母は私になにかと相談してくれており、今回は母屋の床についてだった。

「ここがベコベコするんやわ」
義母が踏んでみせた寝室の床は確かにそこだけ凹んでいて、なるほどベコベコギシギシと音がする。夫の両親が住む母屋は、本体はおそらく築100年近く建っているであろう。本体はおそらく…というのは、建て増しと改築を繰り返して、一番古い部分がどこなのか曖昧になっているからだ。
バリアフリーという言葉のなかった時代の増改築は不慣れなブロック遊びの産物のようにあちこち段差だらけで、それでも大正昭和平成…各時代の職人が手を入れてきただけに、さほどの苦はなく住める。ただ、さすがに傷みがそこかしこに現れており、ここ10年は常にどこかを修理しながらの生活であった。そして今回は、両親の寝室の床が壊れている…

これはチャンスだ。

ずっと考えていたのだ、このままではまずいと。
前述の通り母屋はアンチ・バリアフリー邸宅である。夫の祖母の介護は私達夫婦が住んでいる離れ…比較的新しい住宅で、当時20代の若い私が同居していたのでなんとかなった。これからもっと老いていく私が、介護には全く不向きな、この古い家であれと同じことをできるかと問われたら即答でNOだ。そこまで行かずとも、80代の両親がいつ転んで怪我をするかしれない。室内の移動に不安のないようリフォームすべきなのだ。
夫の父が生まれ育った家を建て替えるのは私以外の家族全員抵抗があるので仕方ない、ここはリフォームだ。そして今が提案する最後のタイミングだ、間違いない。

「お義母さん。床を直すのはいいですけど、いっそリフォームしません?」
「リフォーム?」
「はい。あの奥の使っていない納戸の壁を取っ払ったら部屋を広く使えますし(将来的にポータブルトイレを置くスペースができる)そうしたらベッドも置けますし、寝起きが楽ですよ(介護する時に私が足腰を傷める可能性が多少とも低くなる)ついでに、この部屋と廊下の間のドアを(最小限の動きで開閉でき車椅子でも通れるよう)引き戸に替えるとか」
「なるほどねえ。それはいいかもしれんね」
義母が乗り気になった。この機を逃してはならない。

「Tくんに連絡しましょう、すぐ来てもらいます」
修繕・リフォーム・防犯設備・庭の防草処理まで我が家のこと全般依頼しているR工務店とスタッフTくんは、10年以上のつきあいだ。その場で電話した。ふたりでTくんを待つ間、義母が口を開いた。
「でもねえ。リフォームとなったら、片づけせんといかんでしょう。ほら、このたくさんのモノがね」

それこそが、もうひとつの狙いでもある。

この古い家には、代々の主婦たちがいつか使うことがあるだろうと思ってしまいこんだ、または舅姑に遠慮した、或いは見て見ぬふりをしたモノたちが家のそこかしこに堆く山を作り、ひっそりと埃を被っている。この堆積物の形成には一族の男性陣も当然関わっただろうに、なぜその処理の責任を主婦のみが負わねばならぬのかと思うが、これまでの時代背景を考えれば致し方なし。その問題は一旦置かねばなるまい。

私も遠慮していた嫁の一人だった。が、もう年を重ねて面の皮が厚くなったので言える。そしてこれ以上年を取れば約100年分のモノの山を片づける気力も体力も失せるだろうという危惧がある。ここで思い切って言わねば。

「片づけましょう。私も一緒にやります!」

モノに埋もれて身動きが取れない老後は送りたくない、なんとしても。

R工務店のTくんが来てくれたので、こちらの意向を伝える。人当たりがよく仕事もよくできる男・Tくんはフムフムと話を聞きながら、床の状態を確認し、天井裏に上がり、部屋の各部の寸法を測り…テキパキこなしていった。

「床の修理は勿論、仰るようなリフォームは大丈夫そうです。改めて設計士と一緒にお話をうかがってね、図面引いて見積を持ってきますけども」
「ありがとう。それで、このモノをね。片づける時には一気に持って行ってもらえますよね?大きな家具とか」
できぬとは言わさんという圧を込めて問う私。
「あ、できますよ。リフォームする時にはトラック3台とかで片づけのお手伝いすることはしょっちゅうですからね」
「お義母さん、できるって!」

思わず目をきらきらさせる勢いで義母を振り返った。義母はホッとしたように頷いた後、やや顔を曇らせた。

「でもねえ。捨てられないものは色々あるんやけど…たとえばほら、その壁の」
義母は壁の書画を指した。立派な装丁のそれは、私が結婚し同居を始めた時からそこにあって、茶色に変色しシミだらけ。何と書いてあるかわからないが豪快な筆が振るわれている。「孔子」とあるので、論語の一節なのだろうと解釈していた。

「どなたか有名な方の作品なんですか」
「Rちゃんが小学校に入る前に書いたお習字らしいんやけど」

Rちゃんとは夫の叔母で義父の妹…現在80代のR子。60年前に嫁に行っている。私が30年近く、ずっと「孔子」だろうと勘違いしていたのは「R子」の署名だった。

「捨てていいんじゃないですか?ここに飾った先代のおじいちゃんおばあちゃんは20年以上前に亡くなってますし、R子おばさんも覚えてないですよ」
「勝手に捨てちゃったら、Rちゃん気を悪くしないかね」
「じゃあR子おばさんご本人か娘のKちゃんにお返ししましょう、もしかしたら喜んでくれるかもしれないです」

嫁と姑、私たちの会話をTくんはなんとも曖昧な微笑を浮かべて聞いている。彼を延々と続きそうなこのやり取りに付き合わせるのは悪い。
「じゃあ、次は設計士さんと一緒に面談をお願いしますね。日程はまた決めましょう」
リフォーム完了は、今のところ年末だという。

Tくんを玄関まで送り、義母と顔を見合わせた。
「…できると思う?片づけ」と問う義母。
「できます。というか、私がやります。なんとかしましょう、お義母さん。すっきり綺麗なお部屋で年越しできますよ」

さっきのお習字のような会話を、これから幾度となく繰り返すことになるだろう。挫けるなよ私。と自分を叱咤した。

ことの顛末を義母と私で義父に説明すると、彼は嬉しそうに言った。
「部屋が広うなったら、ここにたんとモノを置けるわ」

置かせるものか。

なんとかしましょう、お義母さん〜鬼と葛藤編〜
につづく

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