高校まで、授業非参加型受講スタイルだった。
発言しない。
ぼんやりとしている。
連絡事項を把握していない。
我ながらどうしようもない状態であった。
業を煮やした父はいつも授業参観前に、いかにわたしに手をあげさせるか、
そればかりを考えていた。
最終的に、
「手に糸をくくりつけて、釣竿でつりあげる」
という貧相な案しか思いつかず、
そしてまさかそれを実行するわけにもいかず、
毎度がっかりする授業参観であったと見受けられる。
たとえ強行手段で手をあげさせられ、発言権を得たとしても、
頭の中は空っぽなのだから、発言などできない。
父の落胆は地獄の底へと落ちてもまだ落ち足りぬほどであっただろうと思う。
親はやはり手をあげるこどもをみたいし、はきはきと答える姿を見たいものだ。
期待に添えず申し訳なかった。
ところで、
わたしは高校生になるまで一度も髪の毛をのばしたことがなかった。
母の方針で、自分で整えられるまでは伸ばしてはいけなかったのだ。
よく考えてみて欲しい。
毎度ショートカットで、
特に髪の毛を溶かす必要もなく(いや、あったのかもしれない)、
止める長い前髪もなく(いや、あったのかもしれない)、
寝癖のつきようもない短髪(いや、寝癖はついていたかもしれない)では、
髪を整える訓練などできるわけがないではないか。
「整える」という実績を積むチャンスもなかったわたしは、とうとう中学が終わるまで母の認定が下りず、ずっと短髪だった。
世の中は聖子ちゃんカットが全盛。みな、トイレの鏡の前で必死にくるくると巻いていた。
短髪では、どんなにやりたくてもできない。
それどころではなく、当時のわたしは、頭の中の方が、よほど天然でくるくるしていた。
当時の授業参観というのは、母親たちはそれなりの良い恰好をしてきて、教室にはお化粧のにおいが満ちた。
みんな、どこの親が来るのかと、ちらちらと盗み見をしていたし、
先生はその日だけは「○○さん」「○○くん」と丁寧に呼んだ。
前日に
「明日は、おまえらのこと、さんくんづけで呼ぶからな。家で余計なこというなよー!」
というお触れがあったものだ。
その日の授業参観は数学だった。母親たちはずらりと教室の後ろに並び、先生も背広姿だった。
先生が言った。
「それでは、みんな宿題をやってきたかな。その答え合わせをしましょう。順番に答えを言っていくように」
あーあ、先生、よそゆきじゃん。と笑いながら、聞いていて、
脳内でそのセリフの解析が終わったところで
凍った。
みんな当然のように、教科書とノートを開き、場合によっては赤鉛筆を手にしている。
宿題・・・とな?
なんのことだ?
「先生!宿題ってなんのことですか?」
なんて発言を待ったが、そんな気配は微塵もない。
でた。
「わたしだけしらない」パターン。
あわてて教科書を開いた。
どこだ。
悪いことは重なるもので、先生は、私の前の席の子を指さした。
なんと次は私ではないか。
1問目の生徒がそつなく答え、すぐに2問目。
順当にわたしへと順番がまわってきて、場所すら分からない私はこういうしかなかった。
「忘れました・・・」
自分の絶望よりも、後方でカチ凍る母の空気の方が、私を戦慄させた。ひたすら黒板を睨んでいた。
授業参観だけに、そのまま立たされることもなく何とかやりすごせはしたものの、もちろん何をやったのかは全く頭に入らず授業は終了。
母は、懇談会があったので、私の方が先に帰宅した。
さて。家に帰れば、しばらくは天国。
誰もいないこの家を謳歌しようではないか。
その時私が凝っていた遊びは、
体操服を途中まで脱ぎ、頭にひっかけて顔だけ出した状態で過ごす、といううもの。
おわかりになるだろうか。
この写真の、腕をぬいた状態でシャツは頭にひっかけたままにしておくと、
そう!あこがれのロングヘアに!!!!
ちなみに、この遊びの素晴らしさ・楽しさを分かってくれる人に、わたしは未だ出会ったことがない。
我を忘れて、わたしは、つかのまのロングヘアを思う存分楽しんだ。
歌を歌い、風に吹かれているロングヘアをイメージし、
日頃からロングヘアでいる子にはわからないであろう遊びを
次々と編み出していた。
その天国が破られたのは、
ロングヘアを母の鏡台の前で堪能していたとき。
かがみに映っているのは、確かに、
くるくるとカールをした聖子ちゃんだった。
その妄想聖子ちゃんの背後に映し出されたのは。
母。
鏡の端っこに、そーっと母の顔が現れたのだ。
ぎらぎらした目つき。
ちょっと血の気のひいた頬。
凍りつく、わたし。
「ちょっと、いらっしゃい」
空気は一変した。
ロングヘアはあっという間に、
ただただ頭に乗っかる雑巾以下の体操服となった。
聖子ちゃんは消え、ただの短髪女子が、反抗期の目付きで映っている。
わたしはそろそろと雑巾以下を外した。
そこから正座でこんこんと母の説教を頂戴した。
地獄へおちたのは、父ではなく
わたし、本人であった。
学校で宿題忘れという恥さらしを見せつけられ、家に帰りゃその恥さらしがシャツを頭に乗っけて歌っている。
母の絶望は、これ、いかに。
わたしがその後、改心して、ロングヘアの夢を断ち切り、授業中もたくさん手を挙げて、発言をはきはきとするような子になったかといえば、それは忘れてしまった。
当時、わたしはモンゴメリの「エミリーはのぼる」というエミリーシリーズにはまり、そこに出てくる「ジョン・ブック」というものにひどく憧れていた。すてきな装丁のノートだという記述。どんなすてきな装丁なんだろう。エミリーはそこに日々のことを書き込んでいった。
そんなノートはとてもではないが手にはいらないので、町内会の盆踊りでもらった大学ノートにわたしも何やらいろいろと書き始めた。
授業中、教科書とノートの一番下に常にそのノートがあった。
そこから察するに、非参加型授業受講スタイルは、続いたと思われる。
その後、二十歳に近づくにつれ、やっと憧れロングヘアとなり、
今井美樹全盛期。ロングヘア・ソバージュ・真っ赤なリップという時代を経て、
今は何の特徴もないセミロングで収まっている。
ショートヘアは、いま現在も似合わないままだ。
最近、「どの子もどの子も〇〇ちゃんのヘアスタイル」というのを見ていない。
気に入っていただけたなら、サポートしていただけると嬉しいです。日々、心を込めて、雑談やおはなしなどいろいろお届けいたします。