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僕にとっての1993年

2022年、明けましておめでとうございます。
昨年末に92年を振り返って締めくくった当note、引き続き細々とではありますが気長に人生記録していきたいと思います。

そんな訳で、今回は1993年。
この頃になると、前回92年の回顧録でも触れましたが、日本のダンス、ヒップホップ、クラブカルチャーも現場熱がグツグツ煮え立ってきてた頃なのではないかと思われます。
というのも、夜遊びデビュー前の自分や周りのダンス友達と情報交換するなかで、クラブに行った人の実体験などは頻繁に耳にしたりすることができ、「へぇ~今のダンススタイルってそうなってるんだ~!」なんて驚きが個人的にも多かったと記憶しております。
そのなかでの個人的な驚きトピックが「ホーシングみたいなスタイルはもう全然踊る人いない」といった話が耳に入ってきたときですね。

92年の記事でも触れたように、海外勢の「Mop Top」や「Misfits」といったダンサーたちのスタイルが「ヒップホップ・スタイル」または「ニュースクール」といった名前で呼ばれ、それらのダンススタイルが流行りとなって定着してきたのもこの年代だったかと思います。
あとは、HOUSEで踊るそれこそ「ハウス・ダンス」が日本に持ち込まれ始めたのもこの頃かと。
その辺は、ハウスのオリジナリエイター「KOJI」さんのインタビュー記事を読んでみるとまた面白いかと☆

と、シーン全体の93年考察はこんな感じですが、個人的にはそんな現場の証言を聞きつつ、ダンス的な吸収ってそうなかったのかなぁと。
むしろそうした夜遊び現場にまだ行けないもどかしさのなか、出来得る限りの情報を吸収しようと、音楽的な部分にアンテナ張ることが多かったと思います。
なので、学校の下校時に輸入盤CD屋に足運んでは1枚また1枚と、ヒップホップ・アーティスト達の作品を買っては聴いてといった生活を重ねておりました。
その時一番衝撃を受けたのがこれ。

KRSティーチャーのソロ名義としての1st!
クラシックとしてもご存知「Outta Here」が再生ボタン押して初っ端にズドン!!と流れてきた時の衝撃は、ほんとにヤバかったです。
鳥肌、背筋に電流モノでこれは、91年にPEに出会って以来の洗礼でした☆

あとは、RUN.DMCのこちらの作品。
飛ぶ鳥を落とす勢いのPETE ROCKプロデュースによる「Down With The King」、カッケーなんてテンションあがって聴いてましたが、この頃のとあるレビューでは、King Of RockのRUN-D.M.Cがプロデュースに若手を起用することに残念がってたりする記事を目にして、そうなの~?なんてスッキリしなかったりしてましたねぇ。
所詮、外野の評価っていえばそれまでなのに若いなぁ自分。(笑)

あとは、こちら!
説明不要のウータンのデビュー作!
これも93年ですね☆
ダンス的観点でいうと、「Elite Force」が「Wu-Tang Clan Ain't Nuthin' ta F' Wit」を使ってたのもあり、ここからカンフーネタの音源を使う流行りもあったなぁと。

あとは、当時CSで海外のPVを録画してくれてビデオを回してくれた友人がおり、そこで出回ってくるビデオのなかに必ず「Souls Of Mischief」の「93 'til Infinity」が入ってて、かっこいいんだけど流石に見飽きてしまってたのも懐かしい。(笑)

と、自分にとっての93年を振り返ってみました。
こうしてみると、自分の周りのダンス仲間たちもそれぞれ踊るジャンルが分かれていったのも、この年から翌年94年が境目になってたんだなぁと再認識。
自分がブレイキンを始めるきっかけは、翌年の94年だ!
なんて発見もしつつで、本記事は締めさせて頂きます☆

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