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【in my book_#15】 ビートたけし 『下世話の作法』

” この本は、私の『聖書』である。 ”

タイトル通り、これまで読んだ北野作品の中でも核心に迫る内容だ。

全編を通して著者の意見は至極真っ当で『正しい』のだが、この『正しさ』をもって人生を生きることがいかに難しいかということに気づく。

人生いろいろ、男もいろいろ、女だって。。。とは、よくいったもので、基本的に人生は思い通りにならない。

じゃあどうするのか?という岐路に立たされたとき、本人の考え方や行動で全てが決まっていくのではないだろうか?

本書では「品とは」「粋とは」「作法とは」という3つのテーマを中心に、いつもの”たけし節”炸裂で解説されている。

人生に「品」や「粋」というワードが深く根付いているところが、やっぱり東京人だと思いながらも、自分も同じような環境で育った身としては共感することが多かった。

人気のレストランで、順番待ちをしていて、食べてる人の後ろで立っているなんてみっともないとか、飲食店で「うまい」とか「まずい」とか言うのは下品だとか、そういう常に他人に配慮する感覚は「真の都会人」だと思う。

自分も子どもの頃から教育されているので、不特定多数の他人が暮らす都会で、何をどうすることが「正しい」「品がある」のか?何となく知っている。
だからこそ、想定外の場面に出くわすと「これってよくないな」と思うこともある。

しかし、地方に住んでいると、たまに、本当に純粋な若者がいる。
スレてないというか安全な人間関係の中で、のびのび育ってきたような心の清らかな?人である。

特に若い女の子がカフェとか飲食店で、食事が運ばれてくると「わー、おいしそー」「かわいいー」とか、今どき、こんなアルプスの少女みたいな子いるのか?と思うような子がいる。

その子に対して「静かに食べなよ」とか「他のお客さんもいるんだから」とか、やっぱり言えなくて、逆に素直すぎるリアクションが可愛く思えてしまうのだ(やっぱり男ってバカなんですね)

でも、そういう子だって大人になれば、いろいろな人付き合いや社会の中で自分の立ち振る舞いを考えなくちゃいけない時が来るはずである。

そこで「正しい」おこないをできるかは、その人にかかっている。

楽して、都合よく生きていたら成長しない。
いつまでも自分を受け入れて、認めてくれる人とだけ付き合っていたら、30になっても、40になっても、50になっても飲食店で「これ、マジうまいよね」って言うような大人になっているだろう。

そんな下世話な会話にも「作法」があることを、その人は一生わからないのだ。

「品」があって「礼儀正しい」ことは人間の美徳である。
そんなことを伝えようとしている本書は、やはり『聖書』なのかもしれない。

個人的には北野作品の中で一番のおすすめ。

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