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『セシルのもくろみ』ED曲に見る「カッコいい」女。

(※ヘッダーはフジテレビ「セシルのもくろみ」広告)

フジテレビのドラマ「セシルのもくろみ」のエンディング映像にやられた。

真木よう子、伊藤歩、板谷由夏、長谷川京子、吉瀬美智子。ドラマに登場する女優たちが次々とカメラの前に立ち、ポージングする。
しなやかな動きに、一瞬一瞬変化する表情。

カッコいい。

美しいだとかキレイだとか素敵だとか、様々な形容ができそうな中で、あえて使いたい「カッコいい」という褒め言葉。
男性の容姿を褒めるときに使われることが多いこの言葉を女性に使うのは、相手を自分とはステージの違う存在だと認めたときだけである気がする(宝塚の男役に投げられる称賛の言葉などはわかりやすい)。

一体、何をもってして私たちは彼女たちからステージの違いを感じとるのだろう。
「セシル」のエンディングを思い出しながら考える。

スタイルの良さ。漂うゴージャス感。カメラを見据える目力の強さ。堂々とした態度。露出の高い服を着こなせるエネルギー。自信。とびきりの笑顔。シワも気にせず。

イメージを並び立てていたら、ふと納得のいく言葉が現れた。

「成熟」。

***

「セシルのもくろみ」の「セシル」は、サガンの『かなしみよ、こんにちは』に登場するヒロインに由来するらしい。
「親父がクソ」の一言に尽きる話であったが、若さと美しさを武器とするティーンエイジャーであるセシルが、自らの浅はかな企てにより、生涯にわたって消えない「かなしみ」を背負うことになる一夏の出来事を語った「未熟さゆえの愚かさ」が描かれた物語だった。

ドラマの第一話を見る限り、確かに彼女たちは「セシル」っぽい人々だった。
自分の野心のために他人を傷つけることを厭わない。企む。上乗りする。陥れる。
アラフォー世代の読者モデルや女性誌編集者たちが、これからどろどろするんだろうな、という雰囲気が漂っている。カッコいいかと聞かれたら、全くカッコよくはない。

自信がないから、自分を伸ばすのではなく、他人を蹴落とそうとするし、有名人との繋がりやブランドものに飛びつく。わかりやすい「未熟な女性像」がこれでもかと飛び出してくる。

女のバトルものを見ていてイラッとする原因は、敵役の女が憎いことばかりではない。
「おまえも未熟な女だよ」
と囁かれている気持ちになることも、その一因なのではないか。

***

ドラマ視聴時と視聴後にネオお茶の間を覗いてみたら、タイムラインはドラマの感想よりも、エンディングを褒める声で賑わっていたように思う。(ずっと見ていたわけではないけれど、パッと遡った感じでは)

いいか悪いかはわからないが、エンディングで女優たちは、あまり各々の役柄に縛られていないような気がした。新米読モの真木よう子は、慣れた様子で下半身を上下させ、カメラを睨む。カバーモデルの吉瀬美智子は、目尻まで下げた全開の笑顔で頬を押さえる。

この映像で見られる彼女たちのカッコよさは、役柄の持つものではなく、彼女たち自身からにじみ出ているものなのではなかろうか。

無名塾出身、結婚離婚を経ながらも、着実に演技経験を積み重ねた真木よう子に、30代を過ぎてこれまでのモデルのキャリアを全て捨てて女優転身、遅咲きなどと言われた吉瀬美智子。丸坊主やヘアヌードなど過激な演技をしていたわりに、露出が増えて名前が広がったのはここ最近……という伊藤歩、一時様々なところで姿を見ていたけれど、ここのところ見かけない……という時期を越え、不倫主婦や悪女役がはまるようになってきた長谷川京子。1990年代に博多華丸たちとCDデビューという異色の経歴を持ちつつ、派手な役よりもしっかりした脇役の経験を積み重ねてきた板谷由夏。

経歴を見ていても、パッと成功した人はいないし、自分で覚悟、決断をし、前に進んできた人ばかりである。
ドラマの中でわいわいする役柄たちがセシルなら、彼女たち自身は内からの輝きでセシルの父の若い恋人をはねのけた「アンヌ」だ。

視聴者たちがエンディングに興味を引かれたのは未熟なセシルより、成熟したアンヌに惹かれたから……もちろん、テーマソングと映像の作りがバッチリはまった、というのもあっただろうが。

***

先日大団円を迎え、最終9巻が発売された『東京タラレバ娘』でも、倫子に「あんたの好みは何女なの?」と聞かれたkeyくんが

「カッコいい女」

と答えていた。
(その後登場人物たちがカッコいい女にまつわる持論を展開)
keyくん、おまえもか。

ほらほら、時代はカワイイよりカッコいい。

未熟より成熟。
若さより深み。

……そんな断言が出来たら、年を取るのも楽しくなるに違いないのに。

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