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子育て卒業旅行。

今、東京に向かう新幹線の中です。

隣の席には息子。その隣には夫。
新幹線にはわりと乗り慣れている方だと思うのだけど、家族を連れて乗る時はなぜかドタバタします。たぶん、早め行動を旨とする癖に自分で段取りを組まない彼らに「何時に起きればいいの?」「何持って行けばいいの?」「何時の新幹線?」とか聞かれまくるからだと思います。メンドクセー。

今回は、就職してこの4月から東京で暮らす息子の引越しのお手伝いのための上京です。
わざわざ東京までついていくか?本人に任せて放置するか?夫を巻き込むか?わたしだけが行くか?などなど数ヶ月前から色々議論しましたが、とりあえずこのようなカタチになりました。

この旅は、うちの子育て卒業旅行なんだと思います。

自分の子育てを振り返ってみると、子育てらしいことは特に何もしていないような気がします。めったにケガや病気をせず、トラブルに巻き込まれることもない子でした。食べ物の好き嫌いもあまりなく、穏やかな性格で声を荒らげるところをほとんど見たことがありません。習い事や部活の送り迎えをした事も無ければ、夜遅くまで受験勉強に付き合ったこともありません。

まさにイージーモード。
なのに渦中のわたしは、やっぱりそれなりにグチグチと悩んだり怒ったりしていました。
総括してしまうと、わたしのエゴと彼の個性がぶつかっていただけ。わたしが自分のエゴに気づくのに20年かかったし、気づいてからもしばしばそれは発動され、彼を混乱させました。

しっかりして欲しいけど、甘やかしたい。
自由に生きて欲しいけど、遠くに行かないで欲しい。
わたしの言葉に耳を傾け、わたしに話しかけて欲しい。
でもわたしの邪魔をしないで欲しい。

わたしは彼を育てているフリをして、自分と戦い続けていたのかもしれません。彼はそんなわたしを見ながら勝手に何かを学んだのかもしれません。


わたしがダメな親だったことを正当化するわけではないけれど、わたしの親としての体験と、子どもにとっての成長過程における体験は別なんだと思います。彼は彼に必要な体験をして、わたしはわたしに必要な体験をしている。どちらも誰にもコントロールできないものです。

いま、わたしに軽くもたれかかる彼の重み。少し骨ばった二の腕の感触。残念な親でしたが、彼は遠慮なく自分の体重を預けてきて、そこにはわたしと母との関係にはなかったものを感じます。
もう二度とないかもしれないこの重みを、まだもう少し感じでいられますようにと願わずにはいられませんでした。

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