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歌劇デビュー_100日後にZINEをつくる、76日目

「歌劇」というものを初めて観た。
小学校から配布されたお子様ご招待券。三浦しおん先生と『かげきしょうじょ』の影響で「宝塚、観たい!」の長女リクエストにより観に行くことにした。

そもそも歌劇団といえば、宝塚しか知らなかったので、行ってはじめて観に来たものが宝塚ではないことを知る。無知すぎて無礼。

「ハウステンボス歌劇団」なるものの存在をはじめて知る。

2013年7月に宝塚歌劇団やOSK日本歌劇団の出身者を中心に集めて結成され、ハウステンボス内の野外劇場で行われる30分間程度のレビューショーとして上演を開始した。
ファンとの距離が近いことが特徴で、毎公演終演後には写真撮影会が行われる(CDやパンフレット等のグッズを購入すると、特典として出演者との握手と写真撮影が可能)。

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/ハウステンボス歌劇団

「ファンとの距離が近い」の名にたがわず、座席数550のシアターで観る舞台は表情までよく見える。カルメンを題材にした芝居の、びっくり仰天ストーリーとか、娘役トップの顔面の白塗加減が尋常じゃないことなど、ものともしない情熱!パッション!!
歌劇独特のメイクや芝居にもすぐに目は慣れ、舞台の上を駆けめぐる活き活きした表現に眠くなる暇もなかった。(失敬な人間であるわたしは、映画でも舞台でもコンサートでも、約7割の確率で睡魔に負ける)まばたきが非常に少なくなっていたせいか、異様に目がシパシパする。

45分の芝居と45分のレビューショーのあとには、お誕生日の人へのハッピーバースデーソングのプレゼント。誕生日月の次女も、もじもじしながらスタンドアップして歌ってもらう。彼女曰く、気まずくて目を合わせられなかったそう。
最後にコール&レスポンスで客席と舞台上で「シャイン☆」「だいすき~!」と言い合って終了。

すっかり歌劇にあてられてしまって、よろよろと席を立つ。ブルーローズのペンライトを買わなきゃいけないような気持になってくる。これは応援したくなってしまう気持ち、わかる。

キラキラした衣装!キラキラしたミラーボール!キラキラした笑顔!が脳裏に焼き付き、帰りのバスで長女と共に「すごかったね」「うん、すごかったね」「絶対夢に出るね」「出るね」と言いながら帰った。

昨年の宝塚劇団員の自殺により、芸の世界に存在する「指導」という名のハラスメントや暴力の問題もあかるみになった。よりストイックに芸を追求することが、厳しい上下関係になったり、行き過ぎた人格教育と結びついてしまうことは想像に難くない。

普段、風習やしきたりに穿ったまなざししか向けていないわたしでも、昨年ヒットしたネトフリオリジナルドラマ『サンクチュアリ-聖域-』には見事にハマった。

いつもは「伝統」の看板の前で鼻をほじっている自分が、伝統の世界の掟がつくりだす「美」ってものが確かにあるよね、と感動してしまった。
ドラマを観終った際には、「伝統が築いてきた基礎や型を繰り返すことでしか得られない境地があるんだ!」と心が叫んでいた。

わたしは40目前にした飽きっぽいおばさんであったので、一瞬「エセ相撲ファン」になりかけて終わったけれど、あの感動を、近所に相撲部屋がある10代の青年として味わってしまったら、「入門させてください!」と戸を叩いていたかもしれない。

感動は、危険だ。
感動が原動力になると、人間はけっこうどこまででも頑張れてしまう。「自分もその境地に立ちたい」と強いあこがれを抱いてしまうと、辛さに耐えて力をつけていくことと、身を削ることの境目が見えなくなる。

そもそも、何かを上達させるときに必要な「厳しさ」とは、外側からの刺激として必要不可欠なのだろうか。

どんなに伝統文化がすばらしいものでも、誰かが命を保てなくなるほどの「指導」は全部なくなればいい。先輩にビンタされて「ありがとうございます」を言わせる風習とかも、この世から消滅したらいい。風習や慣習は、若輩者批判をするためでなく、知恵としてつかってほしい。そして、現代に合わない知恵は恐れず革新してほしい。

暴力のない伝統がつくりだすものを、わたしたちは見てみたい。

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