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イカの短歌

おはようございます。休みの日だというのに、どういうわけか早起きしてイカの歌を探していた。発端は角川『短歌』1973年7月号掲載の座談会「女歌その後」の参加者が70年代にどんな歌を作っていたのか全歌集とかをパラパラめくっていたことだった。
私は河野愛子(こうのあいこ)の歌が好きで、手元の短歌ノートには以下の歌を控えている。

夕かぜのあらしとなりてゆく聞ゆ肉のおもたき烏賊つかみゐぬ
-河野愛子『魚文光』(一九七二)

好きな歌なんだけど平成生まれにはあんまり意味の通りがよくないと思う。だいたい結句の「つかみゐぬ」が掴んでいたのかいなかったのかはっきりしない。掲出歌の場合は完了の「ぬ」と判断している。なんだ結局文脈なのか、というと、そうでもない。
前提として、「ゐぬ」は動詞「ゐる」+完了の「ぬ」なのか=居た、「ゐる」+否定の助動詞「ず」の連体形=居ないなのか、形式上は区別が付かない。だから昭和以降生まれの文語ユーザーは、こういう場合に「ゐつ」を使って完了であることをはっきりさせる傾向にある。
けれども昭和以前生まれの文語ユーザーは平気で注釈なく完了の意味の「ゐぬ」を使う。これには理由があって、否定の意味をもつ「~ならぬ」は口語寄りの用法だからだ。否定の意味を持たせたい場合は「ゐず」とする。「ゐぬ」はほとんどの場合完了の意味で使われている。かつてはそういう住み分けがあった。
河野愛子は1922年生まれである。掲出歌に話を戻そう。この歌のポイントは内部と外部の対比構造にある。外は嵐に近づきつつあると言われれば、自動的に、主体は家の中にいて、家の中は比較的静かなんだろうなと連想される。そこに「肉」といいう内側属性のある語が重ねられて、「烏賊」が提示されている。この存在感よ。嵐と烏賊が場に出ているとはずみでクラーケンのイメージも呼び出されるけれど本筋の読みではないから置いておく。いずれにせよ、この烏賊のイメージは重たくて大きい。それを掴んでいる手も大きいものとイメージされる。だが家の中である。家を包んでいる「夕かぜ」はさらに巨大だ。

大きなる手があらはれて昼深し上から卵をつかみけるかも
-北原白秋『雲母集』(一九一五)

スケール感の操作といえば挙げられるのが北原白秋の卵の歌である。この歌は三句目が場面の枠を規定していて、そのあと「上から」と重ねられるために、まるで天空から超巨大な手がのびてきたような感覚を与える。今まで「枠(ワク)」といえば短歌定型の枠組みの話ばかりされてきたけれども(岡井隆・吉本隆明の定型論争とか)、こうした画面の内と外を規定する言葉に注目して論を書いてみるのもおもしろいかもしれない。

話が逸れた。なんでイカの歌を探しているかであった。河野愛子の歌だけであればこの話はここで終わるのであるが、続けて河野裕子(かわのゆうこ)の『ひるがほ』をめくっていると、以下の歌が目に止まった。

寒烏賊の腹をさぐりてぬめぬめと光れる闇をつかみ出だしぬ
-河野裕子『ひるがほ』(一九七六)

イカの歌である。掴んでるのはイカ本体ではなく内臓だろう。実際にイカを捌くとイカの内臓は「闇」と呼べるほど黒い気はしない。けれども少し考えれば、外套膜の中にあるとき、内臓は確かに闇の一部である。掲出歌の下句には納得できる。

さて、こうも短い間に印象的なイカの歌を二首見つけると、歌の傾向が気になってくる。歌人はイカをつかみがちなのか? 気になったので手元で使えるデータベースを簡単に調べてみた。結論から言えば、イカはそこまでつかみがちではなかった。

烏賊の体を洗いゆくときエロスはとなりまで来る
まんまるのイカ嚙みちぎる 見えてくる見えてくるものあり
髙瀬一誌『レセプション』(一九八九)

河野(こうの)と河野(かわの)の歌の状況に似ているのが髙瀬一誌の一首目である。イカの肉感はエロスの方にも拡張できるようだ。私はどちらかといえばグロテスクの方だと思っていた。いずれにせよ読まれている内容はナンセンスである。
二首目の方は、イカの姿焼きを頭からかじると穴が空くというだけの気もする。しかしイカの連れてくる神話のイメージが、霊感や天啓を得たことの告白として読むルートをちらつかせている。真顔で言うからおもしろいギャグだ。

一番利用しやすい公開短歌データベースは砂子屋書房の「日々のクオリア」だと思う。「烏賊」で検索すると7件ヒットする。見出しだけでなく本文中も検索対象になるのはありがたい。ただしヒット箇所は検索結果一覧画面でハイライト表示されない。また平仮名と片仮名は区別されないから「イカ」だと検索結果が意味をなさなかった。
印象的だったのは、永井祐の引いている玉城徹の以下の歌

夜の道来つつし見れば凍りたる立方体の烏賊(いか)をほどける
玉城徹『樛木』(一九七二)

「凍りたる立方体の烏賊」が具体的に想像つかない。捌かれる前に冷凍されたイカ一匹とかならよくわかる。けれども「立方体」というのは不思議だ。むき出しの氷だとしたら衛生的にもいかがなものか。高度経済成長期における日本の魚介類サプライチェーンのことにまで思いを馳せてしまう。

探せばもっとあるけれど、今朝はこのあたりで止めておく。砂子屋書房は月のコラムの方もよろしくお願いします。2024年は髙良が担当している。

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