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電話電話っていうけど、ほんとはメッセンジャー通話ね_240216

親切なことにその日何時間携帯を触っていたか教えてくれる「スクリーンタイム」は少なくとも2~3時間、多い日は4時間を超えてくるので(どうしてこうも手のひら程度の小さな画面を見つめることに日々時間を費やしてしまうのだろうか)、大体のメッセージは受信したときに目を通す。
ただ、メッセージにすぐ返事するかどうかは、また別問題である。

で、肝心なメッセージを受信したときに限って携帯から離れていることが多いのだが、今日もご多分に漏れずそうだった。

「今何してる?電話しない?」
最近連絡をとっていなかった友人から、こんな連絡が入っていた。

「電話できるよ!」
すぐさまそう返すも、彼女のメッセージを受信してからは十分と少しが経っていた。ちょっと思案して、電話をかけてみた。一分くらい待ってみたけど呼び出し音が途切れる気配もなかったので、終話ボタンを押す。
わたしがメッセージに気付くまでの間に、別の誰かと話し始めたんだろう。

どうして、「いま電話できる?」と最初にメッセージで確認するんだろう?
と、頻繁に思う。

メッセージで訊いてこられることへの不満ではない。むしろ、わたし自身、そのように確認してから電話をすることが多い。
そもそも、なんの抵抗もなくパッと電話できる人だって多いと想像するのだが(統計とったわけじゃないけど)、なんとなくわたしの周りとか同年代では確認する人が多い気がする。

なお、1時間越えは暗黙の了解、ややもすれば2~3時間になるような長電話をしたい時は、ランチやお茶の約束と同様に予め調整をする。
「来週だったら月火以外は空いてるよ〜。お風呂に入ってからがいいから21時以降だったらありがたいけど、どう?」
こんな具合である。数日前から話す予定をつくり、話すために整えて(お風呂に入って、スキンケアもして、お茶を入れて、茶菓子も用意して(長話をするなら、夜であってもお愛想はほしい))、その時間を迎える。

でも「あ、いまちょっと誰か話せないかな?」って時も、メッセージで確認するのは、なんでなんだろう。
そもそも「いまちょっと話せないかな」なんだから、電話をかけてみて話せる状況かどうか確認すればいいのに。都合が悪かったら出てもらえないか、出てもらえても断られるから「忙しい時に電話出てくれてありがと!」と礼をいい切ればいいだけなのに。

たぶん、理由はいろいろある。
携帯を介したテキストメッセージが発達したおかげで(一日2~3時間画面を見てるくらいなのだから)電話をする必要性が下がりそのハードルが上がっていること。紐づいて、電話がかかってくる=緊急性が高いと思われやすいこと。電話を受ける側に「電話にでる/でない」という判断を瞬時に求める、(見方にもよるが)ある種の暴力性。そのどれもが、ほんとう、なのだろう。

ブー、ブーと携帯が振動した。
「電話ありがとう!ちょうど帰り道だったんだけど、いま家についたところ。タイミング合ってうれしいな〜〜」

ちょっとドキドキしても、その結果話せても話せなくても、予告なしに電話をかけられるあなたがいることを、わたしは嬉しく思う。
お風呂に入っておいてよかった、ラッキー。

この度は読んでくださって、ありがとうございます。 わたしの言葉がどこかにいるあなたへと届いていること、嬉しく思います。