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渋谷の路上で会った留学生と韓国旅行に行った話④

■初めてづくしの韓国旅行

ワールドカップ決勝戦を見た2日後、僕は体調不良で寝込んでいた。数日後には韓国旅行に出発する予定だが、とても行けそうにない。

年末はソウルで、年始はヘジョンの実家がある韓国南部のデグで、計3週間を過ごす予定だった。ヘジョンのほかジョン、ヨニ、芸大生で日本人のココと計5人。僕は忘年会に参加したかったので、4人を残して年内に日本に戻ることにしていた。

幸いにも飛行機はまだ予約してなかったので、先に4人に韓国へ行ってもらって、体調が回復したら僕もあとから追いかけることにした。

そして12月24日、1人で韓国に向かうことになった。到着すればみんながいるとはいえ、1人で海外に行くのは初めて。しかもクリスマスイブに。ワクワクしたしちょっと不安でもあった。

なにしろ久々の海外。パスポートの有効期限も切れており直前に再発行するギリギリさだ。しかもコロナ禍の影響で渡航の手続きも複雑になっている。スムーズにいける自信はなくて、いつもは無計画でどこにでも行っちゃう僕もさすがに普段より入念に準備をした。

準備のかいがあり、滞ることなく入国できた。が、難関なのはそこからだった。韓国語が全く読めないなか、彼らと合流するために滞在先に自力で行かなくてはいけない。

先に行った4人は、民泊サイトのエアビーを通じてソウル近郊のアパートに泊まっていた。観光客向けのホテルと違い、交通アクセスがいいソウル中心部でなく普通の住宅街にある。たどり着くには地下鉄やバスを乗り継ぐ必要があった。

まず仁川国際空港からソウル中心部への行き方がわからず、空港にいた2人組の若い女の子に道を聞いた。英語で話しかけたがうまく伝わらなかった様子。その子たちはすぐにスマホを取り出して翻訳アプリを通じて道を教えてくれた。テクノロジーってすごい。

ソウル駅からはバスで住宅街に向かわなくてはいけなかったが、これがとても難しかった。

何人かに道を聞いてようやくバスステーションにたどり着けたものの、どの乗車場からどのバスに乗ればいいかわからなかった。バスには行き先をしめす4桁の番号が表示されているが、目的地に停車するのかどうか確信できない。どうして4桁もあるんだ。

ようやくそれっぽいのに乗れたと思ったら、運転手がジェスチャーで「降りろ」と。困惑しながら降りたら近くにいた人が「飲み物の持ち込みはできない」と教えてくれた。このスタバの容器のせいかぁ。ゴミ箱に捨てに駅まで戻った。

さらにバス乗り場で待ち続けるも、停車してもドアを開けずにそのまま行ってしまう。「もう間違っててもいいや」と思ってあってるかわかんないバスにとりあえず乗り、グーグルマップを開いて現在地が移動してくのを眺めた。なんとなく目的地の方向に進んでいる…!

奇跡的に、そのバスは目的地に停車した。あとでヘジョンに聞いたら、外側に設置されたボタンを押さないとドアが開かないらしい。1人で不安な旅路だっただけに、合流できたときの喜びもひとしおだった。

韓国に行くのは2回目だったが、初めてのことづくし。韓国人と一緒なので、自力では調べられないような美術館やレストランなどに連れて行ってもらった。

1日の終わりに、みんなでグダグダしながら翌日どこに行くかを決める。思いつきでいろんなお店に寄ったし、別行動を誰もとがめない。僕は2日目、少し疲れていたのでみんなが美術館に行っている午前中は宿で寝てた。

その日の夜、映画「アバター」を見に行った。英語音声の韓国語字幕だったので、セリフは6割くらいしか聞き取れなかったけど。それでもおもしろかったアバターはすごい。

韓国のご飯はどれもおいしい。なかでもナムくんの両親がやっている食堂は格別だった。観光客が行くような場所ではなく、小さい駅前の商店街のお店。アットホームな雰囲気でたっぷりとごちそうしてくれた。韓国の家庭料理はとんでもなくおいしかった。

いろんな場所に行ってソウルをたっぷり楽しみ、僕は彼らを残して一足先に帰国した。

韓国でのバスの乗り方もスッカリ慣れていて、帰路は迷うこともなかった。帰りの飛行機でいろんなことを思い出しながら目をつぶる。最高の旅だったなぁ。本当に行ってよかった。

何よりも、外国人の友達と1週間もずっと一緒にいることが僕にとっては一番の旅だった。寝食をともにして、初めての場所にも一緒に行く。彼らは僕に、日本では味わえない刺激的な経験をくれた。

韓国旅行の思い出が薄れる間もなく、2023年2月には北海道にもみんなで行った。そのときはジョン、ヘジョン、ナムくん、ヨニの計5人。行き帰りは僕だけ別行動だったが、大好きな北海道で彼らを案内できてよかった。

僕が大学生のときによく行っていた狭くて薄汚い居酒屋に彼らを連れて行くと、「最高の店だ!」って大喜びしていた。これで喜んでくれる君らが最高だよ。

■必ずいつか、彼らの国にもいこう

北海道旅行から1週間後の3月。冬が終わり、春が訪れようとしていた。春は出会いの季節であり別れの季節でもある。僕が知り合った留学生のうち何人かは、すでに母国に帰ってしまっていた。

韓国と北海道に一緒に行ったヨニがドイツに帰国してしまう前に、僕の地元でもある横浜を案内することにした。ヨニは翌日には飛行機に乗ってドイツへ行ってしまう。彼が日本で過ごした半年の最後の1日だった。

赤レンガや中華街など、横浜観光の定番コースをカフェ休憩もはさみながらゆっくり歩き、たくさん話をした。彼は帰国したら本業である園芸師の仕事をしながら、芸術の勉強を続けるという。日本で過ごした日々を振り返りながら、ドイツのいろんな場所について教えてくれた。

彼を見送るホームで、電車の窓越しに手を降る。ドアが閉まり、電車が動き出して彼が見えなくなるまで手を振り続けた。次に会えるのはいつになるのだろう。

これまで旅先で出会った人や大学の友達など、たくさんの人たちに見送ってもらってきた。送り出す側はこんなに寂しいものなのか。ヨニはまだ23歳。きっとこれからもいろんな人に出会っていろんな経験をしていくんだろう。

別れは必然。寂しいけどそれぞれの舞台に進んでいくのはいいことなんだ。必ずまた、彼に会いにドイツまで行こう。そのときにまた、別々に過ごした経験の話をたくさんするんだ。

ヨニが帰ってしまった1週間後、フランスから旅行に来たジョンの家族に会った。彼の両親と妹。とても仲が良くて優しい、ステキな家族だ。

取手駅で日本酒飲み放題のイベントに行ってきた彼らと合流した。僕はイベントには間に合わず、2次会からの参加。ジョンとヘジョンがアルバイトしている居酒屋にみんなで行った。

ジョンの妹のマリは、明るくておもしろい女の子だ。居酒屋で同じ席になった日本人の女の子ともすぐに打ち解け、言葉は通じないながらも日本で懐かしまれる小学生におなじみのゲーム「アルプス一万尺」をしながら大はしゃぎしていた。

彼らの両親はとても優しくて落ち着いた雰囲気。いつも元気な子どもたちに振り回されているんだろう。取手でみんなで飲んだ2日後にはマリに江ノ島に連れて行かれていた。

インスタの僕の投稿を見て、マリが「これどこ?」と連絡をしてきたので江ノ島を教えたら「両親を連れて行ってみる」と。ちなみに取手駅から江ノ島までは2時間以上かかる。

その日、江ノ島帰りのマリと東京駅で合流した。1人で来たので「両親は?」と聞くと「疲れて帰った」と。そりゃあ疲れるに違いない。

彼女は1000円しか持っていないというので、安い居酒屋に行ってから公園で遊んだ。1日じゅう観光してはしゃぎまわってたはずなのに、彼女はまだまだ元気だった。

「フランスに帰ってから何をするの?」と聞くと、「両親が飛行機を取っているから、パリに帰るのか(彼女が住むフランス南西部の)ボルドーに帰るのかも知らない」という。

なんていうか、ちょうどいいラフさ。きっといろんな人に愛されて育ってきたんだろうな。また9月に日本に来るらしい。楽しみだ。

ヨニが帰ってしまったように、いつかみんな帰ってしまう。彼らが日本にいる間、ともに過ごせる時間を大切にしよう。

■人と出会い、世界が広がる

人生が変わる瞬間の芽は、いつでもどこにでもある。その無限の可能性を持った芽を見つけることができるかどうかは、僕らの生き方次第だ。

彼らと出会ったことで、僕の世界は確かに変わった。

彼らなしには知りえなかったことや経験できなかったことを、今の僕は味わうことができた。そして以前よりも多様な人の感情や経験を想像できるようになり、僕自身の可能性も広がったはず。人を変えるのは、やはり出会いだ。

就活のときにつくった自分の年表では、進学など環境が変わったこと以外のできごとは誰かとの出会いばかり。そして年表の登場人物は、今ではみな親友だ。

ただ一方で、出会ったその瞬間には将来の親友になれるかどうかわからない。むしろ、ほとんどの人は他人に戻り、互いの人生にとっていなくても変わらない存在になる。

無数にある出会いのうち、未来を変える芽はほんのひと握り。ほんのひと握りだが、確かに存在する。

それを忘れてはいけない。どんな人ともまっすぐ向き合い、違いを認め、敬意を持って接していればその芽を見つけることができる。それを見つけることができたとき、僕らの人生はまたひとつ豊かになる。

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