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家事本、処方しておきますね。【6・完】

子どものころ、嫌いな食べ物を頑として口に運ばない私に、母がため息をつきながら「まぁ、大人になったら食べられるようになるでしょう」と言った。ほほう、そういうものなのか、と思った私は、あらゆることを「大人になった自分」に丸投げする習慣がついた。

「今は食べられないけれど、大人になったら食べられるようになるよ」
「今はできないけれど、大人になったらできるようになるでしょ」
「今は忙しいだけで、大人になったらきちんとやるよ」

子どもの頃の自分に言いたい。

おまえ、将来の自分に期待しすぎだ。

「大人になったら」を想像するとき、頭の中に思い描かれるのは、たいてい、ロングヘアロングスカートの女性らしいファッションに身を包み、優しい表情でこちらに向かって微笑む、人畜無害そうなお姉さんの姿だった。

誰だこれ。

もう一度言う。

誰だよ!

これじゃもう、大河ドラマの子役から俳優への時どころか人を超えた超絶変化だよ!

貴女の将来は、今の貴女の思考、行動、努力の集積によって作り出されるものであり、もちろんベースとなるのは今の貴女そのものであって、どっかのだれかが「はい、ご希望の将来です、ドーゾ!」と差し出してくれるものではないのだよ。そこんとこおわかり?
もちろん、そんなこと知ったこっちゃない過去の私は、未来の自分に過度な期待をかけ続けた。

大人になったら自然とできるようになると思っていたこと、の一部に、以下のものがある。

「華麗な包丁さばき」「毎日ごはんを作ることを面倒くさがらないメンタル」「部屋をきれいにするモチベーションを保つこと」

言うまでもないが、できるわけがない。
母親の手伝いすらめんどくさがった女が、鼻唄歌いながら台所に立てるわけないし、りんごの皮むきが面倒で弟に押し付けていたやつが、目にもとまらぬスピードのみじん切りなんてできるわけがないし、実家の自室ですらごちゃごちゃにしていた人が、2LDK(とは名ばかりのDK)をぴかぴかにできるわけがないのである。

そんな私が、「将来、自分の家庭を持つならば、是非参考にしたいライフスタイル!」と目を煌めかせて買った本がある。20代の前半で、結婚話を出すことすら憚られる時期だった(24歳くらいのときに「最低でも30までは結婚しない」と言われ、6年間を一体どう過ごせというのかと絶句したが、案外早く時は流れました。無常。)。当時私は人生における最激務期を迎えていたはずなので、夢や理想を思い描くにあたり、その反動が大きかったのだと思う。

それが

『家事のニホヘト』(伊藤まさこ著、新潮社社発行)

だ。
「イロハ」ではない。その先の家仕事を!というコンセプトで「ニホヘト」。
編集者としても「なんていいタイトル!!」と拳をガンガンしたくなるファーストインプレッションだった。

版画のようなロゴ、オレンジのざらついた紙を用いたカバー、写真入りの腹帯(太い帯のこと)。今思うとお金はかかっている本なんだが、シンプルで魅力的な装丁だった(あ、家事関係ありませんね!)。


***

「自分がしたいからする」家事。
「こだわりの」家事。

写真を多用して構成されたページからは、著者が家事を片付けていく軽快な音や空気が流れ出てくるようだった。

玄関は毎日雑巾がわりの古布で拭く。白くこざっぱりした空間が気持ちいいから。

ほうきが好きで、たくさん集めている。場所ごとに使うほうきは分ける。

洗濯物は、干す前に一度たたんでバンバン叩く。シワがつかないで、ピシッとした襟に。

定期的に、空気の淀みや匂いが気になって、晴れた日の昼間に引き出しやら棚やらの戸をすべて開ける。もやり退治、と呼ばれる。

一日の終わりは、白いふきんをぐつぐつと煮沸消毒する。ぐつぐつという音を聴くのが好き。ふきんも真っ白になる。

家事のこだわりというのは、つまり暮らし方のこだわりであり、人生をこだわることと同意だな、と思う。日々の食事が体を作るのと同じく、日々の家事のこだわりが、自分の人生の軸となるのではあるまいか。

この本には姉妹編の『台所のニホヘト』もあり、こちらでは料理や台所回りの話が語られている。
こっちは、結婚直前にゲットした。

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結論から言うと、このライフスタイルを追いかけるのは無理だった。当たり前である。
ドブネズミがある日突然ミッキー○ウスになりたいと言ってるようなもんだ。日々の積み重ねなしに、高みへは飛べない。
努力なしに、完全無欠の大人にはなれないように。

それでもやっぱり伊藤まさこさんの暮らしは私の憧れで、他の本もいろいろ読んで、レシピを真似したり、インスタをフォローしてみたり、ほんのちょっと、エッセンス程度のものを暮らしに取り入れてみたり(同じ鍋買った……)している懲りない私である。

「いつかは」
そう思いながら、まずは時短でもいいから家事をこなしていくのと、
「いつかは」
と思いながらだらだらするのとでは、将来行き着く場所が全く異なるはずだ。

いつかは豊かな暮らし、がしてみたい。
もはやそれが何なのかも一時見失ったけど、毎日ちまちましたことを片付けているだけでも満足ができて、あまった時間に好きなことができればすごくすごく嬉しい。そういう生活かな、と思う。

今日も私は家事をする。
家事本を読む。

貴女にも家事本、処方しておきますね。

おわり。

サポートをご検討いただきありがとうございます! 主に息子のミルク代になります……笑。