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『佐渡島庸平という人』 【京都大学寄附講義を終えて NVIC奥野一成】

佐渡島さんとの出会いは比較的新しい。
講義録でもある通り、ある運用友達からの紹介で「面白い人がいる」と聞いて会ったのは今年の初めだった。

表参道のカフェでお互いに小一時間話しただけだが、「この人は僕と同じ種類のことをやっている」と直感した。

佐渡島さんが対象にするのは漫画家・作家であり、そのコンテンツを取り扱う。
僕は運用者であり、もっぱら興味の対象は企業価値とその株価である。
一見全く異なることをしているように見える。

本当にそうだろうか?

佐渡島さんは「その漫画家(作家)が価値創出できるか」を見極め、その価値創出をサポートすることで価値(Value)を増大する。
そしてその価値を一般の読者に最も効果的なやり方で訴求しようとするのだ。

一方、僕(NVIC)は、事業価値創出する企業、経営者を見極め、そこに資本を投じるとともに経営者との対話を通じて事業価値創出をサポートする。
そして事業価値増大の結果として起こる株価増大を最終投資家に還元するとともに、事業価値創出のプロセスを丁寧に伝えようとしている。

表面的には異なることをしているが、要は、両者ともに価値の仲介者(Intermediate)として価値を切り口とした顧客のニーズを満たすことを生業にしているのだ。

図 3

そう直感した僕は、その席で今回の京都大学寄附講義「企業価値創出と評価」でのご登壇を依頼した。

価値を見極める、価値を増大する、価値を伝える。
佐渡島さんはまさに適任者だ。
僕は当日の講義をとても楽しみにしていたが、それ以上だった。

講義本番はノーペーパーだ。
普段、編集者として日常的に多くの作家に会い、そのミーティングの中で次々にアイデアを練っていく。佐渡島さん曰く、これが編集者の仕事だと。
そんな佐渡島さんからすれば、大学生150名を前に彼らの反応を見ながら自らの仕事を語るなど、まさに「朝飯前」なのだろう。

内容的にも素晴らしかった。
学生が今後の人生を考える上での指針の一つになったと確信している。
中学生時代に生活した南アフリカで感じたこと、考えたことから、現コルクの起業、せりか基金に込めた戦略的な意図などを、ゆっくりと噛み砕いて説明する佐渡島さんを本当にすごいなぁ、と感じた。

佐渡島さんがV-Tuberとしてドラゴン桜の桜木先生になっていることにも度肝を抜かれた。
まさに「嵐の中にいないと、時代が変わったことはわからない」というお言葉を地でやっている。

そして、アバターとして発信することが、生身で言葉を発するのとどう違うのかを自分自身で感じ、考える。そしてまた発信する。

このような姿勢は運用者として、経営者として見習わなければいけない。そう強く感じた。V-Tuber・・・僕もやってみるか。

僕が一回り前の人間だからだろうか、今回の講義で初めて知った「分人主義」という概念に関して、少し違和感を感じた。

講義の中で佐渡島さんが芥川賞作家である平野啓一郎氏が提唱している「ぶんじん主義」という言葉を使った時、勉強不足の僕は「文人主義?」と思ってしまった。すぐに「分人」であることが佐渡島さんの説明でわかったのだが、要するに一人の人間の中にあるいくつかの「アバター」のようなものと理解した。

人間はいくつかのアバターを人格内に有しており、それぞれ分かれたものとして存在しうるという概念は、ネット上のバーチャルな世界ではあり得ると思うが、現実の世界においては、結局、肉体という物理的なものの制約をうけて統合された人格としてしか存在し得ないのではなかろうか。

別に佐渡島さんとこの「分人主義」について議論したいわけではないし、佐渡島さんがこの概念をスッと受け入れることができたのかを訊いてみたい。
そうすると僕が持っている違和感の正体が多少なりとも自分なりに理解できるような気がするのだ。

そういった哲学的なことを普段、金融市場の現場、企業価値を評価するために世界中の企業訪問に飛び回っている僕はめったに考えることがない。
でもよく考えたら大学時代、自分とはなにか、愛とはなにか、正しいとはなにか・・・、答えはないけれど、考え、友達・先輩と議論したことを思い出した。
大学の4年間は、本当に自由で贅沢な時間だったのだなぁ。

この佐渡島さんの講義は、たった90分だったけれど、普段使わない脳細胞の一部を活性化してくれた。このような機会を与えてくれた佐渡島さんには最大限の謝意を表明したい。

ありがとうございました!佐渡島さん。
僕たちにこれからもたくさんの刺激をください。

農林中金バリューインベストメンツ CIO 奥野一成