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ひきこもりが勉強の楽しさを知って、通信制大学に出願を出した話

世の中には、勉強が得意な人と苦手な人がいる。私は後者だった。

特に苦手なのは数学だ。数字とアルファベットがずらーっと並んでいるのを見るだけで、嫌になってしまう。「こんなの分かるわけないよぉ」といつも半泣きだったけれど、それは私だけで、クラスのみんなは「こんなのも分からないの?」と私を笑った。

笑われて、「くそ、今に見てろよ!」と闘気が湧いてくる性格だったら良かったのだが、残念ながら私にそんなアグレッシブさはなく、笑われた分だけ勉強が嫌いになっただけだった。

そんな勉強嫌いでひきこもりの私だが、なんと、10月から通信制大学の生徒になる。

勉強嫌いだったはずの、しかも不登校からひきこもりになった人間が、一体どうして通信大学に入学しようと思ったのか。その理由を、これから書いていきたいと思う。

それって本当に、「勉強が苦手」なの?

冒頭で書いた通り、私はずっと数学が苦手だった。

学校にいた頃、数学の授業では先生の言うことが全然分からなくて、途方に暮れていた記憶しかない。もうどこが分からないのかも分からなくて、答えを間違えたり、答えられない度に周囲に笑われ、いつも惨めだった。

不登校になってからはどうなのかというと、「勉強」や「教室」といった学校と繋がっているワードや空間に拒否感を覚えるようになってしまい、そんな状態で自習できるわけもなく、私の数学のレベルはお恥ずかしながら小学校高学年〜中学1年生の初めぐらいで完全に止まっていた。

だけど今年の春頃、何かの動画を見ていた時に「微分法」という言葉が出てきた。なんだそれ、と思った私はとりあえず母に聞いたが、母もよくわからないと言う。(我が家は親子揃って数学が苦手なのである)

そこで、YouTubeで解説動画を検索してみたところ、私は「数学・英語のトリセツ!」というチャンネルを見つけた。

「微分積分学の基本定理? うわーもうタイトルからして難しそう⋯⋯」

そう思いながら動画を視聴した。

⋯⋯。

⋯⋯あれ? 何を言ってるのか分かるぞ??

途中で出てきた数式はよくわからなかったが、それでも微分法と積分法が何なのかは理解できた。微分法と積分法の関係についてもバッチリだ。あれ、おかしいな。私、数学は苦手で全然分からないはずなのに。

その後、同チャンネルでは中学や高校の数学についても教えていることが分かったので、試しに中学1年生の再生リストの中の動画も視聴してみた。

⋯⋯。

やっぱり、何を言ってるのか分かる。

あと、滅茶苦茶わかりやすい。私が学校で受けてきた授業はなんだったんだ、ってぐらい分かりやすい。

すごい、あんなに分からなかったものが分かる! と、感動のあまりはしゃぎ回ってしまった。本当にすごい。私いま、マイナスとマイナスがなんでプラスになるのか分かる! 人に説明もできるぐらいに理解できてる!

そして気がついた。

もしかして私、勉強が嫌いなんじゃなくて、笑われるのが嫌いだったんじゃないか?

思えば、勉強が苦手だと感じ始めたのも、「分からないから」だったのかもしれない。分からないから自分は苦手なんだ、自分にはこれができないんだ、って思い込んでいただけで、別の説明の仕方をされたら、全然苦手なんてことはなかった。苦手どころか、むしろなんだか楽しい。

今なら分かる。当時、先生の説明を何度聞いても分からなかったのは、きっと先生の教え方が私の理解の仕方との相性が悪かったのだろう。ずっと「分からないものをとにかく覚えろ」と強いられるのがキツくて、私は勉強を苦手になったけれど、勉強って本当は「覚える」ものじゃない。「分からないことを理解できるようになる」ものだった。

それでもって、「分からないこと」が「分かった時」というのは、すごく楽しいものだったのだ。

思えば、昔から小説を読んでいる時に分からない言葉や漢字があると、すぐに辞書で調べては「こういう意味だったんだ!」とか「この字ってこう読むんだ!」と、新しいことを知るたびに喜んでいた。なんだ、それと同じことだったんだ、と長年積もってきた勉強に対する苦手意識が、一瞬にして融解するのを感じた。

また、今まで私がノートだと思っていたのが、ただのメモ書きであることも知った。どうりでどれだけ黒板の内容を写したところで、あとで見返すと訳がわからなくなっていたわけだ。

私は動画を見ながらメモを取り、それを元にして、ノートに自分の言葉でわかりやすくまとめるようになった。見やすい綺麗なノートを取る方法やコツを、動画やサイトなどで調べて、自分に一番合う方法も見つけた。その甲斐あってか、今ではノートを見返した時に何を書いているのか分からない、なんてことは無くなり、むしろ忘れた箇所があってもノートを見ればすぐに思い出せるようになっている。

ノートを1冊丸ごと使い終わったときの達成感は、とても大きかった。これだけのことができるようになったんだ、と思うと誇らしくもあった。

かつて勉強を苦手だと思っていた時間を取り戻すかのように、勉強に打ち込み出した私は自然とある考えが頭に浮かぶようになった。

──「もっと勉強がしたいな」、と。

ひきこもりで、しかも中卒⋯⋯それでも「通信制大学」に通えるの?

最初に「通信制大学」という選択肢があることを教えてくれたのは、母だった。

私が勉強したいと思っていることを知った母は、「こういうのもあるよ」とホームページを見せてくれた。

「本を読んだりネットで調べて、独学で勉強することもできるだろうけど、せっかく勉強したくなったなら、これも選択肢のひとつなんじゃないかなって思うよ」

確かに、独学には限界があることは私も感じていた。でも大学となると難易度が高い。

まず第一に、私はひきこもりである。元々はいじめを受けて不登校になったのだが、気づけば引きこもっていたし、ついでに言うと、この数年でようやく「私はひきこもりなんだ」と自覚したほどで、自覚してからは、「以前の私って、こんな簡単なことにも気づけないぐらいヤバい精神状態だったんだな⋯⋯」と身震いした。

第二に、私には高卒資格がない。要するに高校を出ていないのである。先述の通り、学校にまつわるもの全てがトラウマ状態だったせいで、まともに学校に通うことがどうしてもできなかった。一番ひどい時には、笑い声のする教室の前を通ることすらできなかったぐらい。

「高校も出てないのに、大学って入れるの?」と聞くと、母は、
「学校にもよるけど、通信大学なら特修生制度って言うのがあって、一定の単位をとることで高校を出ていない人でも入学できるみたいだよ」と教えてくれた。

それを知って「やった!」と感じたのが、多分、答えだった。

「⋯⋯私、試してみてもいいかな」

私の問いに、母はにっこり笑って「もちろんだよ」と言ってくれた。

しかし残念ながら、周囲の人全員の賛同を得られたわけではない。特に、父と父方の祖父母にはひどく反対された。特に祖母には「今からでも高校に通って、ゆくゆくは普通(通学制)の大学に行って欲しい」と遠回しに、あるいは直接何度も伝えられた。ちなみに祖父は音信不通になった。

正直言うと、そんなにも反対されると思っていなかったので、最初はすごくびっくりしたし悲しかった。

ひきこもりの自分が再び社会と関わろうとしていることを、父も祖父母も喜んでくれなかったことが、一番のショックだった。けれど、家族だって他人なのだから、違う考えを持っているのも当たり前だ。母があまりにも自然体に私の選択を後押ししてくれたものだから、そんな当然のことをうっかり忘れてしまっていたのかもしれない。

それに、両親は離婚しているので、私がひきこもってきたこの10年間の姿を知っているのは、厳密にいえば母だけなのだ。どれだけ頻繁に連絡をとっているつもりでも、実際に目にするのは違う。父や祖父母にとって、私がひきこもっていることや、いじめられたことによるトラウマを抱えていることは、文字の上でしか知らないことだ。だから、私がどんな風に苦しんで、どんな風に自分の殻に閉じこもってきたのか、本当の意味で知っているのは、そばでずっと支えてきてくれた母だけだった。そのことを改めて思い出した。

そんな母が背中を押してくれていることは、私にとって「お守り」みたいなものだ。私は父と祖父母を真に説得することはできなかったが、私には私の考えがあって、色々考えた末に通信制大学に行く決意を固めたのだということだけは、どうにか伝えることができた。

ひきこもりの入学準備

当たり前だが、決意が決まっただけで大学に通えるわけがないので、ここからは通信制大学に関する現実的な話をしたいと思う。

まず、最初に私の前に立ちはだかったのはこの世で最も現実的な問題──そう、「金」である。

これまた当たり前の話なのだが、大学なのだからお金がかかる。とは言え、ありがたいことに通学制に比べるといくらかリーズナブルだ。

文部科学省の「国公私立大学の授業料等の推移(平成30年度)」を元に計算してみたところ、国立大学の4年間の学費はおおよそ242万5200円である。対する通信制大学はこちらのサイトによると、平均で大体110万円とのことだ。通学制の半分ぐらいなのを考えると、結構良心的な価格なんだなと思う。

もちろん、通学制にしろ通信制にしろ、学費は大学によってはかなり差があったりもする。例えば、早稲田の通信制大学は驚異の450万円だ。え、怖っ⋯⋯。

さらに、例えば私のように特修生制度を利用して入学する場合、最初は正科生ではなく科目履修生という扱いになるので、最短でも4年間+科目履修生分の学費が掛かる。いくら通学制よりリーズナブルとは言っても、やっぱり学費は学費。お金が掛かることに変わりはない。

ところで、世の中にはひきこもりはひきこもりでも、バイトをしているひきこもりがいるらしい。ひきこもりの定義を問いているように思うが、残念ながら正真正銘のひきこもりの私には、仕事の経験はおろかバイトの経験もない。

でも、学費は親に頼れない。

母が経済的にあまり豊かではないことや、父が反対しているというのもあるが、やはり「自分が行きたいと言い出したことだから」というのが一番大きい。それにやっぱり、この10年ひきこもっている間ずっと面倒を見てくれた母に、これ以上お金を出させるのは気が引ける。

つまり、これは私にとって実質的な社会復帰なのだ。

母には、「せっかくなら勉強にしっかり専念して欲しい」と言われたが、そういうわけにも行くまい。そりゃ、ひきこもり生活からいきなり勉強+仕事の生活に移行するのだから、私だって不安だ。本当にうまく行くのか? 私なんかが本当にできるのか? やっぱりやめておいた方が良かったんじゃ⋯⋯と、何度も何度も情けない考えが浮かんだ。

でも、ここで諦めたら私は一生今のままだと思う。毎日毎日、親の脛をかじるひきこもりのまま、「やってみたいけど自分には無理」とひたすらウジウジ落ち込む日々。こんなことを私は一生続けていくつもりなのか?

答えはNOに決まっている。そんな一生は嫌だ。特にnoteを始めてから、強くそう思うようになった。

「素敵な記事を書いてるみんなのように、私も頑張って生きたい」

不安に押し潰されそうになった時はいつもその気持ちが、私に歩き続ける力を、踏み出す勇気をくれる。

「頑張る私」で在るために

通信制大学に通うと決めて、仕事を始める決意をして。少しずつ前に進もうとするたびに、視界が晴れていくように感じる。同時に、自分の視野が今までどれだけ狭かったのか、どれだけ自覚なくひきこもっていたのかを痛感もしている。悔しかったり、悲しくもなるけれど、それに気づけたということは一歩前進したということでもあると信じて、これからも進み続けたい。

ひきこもって他者との関わりを拒絶してきた私に、果たしてどれだけの事ができるのか。本当はまだ分からないし、先述の通り、正直まだ怖いというのが本音だ。

それでも、あの時勉強したいと思った自分の気持ちを裏切りたくない。無かったことにしたくない。

noteに登録した日のことを思い出す。あの日、私を突き動かしていたのは、凄惨ないじめの事件に対する怒りだったけれど、思えば、それに対して「記事を書こう」と思って行動をおこせたことは、大きな一歩だったのかもしれない。

変わりたい、私も頑張りたい。そう思っていることに嘘はつきたくないし、蓋もしたくない。これ以上頑張れない自分のままでいるのは、自分が一番嫌だから。

だから、がんばれ、私。


後書き

最後まで読んで下さり、ありがとうございます。

今までも自分の内心や現状に踏み込んだ記事を書いたことはありますが、それでもこの記事を書くのは特別緊張し、本当は投稿するか迷ってしまうぐらいだったのですが、今の気持ちをしっかりと残し、未来の自分にエールを送りたかったので、投稿することにしました。

ところで、履歴書や求職のメールを書いていると特に思うのですが、noteってすごく書きやすいですよね⋯⋯noteっていうか、私の場合は自分の思ったことを取り留めなく書いているからかもしれませんが、少なくとも自己PRなんかよりは絶対に書きやすいと思います。自分の良いところをアピールかつ、自慢にならないようにするって難しくないです? そもそも自分の良いところってなんだ!? ってなって、全然書けなくて大変でした。嘘です、過去形じゃなくて現在進行形で大変です。自己PRの書き方で検索して、片っ端から読みながら悲鳴をあげています。

通信制大学は、時間に縛られず、勉強できるときに勉強できたり、必ず会場でスクーリングを受けなくても良いところが、通学制と比べて非常に高いメリットだと思います。社会人や時間のない人にとってはもちろん、私のようなひきこもりにとっても、いきなり日々通学するよりも難易度が高すぎなくてちょうどいいのではないかと思います。

「社会復帰」というとやはり就職するイメージが強いですが、通信制大学などで「勉強をする」ということも社会復帰の選択肢のひとつとして、もっと広がれば良いなぁなどと思いました。

長くなりましたが、もし良かったら「スキ」や、コメントなどで応援して頂けると嬉しいです!

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