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最初は変だと思ったカフェラテの泡

カフェラテや、カプチーノを飲んだ時。カップの内側に残ったミルクの泡を、スプーンですくって口に入れる瞬間が好き。それは泡が弾けすぎてしまわないように、少し丁寧に掻き寄せる。最後のひと匙の泡は、泡が弾けてしまったミルクと一緒に、ぐいと一気に口に入れてしまう。些細なことではあるが、幸せな時間なのだ。

中学生の時、おばが銀座のスターバックス1号店に連れて行ってくれた。「ふみちゃん絶対に好きだと思う」と言って、連れて行ってくれたのだ。その時に、初めてカフェラテを飲んだ。その時のことは、しっかりと覚えている。それは、衝撃の出来事だったから。熱いカフェラテを啜ると、今まで口にしたことがない、何かあわあわしたものが舌の上に乗っかってきた。そして、口の中で泡が踊った。すごくすごく変な感じだった。正直、気持ちが悪いと思った。蛙の卵みたいだなって。とりあえず砂糖をいっぱい入れて口の中をごまかして、その慣れない飲み物を飲み干した。外はカラッと晴れた気持ちのいい夏日で、でもそんなに暑くはなかった。爽やかな銀座の一角で、蛙の卵みたいな飲み物を飲んだ。夏の始まりのその想い出は、その日の空気感と一緒に、時々思い出す。想い出になってしまうと、蛙の卵みたいな飲み物も、そんなに悪くない。

その後、いつ2回目にカフェラテを飲んだのかは、覚えていない。でも、いつしか何も疑問に思うことなく、カフェラテを飲むようになった。今は、いろんなカフェでそれぞれのカフェラテを味わうのが楽しい。ミルクの味、カップやグラスやラテアート。最初に思った蛙の卵みたいだなんて、今ではいちいち思ったりしない。そう思うどころか、おいしいと思ってる。

慣れないものが体に馴染んで、違和感がなくなる。そして寧ろ、好きにもなる。嫌いなことや受け入れ難いことって、徐々に慣れていけるんだと思う。周りの人や好きな人たちの、嫌いまではいかなくても、合わない部分や気に入らない部分。そんなこと、日々の中にはいっぱいいっぱいある。いっぱいあるけれども、少しでも。カフェラテが普通に生活の一部になったように、少しずつ慣れていくことができたらいい。優しい広い気持ちを持っていれば、できる。どうにも受け入れられないことは、それはもうそれまでだ。ただ少しの優しさを、多くの人が持っていれたらいいな。カフェラテのカップの淵についた泡を寄せながら、そう思った。
カフェラテがあって、好きな人たちと過ごす毎日って、愛おしいなと思う。


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