似て非なるもの


サービスエリアの喫煙所に行くと、しばしば電子タバコの営業の人がいて、「一本いかがですか」と、声をかけられる。
「結構です」と答えると大抵は、「ありがとうございました」と言って去ってゆく。
なんだか申し訳のない気持ちにもなるのだが、矢張り吸いたくないものは吸いたくない。
私にとっては煙草と電子タバコは、同じ「煙草」の名を冠していても、似て非なるものなのである。
例えるならば、家でつくるカレーとスープカレー程に違う。

更に付け加えるなるば、煙草であっても「ラッキーストライク」以外は吸いたくない。
私はただラッキーストライクというものが、好きなだけなのである。
だから出先で煙草を切らしたとしても、他の銘柄の人から貰い煙草をすることもない。


電子タバコを吸う所作は、紙パックの飲料を飲む時のそれに似ていると思う。
ニコチンジュースである。
煙草は葉っぱが燃えているからよいのだと思う。
その起源は、太古のアメリカの先住民達が、儀式や病気の治療に使っていたところにあるらしい。
そんなわけで煙草にはどこか、呪術的でシャーマニズム的なものがあると考えている。
だから私は、携帯電話を触りながら片手間に煙草を吸うなんてことは、とてもじゃないができない。
次第に短くなってゆく煙草、そこには浪漫や感慨、空しさがある。
電子タバコと煙草では、まったくもって訳が違うのである。


先日、サービスエリアの喫煙所に入ると、活発な風情の女性が中年男性二人組を相手に、電子タバコの営業をしていた。
男二人は結構々々、と女性を、あしらって出ていった。
間の悪い時に入ってしまったと思った。
私が煙草に火をつけて、プカプカと煙を弄んでいると、案の定、女性は私に電子タバコを勧めてきた。
しかし、その最初の切り口が好意的で、私は思わず話だけでも聞こうという気になった。

「電子タバコは………、吸わないですよね」
と申し訳なさそうに、それでいて愛嬌のある話し方で言った。私は、
「専らこれなもので」
と、左手の煙草を小さく上げた。

女性は、
「家で吸われるのであれば、火災のリスクが減りますよ」
と言った。
「寧ろ、そういうリスクを背負っていることで、生活に緊張感ができて、注意力が散漫にならずに済んでいます」
と私は答えた。

「室内での臭いもかなり緩和されます」
と女性が言ったので、
「私はこの匂いが好きだし、疎まれるのも喫煙者の仕事ですから」
と私は言った。
女性は矢継ぎ早に、
「健康被害のリスクもぐっと下がります」
と言うので、
「本当に健康のことを考える人間だったら、電子タバコも吸わないに越したことはない。私は煙草一本で寿命が五分半削れるということも自覚しながら、一本一本大事に吸っています」
と答えた。
女性は「ぐぬぬぬっ」という顔をした。
そのような問答が、暫く繰り返された。

ひとしきり話した後で、
「電子タバコじゃ、死んだ後に墓前に供えてもらうのに格好がつきませんね」
と私が口にすると、女性は「はっ」として、
「確かに、その考えはありませんでした。まったくそれは盲点でした」
と、納得した様子であった。

「御影石の電子タバコが発売されたら、考えてみますね」
と言うと、
「すごく値がはりますよ」
と女性は言った。

「喫煙者は搾取され慣れていますから」
そうして、互いに手を振って、私は喫煙所を後にした。

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