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最悪な私に関する物語(前編)

「パワフル」に関するいちばん古い記憶。

母が大きな声で怒っている。目を吊り上げ、いままさに殴ろうとそのこぶしを振り上げている。こぶしでなければ、長くて細い棒状のものを振り上げる。それは木でできた裁縫用の物差しだったり、弟の机の上にたまたまあったプラスチックの30センチ物差しだったりした。時には掃除機の”管”の部分だったこともある。母がそのようなものを持ったとき、私はすでに殴られることに決まっている。時には物差しが折れるまで、そして私の身体にミミズ腫れを残すまで。

私の中で母は「パワフル」の代表のようなひとであり、「パワフル」は私の中で暴力や怒鳴り声、怖さと紐づいている。

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もうひとつの古い記憶。

小学生時代の下校途中のこと。
いつも一緒に帰る友達2人が私より少しだけ前を歩いて、2人で仲良く話している。私はその会話に入りたくて、小走りで2人に近付く。すると、2人は「怖い~!」と言いながら、走って逃げてしまう。

怖いことはいけないこと。嫌われること。怖くしてはいけない。
それは、私が生きていくために必要な教訓だった。

同じ頃、大好きだった少女漫画では、儚げで受け身で守ってあげたい女の子が尊ばれた。恋愛漫画の主人公に「パワフル」な女の子はいなかった。
「パワフル」な女の子は愛されない。それもまた私に必要な教訓だった。

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けれど、いま振り返ってみると、私はすでに子どもの頃から「パワー」のある子どもだった。
小学校に入る前から、ひとりでいるのが平気だった。
やりたいと思ったことを何としても達成せずにはいられない性質。
ひとの言うことを聞けず、常に自分のやり方でやろうとする。
集団の中でも物事を決定することに躊躇をしない。

私は自分自身の「パワフル」さに気付き、それを嫌悪した。

嫌悪するということは、それを自覚することすら拒否するということ。
私は自分の短所として「パワフルさ」という言葉を口に出すことができなかった。それは、絶対に誰にも気づかれてはいけない私の最も悪い部分だった。本当に本当の自分の悪い部分というのは、言葉にすることさえ許されない。もし、私が「パワフル」で「怖い」ということを知られてしまったら、私は生きてはいけない。

私は一生懸命、多くのエネルギーを使って自分を警戒し、コントロールしようとした。
それはなかなか上手くいかなかった。
もっともっと自分を抑圧し、もっと当たり障りのない自分でいないといけない。衝動的に思ったことを言わないようにしないといけない。常に目の前のひとに合わせて、自分を調整する。ひたすら相手に合わせる。疲れる。どんなに抑制しても、ほんの少しの隙間から漏れるパワーは、ライトセーバーのような強さで周囲のひとを怯えさせる。ひとは私の奥に抑圧したパワーを感じ、それが全く表に出ないことに怖さを感じる。どんなにおとなしくしていても、しばしば「怖い」と言われてしまう。もう誰にも私という存在に気付かれなければいいのに。

(続く)

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昨日、ブレイクスルーがあって、自分の中の「パワフル」に関する物語がいったん完成したので、表に出してあげたくなりました。
思いのほか長くなったので、続きはまた今度。

いつかこの物語が、必要とするひとのところに届きますように。

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