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ただ「がんと戦った人」であるだけで…


ただ、「がんと戦った人」であるだけで「がん患者」なつもりはないんだよね。
だって、「私のがんは根治した」と決めたのだから「がん患者」じゃないの。
症状として、治療として、「がん患者」の治療を受けている「一人のアラサー女性」なの。


とは言っても、世間一般的な分類では「がん患者」であり「がんサバイバー」になるのはわかってます。それは、「自分を分類するならどう?」っていう一つの括りとして考えている。
「がん患者はスピリチュアルに走りがち」ってフォロワーにつぶやかれたので、「こいつ合わねぇ」って思ってブロックしちゃったけど、潜在意識の活用なんてお金は書籍代だけだし使える知識は使わなければ損じゃない?づで思っちゃうんだよね。
元々、見えない世界が好きなのかパワーストーンとか引き寄せとか潜在意識に興味があったの。大学時代に恋愛も就職活動もうまくいかなかったしね。心理学も見えない世界って言えば見えない世界になるのかな。
大学に入学したときに、卒業論文の指導教員になった先生が言ってたの。
「心理学を勉強しに来る人は変わった人が多い」って。まあ、たしかに同じ研究室の学生はくせ者というかキャラが濃いというか…変わった人が多かったのは事実かな。もちろん、私もキャラ濃いというか変わった人と言われても仕方ないところはあるのだけど。


そんなことで、話を戻そう。ただ、使える知識は使って根治を目指すのって悪いことなのだろうか。主治医からしてみたら、「民間療法に走って標準治療は受けません」って言われるよりマシな気もするけど。とは思ったけど、私も「何もしない場合1年持たない」と言われるまでは受ける気がなかったのだけどね。

この週の月曜日に、主治医の先生が書類を書いてほしいからって部屋に来たのね。そのときに、私は聞いたの。「追加治療って受けなきゃだめ?」って。
そうしたら、一瞬クスッと笑って言われた。
「駄目です。受けなきゃ絶対に再発します。そもそも、最初の手術のときにそう説明したでしょう?」って。それを聞いて、「やっぱり、受けなきゃだめか…」と思ってしょんぼりしてたの。それを見て、
「気落ちするのもわかるけど…、頑張ろう。ねぇ?」って今まで聞いたことない優しい声と表情で私の目を見て言ってきたの。もう、そう言われたら言い返せなかったけど…。ほんとは、腫瘍も全部取りきれなかったって言いたかっただろうけど…ここで言わなかったのは優しさなんだろうね。まあ、この数日後に予後に関する説明があるんだけどさ。


がん患者ではないといいますが、表現上「患者」という表現を使います。
いち患者としては、「この主治医が圧を強めて根治できると見込んでいる」なら医学的なことは彼に任せて、私はできることをしようかなって思ったんだよね。ただでさえ、年齢的にも若いのにレックリングハウゼン病で悩んで主治医に心配かけるし手が掛かる患者だし。
「僕はにゃんさんのがんを根治させる気でいるので」って、普段めちゃくちゃコミュ障な主治医がそこだけ自信ありげに真剣に目を見て私に言ってきたんだもん。それを信じて、治療を頑張るって決めたんだ。だから、ちゃんと治療を受けて私にできることは頑張るしかない。


ただ、生きているだけの人間なの。
症状として、「がん」の症状があったから「がん患者」になって「がんサバイバー」って括りに属しているだけなの。とてもわかりにくい表現になるけど、私は自分のことを「がん患者」とも「がんサバイバー」とも思ってないの。たしかに、ぼんやりと「闘病記が書籍になったり映画化したら…」とは思うけど、それは私の人生の一部としての記録を残したいってだけなのね。ハッシュタグでそういったものを使うのも「そうした人がいて参考になれば」的なのもあるのね。好きで「がん患者」になったわけじゃないもん。私の記録として、「そうなった事実」としてあるだけ。

もう、私の未来では「私のがんは根治した」って決めたの。
だから、「がん患者」ではないの。広い意味では、「がんサバイバー」になるのかな。「がんを生き抜いた」という観点で見れば、「がんサバイバー」でいいのかもしれない。けど、戦っているつもりもないんだよね。「根治した」って決めたから。

ねー、文章力もないし語彙力もないのに潜在意識とか色々言うからごちゃごちゃした文章になってしまった。(一応、推敲はしたつもり)

「根治した」と決めたのに、闘病記を書いているのはどうなんだと言うことになりますが、わかりやすい表現を使っているだけです。

「私のがんは根治したのだから」好きなようにやってます。



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