朝ドラ「おしん」を1年間見て。
こんにちは!ぬくぬくママSUN'Sかなちゃんこと中村香菜子です。
高松でも桜がちらちら咲き始めました。突然始まった春休みも3週間をすぎました。・・・慣れてきたような、余計な問題がたくさん出てきたような、そんな春休みです。
昨年の4月から何となく見始めたBSで再放送のNHK朝の連続ドラマ小説「おしん」が終わってしまいました。どんな日もおしん見て1日始まっていたので、今朝は絶賛おしんロスに包まれています。
おしんは、小さな女の子が苦労するお話のイメージが少しあるでしょうか。
物語は明治生まれの女の子が80代のおばあさんになるまでを描いています。明治から昭和の終わりまでを生きた女性の一生を描いてる壮大なドラマです。
ちゃんとテーマがあって、見ごたえありすぎのお話でした。
私が感じた大きなテーマは「貧困と反戦」です。
「なにがあっても、私は、母親として、私一人でも、あの時戦争に反対しなきゃならなかったんだ」
という息子を失ったおしんの言葉が、一番印象的でした。
絶対そうだと私も思いました。
あとは、晩年のおしんが、
立場によって、見えかたや感じ方が違うと気づいたときも衝撃でした。
おしんが、大好きでやさしい存在の実母は、兄嫁にとっては自分の娘ばかり大切にする、嫁に冷たいひどい姑だったということに気づくのです。
悪役だと感じていたキャラクターにも背景があり、そちらから見るとこちらが悪役になるんだなぁ。と思いました。
それにおばあちゃんになったからこそ気づけたおしんはすごいと思いました。
私の暮らしのなかにもたくさんそんなことはあり、考え方は参考になりすぎます。
私自身も、自分が主人公でいつも考えてしまいますが、誰かの物語の中では悪役となっているのかもしれません。
また、80、90代まで長生きした人の人生の中には、たくさんの出会いや別れがあり、親であっても子であっても、親しくできる時間は、一生のなかの一部なんだなと感じました。
96才まで生きた私の祖父が亡くなったときも思ったのですが、祖父の若い時代のアルバムを見たとき、いまの家族ではない家族がそこにいるのがすごいと思ったのです。
おしん見ててもそうでした。
私の人生にもまだ見ぬ大切な家族や友人が現れるのかもしれないなぁ。と思います。
私はおしん世代の人が亡くなったあとの、なにもかもありすぎる時代に生まれ、育ち、おしんに比べたらなんだか不幸だなとも感じました。
苦しい時代、物のない時代は、ちいさなことで得られた幸せ。
でもその小さいことを得られるのが難しかったんだろうなと思いました。
今も苦しいことや辛いことはたくさんあって大変だけど、なんだか複雑で、おしんの苦しみよりずっと辛いことが多い気もするし、
おしんの苦しみに比べたら小さすぎる苦しみな気もします。
ただ、情報がなく、ただ、体を動かし、がむしゃらに働けば報われるというのはちょっとうらやましいです。
ウイルスの存在を知っている方が幸せなのか、知らないほうが幸せなのかは私にはわからないけれど、ウイルスにおびえて長生きするくらいなら、知らずに生きられるその日まで幸せで死にたいなと思います。
私もおしんみたいに生きられたらいいなぁと思うけど、貧困や戦争の苦しみを乗り越えてきた人の生命力や生きる力には、到底かなうことはないだろうと思いました。
祖母に、「昔は・・・○○だった」と、言われるたびに、「今は時代がちがうけん!」と、聞く耳を持たないことが多い私ですが、おしんを見て、小さな時そんな経験していたら、若い人にそんな風に言いたくなるだろうなとすごくわかる気がしました。
娘にも「今は令和で!昭和とちがうんやけん!」と、よく言われますが、その立場その立場で精一杯感じていることが違うだけなんだなと思います。
違うけど、若い人と経験のある人が、互いに話すことに耳を傾けることは大事なのかなと思います。
現代人には現代人の情報の波を泳ぎ切る力や、コミュニケーション過多だからこそ学んできたスキルがあるはずです。
この時代、「今ここ」を、私なりに私の身体と心を使って「あるもの」を、おもしろがって生きていこうとまた、思いました。
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