見出し画像

14.ドクターペッパーが分かるお年頃

 酔っぱらうのは私のライフワークだ。酔っぱらうために生きてると言っても過言ではない。とは言え、飲むのは月火金土日の週5日、あとの水曜日と木曜日は飲まないようにしている。「休肝日を設けてるんですね、偉いです」と、健康意識が高い読者様からお褒めの言葉を頂けそうだが、そう言う訳ではない。梶原一騎(※1)が星一徹に言わしめた名言、「死ぬときはたとえドブの中でも前のめりで死にたい」を座右の銘としてる私だ。「健康のために」の様な弱気な理由ではない。水、木と二日空け、我慢する事で金曜日のビールが爆発的に美味しくなるからだ。酔っ払いの玄人たるもの、ダラダラと酔っぱらってはいけない。メリハリをつけて酔っぱらうべきだ。

 お酒の代わりと言ってはなんだが、水曜日と木曜日はジュースを飲む。医者からカフェインを控えるように言われてるので、カフェインレスのコーラを飲むことが多いのだが、体調が良い時はドクターペッパーだ。
 
 ドクターペッパー、飲んだことがなくても名前くらいはご存じかと思う。コカ・コーラより早い1885年に発売。それ以降、100年以上の長きにわたり世界中で愛されている炭酸飲料だ。日本では基本的に関東近郊でしか売ってないので、神奈川のスーパーで初めて見かけた際は大興奮、即買いしたものだ。
 長い間憧れていたドクターペッパー。それは今まで飲んだことがない、未知の不味さだった。毒のような味がした。とにかく薬品っぽい。半分飲んだところでギブアップ。「こんなの飲む奴って舌がおかしくなってるんじゃないのか?」と、バカ舌の私が思ったほどの凶悪さだった。
 
 しかし、歳を取って味覚が変わったのだろうか。何十年ぶりかで飲んでみたら妙に美味しく感じた。それ以来、ドンキなんかで見かけるたびにちょくちょく買うようになり、今では買い置きするほどになった。いやはや、人とは変わるものだ。
 こうしてドクターペッパーを愛飲するようになった私だが、飲む時はいつも東京で働いてた頃の上司を思い出す。彼こそが筋金入り、ドクターペッパーの玄人だった。


 当時の私はしがない事務職、対して彼はバリバリに出来る事務職だった。
 高いレベルの論理的思考が出来る上に思考速度も速い。その思考を簡潔、明瞭に言語化し、他人へ伝える伝達力もある。そして、責任感とリーダーシップも兼ね備えていた。
 そんな優秀な上司が同じ会社にいれば心強く思えそうなものだが、若干性格に難ありだった。生真面目で必要以上に几帳面、更に融通が利かない上に自尊心が高く、自分が出来るからと言って部下に同じレベルの仕事を求めるのだから質が悪い。そうなるともう「嫌な上司認定」だし、人によっては「嫌な上司殿堂入り」だ。彼の直属の部下が常にげっそりしてたのを覚えている。可哀想に。あの人が直属の上司なんて私なら耐えられない。

 同じ部署でなかったとは言え、事務職と言う接点があったため私も割とネチネチやられた。そもそも頭の出来が違うので議論では全く相手にならならない。彼の頭脳の処理速度がメガドライブ級、夢の16BITだとすれば、私の頭脳なんて4BIT、エポック社の「カセットビジョン」程度しかない。搭載しているCPUが全然違う。歯が立たないとはこのことだ。
 基本的には生真面目なので正論と言う名のストレートでガンガンぶん殴ってくる荒々しいファイトスタイルだが、自分が間違ってると気付いたら迅速に論点をずらしてくるテクニカルさも兼ね備えている。こってりと説教され、「すいませんでした」と平謝りした後、モヤモヤとした気持ちで帰りの電車に揺られてる時に「あれ?よく考えてみたら話すり替えられてる。俺、悪くないじゃん」と、遅れて気付いた事もよくあった。私の「すいません」を返してくれと言いたくなる。

 このように彼と話をする時は説教ばかりだったので、必然的に苦手意識が出来た。と言うか、完全にビビってた。そんな彼と会社の狭い喫煙所で遭遇したら最悪だ。鉄条網が張り巡らされた四角いリングに猛獣、もしくはヒクソン・グレイシーと閉じ込められるようなものだ。そんな時は「会話するには遠過ぎる距離」を確保するために、上司と反対側のコーナーへ一目散に逃げるしかない。無事に距離を取れても「煙草は心の日曜日」どころではない。私の存在に意識が行かない様、息を潜めて気配を殺さなければならないし、「目を合わせたら殺られる」ので、俯き加減にタバコを吸う羽目になる。

 そんなある日、いつものように怯えながらタバコを吸ってる私に彼が近付いてきた。「何かやらかしたか?」と、ミスした可能性がある業務を思い返してみたが、心当たりが多すぎる。
 「これは殺られる」と身構えたのだが、彼の口から出たのは意外な言葉だった。

 「事務所の自販機にドクターペッパー置ける?」 

 雑魚社員らしく雑用的な仕事をすることも多かったので、自販機業者、いわゆるベンダーとのやり取りは私の仕事だった。他の社員のリクエストに応じて入れた商品もあるが、このリクエストは想定外だ。当時はまだドクターペッパーは毒物の一種だと思ってたので、つい、

 「あんなのを飲むんですか?」との失言が出てしまった。いかん、「あんなの」扱いは不味い。これは致命的ミスかもしれない。「これは殺られる」と、再度身構えたところ、

 「いやぁ、実はドクターペッパー、好きなんだよね」と、はにかみながら返された。彼の笑顔を見たのは初めてかもしれない。きっと、彼なりの孤独を抱えていたのだろう。
 実際、世間一般の人々がドクターペッパーと聞いて連想するのは「不味い」「苦手」「罰ゲーム」の様にネガティブなものばかりだ。そんなドクターペッパーを好きだなんて言うと、周りから奇異の目で見られること確実だ。しかし、そのリスクを犯してまでものリクエストとは、なんてドクターペッパーに対して誠実な男だろう。彼の事は嫌いだが、その誠実さには好感が持てた。
 しかし、簡単に「いいですよ」とも言えない事情がこちらにあった。一般的には自販機売上の20~30%がベンダーから会社へキックバックされ、それで自販機の電気代を賄う。ただ、私が在籍中にベンダーと新たに結んだ契約はキックバック額を極端に下げ、その代わりに販売価格を大幅に下げるものだった。130円のコーヒーが100円に。140円のお茶のPETが110円に。安く買えるので従業員にはメリットがあるが、沢山売れないと電気代が賄えなえず、そのリスクは会社が負う、愛社精神ゼロの契約だった。
 よって、売れない商品を入れる余裕はない。ましてや、ドクターペッパーなんて。

 「売上下がると電気代で会社が損する可能性があるんですよ」なんて言おうものなら、「何でそんなギリギリの契約を結んだの?」と、正論と言う名のストレートでボコボコにされる。なので、「頼んだら置いてくれますけど、売れ残ったらベンダー側に申し訳ないんですよ」と、口から出まかせを言ってみたのだが、

 「大丈夫、私が飲みますよ」
 
と、勇ましい答えが返ってきた。もう、入れない理由はなかった。彼のドクターペッパー愛は本物だ。
 それにこんな事で目をつけられてボコボコの力加減が強くなるのも避けたかった。だって、完全にビビッてたから。


 以降、私が退職するまでの数年間、ドクターペッパーは売れ続けた。ベンダーから来る明細書にはどの商品が何本売れたか記載されていたが、常に一定の売り上げをキープし続けていた。昭和生まれの人だったら分かってもらえると思うが、オリコンチャートで1位を取るような爆発的な売れ方はしないけど、どんな時代でもそこそこに売れ続けている「スターダスト・レビュー」みたいな、息の長い売れ方だった。私が見る限り、職場でドクターペッパーを飲んでいる人を見た事がない。間違いなく、彼1人で買い支えていたのだ。
 
 「きっと、部下を説教しまくって渇いた喉を、大好きなドクターペッパーで潤していたんだろうな」

 ドクターペッパーを飲む時はいつも、そんな事を考えてしまう。

 
 気がつけば私も当時の彼と同じくらいの年齢だ。ドクターペッパーの良さが分かるお年頃になり、彼が中間管理職として一兵卒の私や後輩に指導、教育しなければならない立場だった事が理解出来るようになった。
 きっと今なら彼とドクターペッパーを酌み交わしながら「あの頃は視野が狭くてすいませんでした」とか、「間違った事は言ってないけど、ちょっとキツく言い過ぎたかもしれない」なんて、和やかなやり取りが出来るかもしれない。もし、そういう機会が来たら、彼にこう伝えたいと思う。

 「私が間違ってて怒られるのは良いんですけど、貴方が間違えてる時に途中で話すり替えるの、マジで止めてください」

※1・・・「巨人の星」「あしたのジョー」の原作者。何度かポリスメンのお世話になった事がある破天荒な人。昭和ってこんな感じの人多かったなぁ。

この記事が参加している募集

#創作大賞2024

書いてみる

締切:

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?