見出し画像

「分離」と「統合」をめぐるオプショナル・ツアー。

数年前のこと、テーマは忘れてしまったけどセミナーで「人生曲線を描いてみる」という課題を与えられたことがある。
人生曲線とは、縦軸が幸せ度で、横軸が年齢で「何歳の頃はどのくらい幸せ(あるいは不幸せ)だったか」というものを折れ線グラフのように描くものだ。
わたしは、これが描けなかった。

生まれたときを基点として、おそらく5歳ぐらいまでは順調に幸せだった気がする。けれど、この頃に父親が蒸発してしまい、生活が一転する。
不幸せになったというわけではないけれど、ただただ大変だった。このあたりから、混乱が始まる。

さらに混乱するのは思春期以降で、学校や職場などの社会におけるわたしの充実度と、プライベートにおけるわたしのこじらせ度がぜんぜん噛み合っていなくて、どの自分を基準に「幸せ度」を判断したらいいのかわからなくなる。

そのころ、わたしが必死にやっていたのは、社会に適合する「キャラクター」を構築することで、新たなコミュニティやキーパーソンに出会うたびに、適切だと思われるキャラを作り続けていた。そして、社会的に歓迎されない性質を切り捨て続けていたのだ。
この、キャラ設定は数年前まで続いていた。ある日、初対面のひとが殆どのランチ会に招かれたとき、会話の相手が変わるたびに「このひとにはどのように対応したらいいのか」と考え過ぎて、頭の回線がショートしてしまい、初めてそこで自分のおかしさに気づいた。

社会において、自分の作ったキャラがどんなに成功していても、ひとには決して見せられないゴミの山が自分の中にあって、悪臭を放っている。
そんな状態の自分を「幸せ」と表現することにも、「不幸せ」と表現することにも抵抗を感じた。

***

「人生曲線」を描けなかったわたしは、なんとかして自分を「統合」したいと思い、そこから数年で自分なりの「統合」を成し遂げたように思う。
ここに至るまで、ほんとうにたくさんのエッジがあったけど、いろんなひとの助けやシンクロによって、少しずつ乗り越えることができた。

統合したわたしとして、改めて世界を眺めて気づくのは、けっこう「統合」ってどうでもよかったな、ということ。「分離」していることは、そんなに深刻なことではなかった。わたしは、瞬間瞬間でちがう自分を生きていて、それは連続して、なにか一貫性のあるストーリーを生きているように感じるけど、それはわたしのエゴが見せる幻想なんだな、って。

まるで、「分離」と「統合」をめぐるオプショナル・ツアーを思うぞんぶん堪能した後みたいな。
「あ~、楽しかったw」みたいな、気分です。


***
第4期ライティング・ライフ・プロジェクトは満席につき募集を終了しました。ありがとうございます。


サポートいただけると、とっても嬉しいです!いただいたサポートは、良きエネルギーとして循環するよう、素敵なことに使わせていただきます。