愛と恋って何がちがうんだろう

つい、一年ほど前、浮気をして彼女に振られました

その時から、愛について定期的に考えています

そこで、書物をあさり、恋愛マスターに聞き込み、恋愛カウンセリングとの対話の中で見つけた考えを、ホームレスという孤独な環境を活かして発酵させた、ぼくなりの愛について話していこうと思います

ついでに恋との違いについても言及していきます

アドラー心理学的「愛」

まずはぼくが最初に衝撃を受けた「愛」の定義です

愛とは、人生の主語が「わたし」から「私たち」に変わる関係を持つことであり、その信念のことだ
その信念とは、わたし以外の行動の責任を引き受け、この関係性を最後まで持ち続ける、これら全てを自分が引き受ける、という信念だ

と、いうふうに言っております

つまり、何を考える、行動するにしても、自分だけではなく、彼女、奥さん、自分の子供も含めて、もっとも良い選択肢は何か、を考え行動すること、それが愛するということだと、ぼくは解釈しました

しかし、アドラー先生は、この「愛する」ことが最も大変だ、とも言っています
なぜなら、仕事の関係、交友の関係がきっちりできた上で、ようやく愛の関係を持つことができるからです
周りをみてみると、愛する愛されないの前に、仕事や交友関係でつまづいている人がたくさんいるような気がします
そんな人はまずはそこから改善していく必要がありそうです

愛というのはあくまでも、能動的なものです。決して受動的なものではありません
愛されることを目指すのではなく、愛し続ける信念を持つ
それが愛に対する向き合い方です

ちなみに、嫌われる勇気でお馴染みの岸見先生は、恋についてはこんな風に言及しています

「恋愛がイベントであるとすると、結婚は生活。2人が力を合わせて幸福になる努力をすることが必要です」

恋愛の延長として結婚をしてしまうと、いずれ終わるイベントとしての結婚になってしまうので、そこは線引きが必要かもしれません。


心理療法的「愛」

愛とは自分あるいは他者の精神的成長のために自分自身を伸ばそうとする意思であり、その行為。
恋とは自身の自我境界の一部が突然崩壊し、自身のアイデンティティが他者と溶け合うこと。努力がいらない。

こちらもぼくがなるほど、と思った定義です

もう少し、噛み砕いて見ると、

愛とは、自分自身の成長、もしくは、相手の相手らしい成長のためにサポートしようとする意志であり、その行動のことをいいます。ここでも、愛という物を、能動的で自発的な物だと捉えていますね。

対して、恋についてみていきましょう
そもそも、人を好きになるという現象はとても動物的、本能的な物であり、自分の意志を必要としない。そして、自然と好きになった相手とは手を繋いだり、一緒にいたり、触れ合いたくなる。もし、その相手が誰か他の異性と一緒になっているところを見ると、ムカムカしてイラついたり不安になったりする。これはつまり、自分というアイデンティティが勝手に相手のアイデンティティと混じってしまっているという状態です。相手を自分の思う通りにしたい、と思ってしまっていて、自分の意志が及ばないところまで支配したいと考えてしまう、これが恋です。これは本能的に起こることであり、信念や意志、覚悟を必要としません。
そのため、ここでは、恋はとても怠惰で受動的なもの、そしていずれ必ず冷めてしまうものとして、定義されています

こうしてみると、「愛する」と「恋する」の違いがはっきり分かりますね


フロム的「愛」

フロムは著者「愛するということ」において、愛というものをこのように述べていました

自分の人格全体を発達させ、それが生産的な方向に向くよう、全力をあげて努力しない限り、人を愛そうとしても必ず失敗する。満足のゆくような愛を得るには、隣人を愛することができなければならないし、真の謙虚さ、勇気、信念、規律をそなえていなければならない。

うーむ、何やら難しそうなことが書いてあるぞ
そうです。フロムはこの本の中で愛することの難しさと崇高さを説いていたのです

そもそも、人が愛について学ぼうとしない要因は3つあります
① 愛し方ではなく、愛され方を知りたがる
② 能力の問題ではなく、対象の問題として捉えている
③ 恋という衝動と愛という行動を履き違えている

この要因はイメージしやすいと思います。「最強のモテ術」とか「間違えないパートナー選び」、「ラブラブ夫婦」エトセトラエトセトラ。

まあ、しゃあないかなあと思います。愛するっていうのがしんどいってわかったら簡単な方へ流れてしまうのが人間ってもんです

続きます

愛することは、生きることと同様、技術であり、愛の技術を習得するには、理論に精通し、その習練に励み、その技術を習得することが究極の関心事にならなければならない。

理論の中の基本要素は4つあり
①配慮:愛する者のために働き価値を生み出すこと
②責任:求められたらそれに応じること
③尊敬:その人のありのままを受け入れること
④知:自分視点を超えて相手視点となれるくらいに相手を知ること
これらの基盤としてあるべきは、自立していること、です

それから、3つの愛の種類について
無条件に愛する母性愛、条件付きで厳しさを伴う父性愛、人という全体を愛する兄弟愛
子供はこの母性愛と父性愛を獲得することで、成熟した愛となり、「必要とするから愛する」から「愛するから必要とする」に変わる。それが全体を愛する兄弟愛へと昇華していく

と、まあ、ここまででやめておきます
正直、フロムの愛はかなり哲学ちっくなので、ぼくの手には負えません
もう少し、ビターでシックなおとなになってから手を付けたいと思います

要点は、ここでも変わらず「愛することは自発的なことだ」といっていることです


男と女のだましあいにおける「愛」

こちらは、「男と女のだましあい」という男女の違いを進化論的、生物学的、遺伝子学的、脳科学的に様々な角度から考察した書籍です。
ここでは、愛と献身という項目で、愛について取り扱っていました

男性側における愛とは献身のことであり、それは3つに分類される
①相手への貞節:浮気をしないこと
②資源提供の覚悟:持てる資源を惜しみなく提供すること
③精神的支え:いつなんどきも相手の精神的な支えになること


そして、自己犠牲的な優しさ=利他的な行動だとし、それらを愛としての献身である、と定義しています

この定義は前3つのものより具体的なんではないでしょうか

女性からしたら、自分たちの子供が安全に育つためには、資源を獲得する男性側が他のとこにそれらを持っていってしまっては困りますよね
そのため、自分たちの家庭に全ての資源を分配し、それを守る行動を愛と捉えることは至極当然だと思います


まとめ

英語でいう[love]という単語は、最も意味が多い単語だとどこかで聞いた気がします。というのも、人それぞれ自分なりの愛の定義があるからなんだと思います
とはいえ、その中で共通するものは、愛とはあくまでも能動的で自分から発するものだ、という点です
対して、恋というのは一過性のものであり意志を必要としない、だからこそ、あれだけ感情的になって熱くなれるんでしょうね

愛は真心、恋は下心とはよく言ったものです


最後に、ぼくが恋愛コーチングを受けたときに響いた言葉で締めたいと思います。

「愛されたいならまずは自分から愛してみては。
愛してると言われたいならまずは自分から愛してると言ってみては」

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