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『釣竿と宇宙人』 【エッセイ】

”やさしさは善悪に帰属しない。全てを受け入れることにある。そうしてやさしさは命を持って、生きて、連鎖する” 

そう思うようになったのはきっかけは小学6年生の時。
ある秋の日の放課後、私は珍しく暇だった。いつもならチャイムと同時に教室を飛び出してグラウンドに向かい、ランドセルを放り投げてサッカーをするはずだった。しかしこの日は、グラウンドを囲むように生えた木々に大量発生した害虫を駆除するにあたって殺虫剤を振り撒くからと、グラウンドの使用を禁止されたのだった。
みんなどうする?サッカーを失った俺たちは今日という日をどうしようか?
するとクラスの友達は皆口々に、「ダイスケんちでゲームしようぜー」とか、「いやコウヘイんちでゲームしようぜ」とか言う。
あー。それね。分かってたよ。
私はいつもこの瞬間、嫌になった。ゲーム
私の両親は厳しくて、保守的だったから、当時流行っていたゲームを私は買ってもらえなかった。だからゲームの話題になるといつも私はしれっとその場から消えて、空気を乱さないようにそーっと孤独になる。
はあ。ゲームねえ。この感じかあ今日は。
私はランドセルを背負って教室を出る。
えー。まじか。最悪。家に帰らなくてはならない。

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私は当時、家に帰るのが億劫だった。億劫というより、恐怖に近いものがあったと思う。厳しい両親のもとでは優秀ないい子を演じなければならないのである。
とぼとぼと石ころを蹴りながら帰路につく。石ころは歪な形に任せてあちこちに転がる。いっそこの石をどこまでも蹴りながらどこか遠くへ行ってしまおうか。

「おい!」
急に後ろからランドセルをドーンとどつかれる。
「痛!!何???」
振り返ると同じクラスのショータがニタニタと笑いながら私を見ている。
「何だ、ショータか、やめろよ痛えな」
「お前釣竿持ってる?」
「釣竿?」
「うん、川釣り用のやつ」
「あー、倉庫にあったような」
「したらそれ持ってあの病院の裏のところの川に来て」
「は?」
「いいから、じゃああとで」
台風みたいな男だ。釣竿を持って川に来いと、それだけを私に伝えて瞬く間にさっさと彼は走り去ってしまった。
とてもワクワクしている自分がいた。釣りかあ。いいじゃん。ゲームよりいいじゃん!しかしそのワクワクと同時に心に不安が2つあった。

ただいまー。家に着いて、一度自分の部屋に行く。心臓がバクバクしている。
というのも、川にいくとなれば、親の許可が必要である。うちの家庭では、遊びに行く時は、何をどこで誰と、何時までするのかを事前に報告してから家を出なければいけないルールがあった。厳しい親に育てられた人なら分かってもらえると思う。何とも言えないあの緊張感。しかも運悪く今日に限って父親が家にいる…しかしこの緊張感の本質を私は理解していた。子供だけで川に行くことを父親が許してくれるわけがない。これが1つ目の不安である。ここで1つの案を思い付いた。嘘をつくのである。まず父親には友達と公園で遊んでくると言う。そうして家を出た後少し時間をおいて、庭の脇にある倉庫から竿を取り出して、速攻自転車でバビュン。完璧。これしか無い。だってバカ正直に友達と釣りに行くと言ったところで許してもらえないんだから。
意を決して部屋を出る。ドキドキ。ドキドキ。
「父さん」
「何だ」
「ちょっとあの、遊んでくる、友達と、その、公園で、なんかサッカーとかして」
「おう、気をつけてな」
あれ???すんなりいけた?まじ?いつもなら何時に帰るんだとか、誰と遊ぶんだとか聞いてくるはずなのに…
「じゃあ、行ってきます」
父親の口元が緩んでいる。しかし目は笑っていない。
違和感を感じながらも私はウキウキで玄関のドアを開けた。午後の光が眩しい。やけに眩しい。
外に出て、家の方を確認しつつ、倉庫を開ける。
あったあった!古びた釣竿が病人のようにくたびれた様子で壁にもたれかかっている。ふふふ、釣竿よ、こんな閉鎖的な暗いところにしばらく置いててごめんね、今助けるからね。
釣竿を救出して、音を立てないようにそーっと、倉庫の扉を閉める。
「おい!」
…!?心臓が止まるかと思った。声のする方を見ると父親が仁王立ちしている。
余談だが、私の父親は身長が190cmほどあって、顔の彫りが深くて、幼き頃の私からすればほとんど化け物だった。怖すぎ。仁王立ちして怒っているとなると、もう金剛力士像そのものだった。
「置いていきなさい、それ」
「でも…」
「いいから!おいて行かないなら遊びに行ってはダメだ」
はい終わったー。試合終了のお知らせ。不安的中。ありがとうございました。
私は黙って釣竿をしまった。ごめんね釣竿よ、お前はもう暫くここで眠ってておくれ。


それから父親の鋭い視線を背に受けながら、ゆっくり自転車で川に向かった。
ショータなんて言うかな…怒るかな…
2つ目の不安は、このショータに関することだった。
ショータは少し変わっていた。変わっていたというか、変わっているとされていた。

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彼はやんちゃで、友達と喧嘩したり、駄菓子屋で万引きしたり、近所でピンポンダッシュをしたりと、度々事件を起こしていた。先生たちは彼を注意するけれど、その怒号はショータに一切響かない。むしろどんどんエスカレートして、最終的に彼は精神科にかかることになった。基本的には精神安定剤を飲んで学校に来ていたけれど、週に一回は何かしらの施設に通っていて、そういった日は学校を彼は休んだ。
ショータのことをみんなは怖がった。遊ぶことはあってもみんな彼に気を使っている節があった。なんとなくショータを避けている感じ。深くは関わろうとはしない感じ。私はこれが嫌だった。ショータがクラスで浮いている雰囲気を感じ取ると、胸に針を刺すような細かい痛みを感じた。なぜなら、僕はショータが好きだった。友達として、尊敬していた。確かにやんちゃな所はあるけれど、大人に歯向かう様は、いい子を演じる私とは正反対で、私も彼のように正直に生きていきたいと思っていた。そんな彼が生きづらそうにしているのは見ていられなかった。しかし、かくいう自分も周りに流されて、彼に積極的に関わろうとしていなかったのも事実だった。


なぜ釣りに行くにあたり、ショータのことが不安だったのか。
それは、ショータと2人で遊ぶのは初めてだったし、何か無茶をしてしまわないか不安だったからである。それに釣竿を持って来れなかったとなると彼を失望させてしまうのではないか…
大丈夫かな…そんなことを考えているうちに、川についた。川は生活用水と近くの田畑の用水路が合流するところで、どす黒く、汚かった。それを一瞥して、私の心のようだと思った。
ショータは既に橋の真ん中あたりから川に向かって釣竿を垂らしていた。
「おーい、こっち!」
ショータのところに着くなり私は謝まった。
「ごめん!釣竿持って来れなかった…親がダメだって…」
するとショータはまたしてもニタニタと笑いながら、私に釣竿を渡してきた。
「うん、そうだろうと思ったよ。お前のとーちゃん怖いもんな。だから釣竿2つ持って来た、はいこれ」
私は呆然とした。それから、少し泣きそうになった。何だか初めての感情だった。
「…ありがとう」
「気にすんな、あ、でも釣竿借りたこと言うなよ絶対に」

西にそびえる夕日を背に受けながら、2人で橋に並んで釣りをした。どす黒い川は、臙脂色の光に晒されて、紫色に煌めいていた。
それから、クラスの話や、先生の話、アニメの話なんかをしながら、魚を待った。
なかなか魚がかからなくて何度もため息をついたけれど、それでも満たされた時間だった。
「宇宙人っていると思う?」
餌を取り付けながらショータは唐突にそんなことを私に聞いた。
「んーいると思う。だってUFOとか目撃されたみたいなテレビ番組やってるし、それにUFO見たことあるって前におじいちゃんが言ってたし」
「なるほどな」
「ショータは?いると思う?」
「んー。いるっていうか、いて欲しいかな。こんなに広い宇宙でさ、地球にしか生命がいないなんて寂しい。俺は宇宙人とだって仲良くなりたい
「あ!」
その時、ショータの釣竿に魚がかかった。釣り上げると、銀色の体をした小ぶりなフナだった。やったあ!と言いながら2人でハイタッチをした。針をとって、バケツにフナを入れた。フナはぐるぐるとバケツの中を遊泳して、興奮している様子だった。ショータはそれをニタニタしながら見つめていた。
…寂しい。ふと彼が言った言葉が脳裏をよぎった。果たして自分は今まで、宇宙人がもしいなかったとしたら寂しいと思えたことはあったろうか。むしろきっと宇宙人がいたら、私は宇宙人を畏怖して避けていたのではないか??
「なあ」
「ん?」
「俺さ、来週から違う学校に行くことになったんだ」
「え??」
「なんか医者の先生が勧めたところにさ、行くことになったんだ」
「何で??どうして??」
「悪ガキだからな俺は」

視界が次第に滲んでいった。橋のアスファルトに水滴の落ちる音がして、自分が泣いていることに気づいた。なんで。なんで?
なんで今まで気づかなかったのだろう。こんなにも想像力があって、人の心を受け入れて、やさしさを与えてくれる彼の孤独から、なんで今まで目を背けて来たのだろう。やさしさを欲していたのは彼の方じゃないか。なんで大人たちは彼をまた孤独の押し込めようとするのだ。こんなにもやさしさで人を包んでくれる彼のどこが悪ガキなんだ。
ゲームを持っていない私が一人で帰るのをきっと彼は見ていたんだ。そうして声を掛けてくれたんだ。私の親が厳しいことを知っていて、彼は最初から釣竿は2本用意していたんだ。この広い宇宙には多種多様な生命が存在していて、彼はどんな存在でも受け入れる包容力があるんだ。それは全部、彼自身が孤独の苦しみを知っているからだったんだ。
彼がやんちゃだからなんだ。悪さをする不良だからなんだ。社会的に良い子だとか、悪い子だとかそんなことではないんだ。彼はただやさしい人なんだ。そして、やさしさが欲しかっただけなんだ。
とにかく涙が溢れて止まらなかった。同時に彼になんと声をかけていいかわからなかった。ごめん。ごめんしか言葉が出なかった。
彼は泣いていなかった。彼は無言で私の肩を摩って、ティッシュをくれた。そのため私の涙にはさらに拍車がかかった。ごめん。ごめん。ありがとう。

私は彼のやさしさ触れて、やさしい人になりたいと思うようになった。苦しむ人に手を差し伸べること。どんなに小さな手でも、その人にとっては大きな救済であるということ。

それから小学校を卒業して、ショータと会うことは無くなった。時が流れて、高校2年の秋の暮れ、彼はこの世を去った。

彼はもうこの世にはいないけれど、彼が私に与えたやさしさは、今でも私の深い胸の底で生きている。彼の実存はなくとも、ずっとずっと生きている。やさしさは実存を超えるのだ。

まだあの釣竿は倉庫にあるだろうか。
コロナが落ち着いたら、実家に帰って確かめてみよう。
あとは、たまには夜空でも見上げて、宇宙の仲間に思いを馳せよう。

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