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『出版物の価格はコンテンツでは、決まらない』 【株式会社コルク代表取締役 佐渡島庸平氏 京都大学寄附講義から】

皆さん、こんにちは。
コルクの佐渡島です。今日は、よろしくお願いします。

まず自己紹介をしますと、僕は今、39歳(※講義時)です。講談社という出版社に2002年に入社して、10年間、漫画の編集に携わってきました。

例えば皆さんがご存じの作品だと『SLAM DUNK 』の作者である井上雄彦 さんが描かれた『バガボンド 』という作品に先輩編集者と一緒に携わりました。僕が担当したのは、『バガボンド』の中にある「佐々木小次郎編」になります。その他の作品としては、安野モヨコ さんの『さくらん 』『働きマン』を担当しています。

その後、自分で『ドラゴン桜 』『宇宙兄弟 』という作品を立ち上げました。ちなみに『宇宙兄弟』の作者である小山宙哉さんは京都市出身です。
主人公の兄弟、六太と日々人が幼少期を過ごす町の風景は京都のちょっとした郊外の風景を描いていて、京都出身の人だと「これ京都のあそこでは?」と気がつかれることも多いと思います。

2012年に講談社を辞めて、コルクというクリエイターのためのエージェント会社を立ち上げました。

漫画家や小説家、ミュージシャンといったクリエイターたちの作品や活動をネット上で紹介し、伝えることができる環境を作っています。具体的には出版やライブイベントなどで活躍すること等をサポートしています。

僕と農林中金バリューインベストメンツの常務、奥野一成さんとの出会いは、『ドラゴン桜』の次に手掛けた『インベスターZ』という投資漫画です。その漫画の取材で出会うことができました。今回、お話をいただけたのもこうしたご縁です。

今日は、「企業価値創造と評価」というテーマをいただきました。普段は上場企業の社長がこの講義の講師を務めていらして、ベンチャー起業家の登壇は、今回初めての試みだとお伺いしました。

そこで、編集者として、どうやったらクリエイターたちが生み出す価値を増幅して、消費者に届けることができるのか、そもそも消費者は何を求めているのか? そして僕がベンチャー起業家として何に挑戦しているのかをお話したいと思っています。

どうして出版物の価格は中身(コンテンツ)で決まらないのか?

まずコルクという会社の名前の由来をお話しましょう。
コルクの名前はワインに栓をするためのコルク栓です。ワインを世界中に運び、そして後世に残そうとすると、いいコルクで栓をする必要があるんです。

それと同じように、クリエイターがコンテンツを作ったときにコルクという会社が関わると世界中に運ぶことができて、後世に残すことができる。そんなふうにクリエイターやファンの人から思ってもらえるような、コンテンツを作り伝える立場でありたい。選ばれるコンテンツを作り、伝え、残す。そういう願いを込めてコルクを社名にしました。

こういうと、ワインと僕がやっていることのどこに関係があるのかと思われる方も多いかもしれません。
しかし、ワインを選ぶときのことを想像してみてください。一般的には、どんな種類の葡萄を原材料として、どの地方のどの地区で、いつ誰が作ったのかを判断基準に、自分が飲むワインを決めると思うんですね。
だから、ワインの価格はいつ誰がどこで作ったのかで大きく変わるのです。

一方、出版物はどうでしょうか。

皆さんが本屋さんへ行って、この本を買って読もうと決めるとき、作者で選びませんか?

誰々が書いた本だから買って読んでみたいと考えているはずなんです。だから、出版物を購入するときの意思決定の方法はワインを選ぶときと全く同じはずなんですね。

選ばれるときの思考方法はワインと同じであるにも係わらず、本の場合は価格の決まり方が異なります。本の価格は本の大きさだとか、本のページ数だとかを基準にして値段が決められるのです。

僕も出版社にいたときは、そうやって本の価格を決めていました。
「これはすごい作家の新作だから、高くても、みんな買うんじゃないか」ということを基準にするのではなくて、「この本は200ページだからいくらじゃないか。これは180ページだから、いくらじゃないか」という具合に、ページ数で価格の話が進む。

本に書かれている内容、コンテンツって一切関係ないわけですよ。本来は、コンテンツ、つまり中身のあり方によって価格が決まるべきなのに、コンテンツの外側(体裁や装幀)によって価格が決められているのです。

僕は正しい価値を価格に反映できない現状をネット時代になった今だからできる方法で変えたいと思っているのです。

お金の移動は心の変化と連動している

ここで皆さんに価値について、一つ質問をしましょう。例えば洋服を買うという場合、なぜそれを購入しようと思ったのでしょうか?

購入する理由は服が必要だという必要性だけではないでしょう。きっと、その服のデザインに心を動かされたり、店員との関係に心が動かされたりしているはずです。そうした心の動きが価値判断に影響していると思います。

それが、もう少し大きな買い物だった場合はどうでしょうか?
例えば将来、皆さんが恋人へのプレゼントで指輪を買うとき、家を買うとき、を想像してください。買い物をするときには、常に確実に皆さんの心が動いているはずです。つまり、お金の移動は心の変化と必ずセットになっているはずなのです。

僕が起業するときにいろいろな先輩に相談したのですが、その中の尊敬する経営者から、「ビル・ゲイツが世の中の人の心を動かした量は、どれくらいなんだろう。スティーブ・ジョブズが世の中の人の心を動かした量は、どれくらいか?ジェフ・ベゾス(Amazonの共同創設者でありCEO)が世の中の人の心を動かした量は、どれくらいなんだろうか?」と問いかけられました。

スティーブ・ジョブズは、すでにこの世にはいませんが、彼が創業したアップル社は今でも世界中から支持されていて、世界中の富を集めていますし、ビル・ゲイツもジェフ・ベゾスも常に長者番付で上位に入っています。

一方、出版業界に目を移してみると『ドラゴンボール 』が世界中の人の心を動かした量というのはどれくらいになるのだろう、と。

もしかしたら、世界中の人々の心の動いた量、深く感動した量を測ることができたら、この100年間の世界で最も人の心を動かしたものは『ドラゴンボール』かもしれないのです。

それなら『ドラゴンボール』を創った鳥山明 さんと出版元である集英社は、それに見合う収入を得ているのかというと、そうではありません。

そうではない、という状況を知ったとき、ビジネスマンであればどうすべきか?「この社会はおかしい、もっとクリエイターに払われるべきだ」と声を上げるだけでは足りないと思っているのです。

そうではなくて、心が動いた分だけ、心を動かした人たちのところに、対価としてのお金が入ってくるようにビジネス的な仕組みを整えることのほうが重要です。

コンテンツの持つ価値は後世の人の心も動かす

僕は灘高等学校から東京大学の文学部に進学しました。灘高から東大の文学部に行く人は、だいたい年に一人ぐらいしかいません。ほとんどの学生は、文学部には進学しないですね(笑)。

僕が強く文学に惹かれることになったのは、魯迅 という中国の文学者に影響を受けたことがきっかけです。
魯迅は国費留学生として医師を目指して勉強をしていました。医師を目指した理由は国の人々を救うためには最も良いと考えたからです。

ところが、ちょうど彼が学生の時に台湾は日本の統治下にありました。
そして抗日運動をする台湾の人たちを武力で制圧する事件がたびたび発生しました。統治政策の一環として台湾を武力で制圧をした様子を撮影したニュース映画を流していたんです 。

しかし、それを観ていた台湾の人はその日本の行為に憤慨するわけでもなく、日本人と一緒に盛り上がってニュース映画を見ていたのです。その状況を見て魯迅は戦慄を覚えるわけです。「自分が治さないといけないのは、この国の人々の身体ではなくて心だ」と。
そこから彼は医師ではなく、文学者を志したのですね。

僕もそうありたいと思っています。例えば医師になれば目の前の患者を救うことができるかもしれない。でも文学でなら、今の時代だけでなく、後世の時代の人たちの生き方や価値観を大きく変えて、医師が貢献するよりもさらに大きく、その文化とか文明に貢献できるかもしれないと考えています。

もちろん、政治に参加して、社会インフラを作る方法もあるでしょう。しかし、そういうものは権力争いの中で消えてしまい、社会に役立つものを残すことができているかどうかはわかりません。

それよりも文学によって人の心のあり方を変えていくことのほうが、大きく社会を変えられるのではないか、と思います。

これは、僕が中学ぐらいのときに考えたことです。その頃からずっと、人の心を動かして、社会を変えていくような力、文学がもっている力を、コンテンツにどうやって盛り込めるだろうかと、考えて生きてきました。

国を一つにまとめた「歌」とは?

僕は中学時代に父親の仕事の関係で、南アフリカ共和国に住んでいました。僕がいたのは、ちょうど南アフリカ共和国のアパルトヘイト が終わろうとしている時期でした。

具体的には、フレデリック・ウィリアム・デクラーク がアパルトヘイトを撤廃して、彼が大統領になり、そして次にネルソン・ホリシャシャ・マンデラ が黒人としてはじめての南アフリカの大統領になるまでの時期です。

マンデラが大統領になる直前の南アフリカは、非常に政情が不安定になっていました。黒人の部族同士も頻繁に争っていたので、もしかしたら、この選挙をきっかけに国がバラバラになってしまうかもしれないという危機感を国民の誰もが抱いていました。

なぜそんなに危機感を抱いていたかというと、前例があるからなんです。

南アフリカがこうした状況になる十数年前に、ジンバブエという南アフリカの隣国で同じように、白人政権から黒人政権へ政権が変わりました。
ところが、新しい政権は統治の過程で、政権運営に失敗し、社会も政治も乱れ、経済的にも貧しい国になってしまいました。

そうした前例があるので、南アフリカの白人の知識層だけでなく、黒人の知識層も黒人へ政権が移行する過程で国が維持できなくなると、大いに危機感を感じていたと思います。

選挙の日が迫り、ますます国中が不安になっていきました。
そんなときに、何度もラジオやテレビCMで皆の不安を払しょくする歌 が流れました。

この歌は南アフリカの有名な黒人歌手だけでなく、白人歌手も皆が集まった歌です。例えていえば、マイケル・ジャクソンとライオネル・リッチーが作詞・作曲した『We are the world』のような歌です。

南アフリカという国の素晴らしさ、自分たちが本当に守らなければならないことは一体何か、南アフリカの自由のために和解と団結をせよと見事に歌い上げられていました。
歌を聞いたとき「何なんだ、この国を思う美しい気持ちは?」と魂を大きく揺さぶられ、感情があふれ出て涙が流れました。

そして運命の選挙の日。
さまざまな対立が予想されていましたが、皆さんご存じの通り、スムーズに選挙が行われて、マンデラが大統領になりました。

ラグビーを通じて黒人と白人を団結させる

南アフリカは、ラグビーが強い国です。しかし、アパルトヘイトが実施されていたときは、その差別的な政治のせいで、南アフリカはすべての国際試合から締め出されていました。
だから、南アフリカの人たちは「自分たちは強い」と思っているけれど、本当に世界で通用するくらい強いかどうかは分からないという状況でした。

ラグビーはアパルトヘイトの象徴でしたから、黒人にとっては憎むべきスポーツだったのです。ところが、アパルトヘイトが撤廃され、国際ワールドカップのラグビー戦 に南アフリカが参加するとなったとき、兼ねてより南アフリカのラグビーチームが黒人と白人の団結の象徴になると考えていたマンデラが、国を挙げて応援するべきだと国民に呼びかけました。

黒人も白人もすべての国民が一つになって応援した結果、国際大会で南アフリカが優勝することになりました。ちなみに、この時の様子はクリント・イーストウッド監督の『インビクタス/負けざる者たち』という映画で表現されています。

今も南アフリカは、世界の中で最も治安の悪い国ではありますけれども、一方でアフリカでは最も経済的に豊かな国です。世界中から投資が集まって、アフリカを変えるきっかけの一番の重要国になっています。南アフリカが現在もその地位を維持しているのは、歌とラグビーの力じゃないかと僕は思っているのです。

社会を動かす原動力とは?

皆さんは、これから色々な職業に就かれると思います。そして、自分が就いた職業の色眼鏡で世の中を観察していくことになると思います。

僕は、世の中をどのような色眼鏡でみているかというと、人びとの心が一つになって、そして多くの人びとが同じ方向をめざすことによって社会が動いているのではないか、というふうに、世の中を見ているんです。

歌とスポーツで南アフリカが動いたように、人の心が同じ方向を向いて、一斉に動いたとき、社会が大きく、いい方向に動くという感覚があります。そして、それを再現することが人の心を変え、社会を変えるきっかけになると信じています。

そして、それを実現するきっかけとなったクリエイターに正しくお金を投じ、コンテンツ作りに再投資をしていく。こうして、さらなる良い社会を作っていけるようにしたい。そういう循環を実現したいと思っています。
(続く)

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