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豊津徳【HozuTalk】04「宗教とアート」

 さっぱり分からんアート、印象の悪い宗教、これってこんなに笑えるものだったっけ?好きじゃないこと、眉をひそめるようなことって、もしかしたら大事な部分をごっそり失ってるかも知れない。大事なだけじゃなくて、実は面白いものだったら…とーっても勿体ない!私の目は大損してないだろうかと心配になっちゃった第4弾(の文字起こし)。

税とアート/コレクションと聖書/宗教はアートのお母さん/言葉を信じるのが宗教/一人であることがアート/イデオロギーと宗教/アートは八百万/アートの装飾性/あの世とこの世/パンデミックと宗教/ニヒリズムとアート/言葉のアート化/大日本土葬党

山本豊津(東京画廊)×角田陽一郎(バラエティプロデューサー)のアートを巡る知のライブトーク第四弾!
テーマは「宗教とアート」

01.修士論文終わりました

角田 どうも。バラエティプロデューサーの角田陽一郎と申します。よろしくお願いします。東京画廊の山本豊津さんとアートを巡るトークをやっております「豊津徳(ホズトーク)」で、ございますが。今回は第4弾ということで。毎月月イチでやってたんですが、ちょっと11月は私が修士論文の締め切りでなかなかできなくて、豊津さんにちょっとスケジュールをずらしてもらっちゃったりとかしながらやっております。ということで。早速、東京画廊山本豊津さんをお呼びしたいと思います。豊津さ〜ん!

豊津 はーい!

角田 はっはっはっはっ!サザエさんみたいですね!

豊津 そうそうそう(笑) 尊敬してるから(笑)

角田 どうも。よろしくお願いします。

豊津 こんにちは。どうも。

角田 よろしくお願いしまーす。

豊津 無事終わりましたか?

角田 無事、修士論文を書き終わりました!

豊津 ああ、もう、本当えらいと思います。

角田 いえいえいえいえいえ。文化資源学っていう学問なので、色んな文化を資源化しましょうみたいなことなんですよ。だから僕は今回のテーマはバラエティ番組だったんで、バラエティ番組ってマスコミ論とかメディア論みたいなのはあるんですけど、文化論みたいに描かれてることはそんなにないので、それが出来たら面白いなーという意味で言うなら、すごいやってて楽しかったですね。

02.税とアート

豊津 今、僕もね。現代アートがね、ようやく特定文化財として認めようじゃないかっていうことが、少しずつ動きつつあって。今のところ僕たち現代美術、近代美術は資産ではないんですよ。

角田 そうなんですか?!

豊津 消費物なの。

角田 ある意味、テレビとかと一緒なんですね。

豊津 そうそう。だから減価償却費ができるわけ。だから消費税かけられるから、じゃあ減価償却費入れてもいいかって言ったら、一応100万未満までは減価償却費になったの。適用されたの。だから100万未満のものはコピー機なんかと一緒なのよね。

角田 (笑)そうなんですね。ちなみに普通の油絵とかは違うんですよね?

豊津 いや、それも全部消耗品。彫刻も。

角田 えぇー!そうなんですか!

豊津 日本で資産財として認められてるのは、重文と国宝だけ。特定な美術品というのを国が認めない限りは、資産財じゃないんですよ。びっくりでしょう?

角田 びっくりです!

豊津 そう。だから1億円する絵画でも資産財ではないんですよ。それがもう実情と合わなくなってるんで。日本は資産座でNo.1は土地じゃない。だからみんな土地になるわけですよ。だから結婚して、ローンで土地買って、家買って、という風になるので。

角田 それが絵を買うということにはならないわけですね。

豊津 ならない。だからやっぱり日本の社会はこの土地税制で金融を回してきたから。それがいよいよ限界に来てるらしいのね。所有不明地が増えちゃったから。

角田 なんか、すごい量なんですよね?

豊津 そう。北海道一道分あるらしいんだよ、全国で。世田谷で5万件あるんだって。それがアーケードに出ると、土地の価格がドンっと落ちちゃうらしい。

角田 それ放置しておくしか、ない?まあ土地問題のことを言ってもしょうがないんですけど(笑) その分がアートに行くと、アートが活性化しますもんね。

豊津 そう。だから僕が今文化庁とやってるのは、そろそろアートを資産財の中にいれたらどうか?と。そうすると金融の幅が広がるからリスクヘッジができるんじゃないか?っていう話をしてるんだけどね。

角田 ちなみにそれって、例えばフランスとかは資産財なんですか?

豊津 欧米は資産財として認められてるから。

角田 それって…日本って何なんでしょうね。先進国ぶってるけど、全然先進国じゃないじゃないですかね。

豊津 よーく見ると税制なんかもシャウプ勧告といって、第二次世界大戦にアメリアが来て、製造業を中心とする税制をそのまま引きずってるらしいんだって。だから製造業なり流通業なり、社会は上場社会になったにもかかわらず、税制体制は製造業中心なんだよね。ところが、製造業は全部、中国とかアジアに出ちゃったじゃない。だからおかしいじゃない。

03.コレクションと聖書

角田 なるほどね。なんていうんでしょうね…と言いながら、アートがこの国にないのか?と言われたらあるじゃないですか。そこに価値をそんなに見出してないんですかね?

豊津 だって日本で一番古いコレクションが奈良の正倉院でしょ?と言うことは、世界の中でも最初のコレクションって、美術品は、正倉院じゃないかね?

角田 ってことですよね?

豊津 うん。それより古いと、今日の宗教に関係するんだけど、ノアの箱舟だよ。あれ、神様が1名ずつコレクションしたわけだから。

角田 コレクション、アーカイブしたわけですからね。

豊津 だからヨーロッパにはコレクションの歴史というか、コレクションに対する思いが強いのは聖書のせいだって言われてるんだよね。

角田 日本ってやっぱり、そういう美意識がなかったんですかね。

豊津 いや、あったんですよ。

角田 正倉院があるからですよね。

豊津 そうそう。それから室町時代には君台観左右帳記(くんだいかんそうちょうき)っていう中国の美術品のコレクションがある。それが東山暁色図(ひがしやまぎょうしょくず)なの。その時もコレクションされてるわけですよ。それから千利休が茶道具を集めるとか、明治になって益田鈍翁とかね、松坂久左衛門とか。そいういう新しい実業家がコレクション作って。

国立国会図書館デジタルコレクションの君台観左右帳記
滋賀県立近代美術館「東山暁色図」

角田 だって、倉敷の大原美術館とかもそういうことなんですよね。

豊津 それはだから新しい事業家たちだよね。その前の事業家たちもコレクションしてたから。それが根津であり、後藤美術館。

角田 そう言う意味で言うと、今日のテーマは宗教とアートという。いつもなんとなく、テーマは僕からどうでしょう?みたいな感じなんですけど、今回は豊津さんから。

豊津 いやいや!あなたが最初に言ったんだよ。

角田 宗教とアートって言いましたっけ?

豊津 前回あなたが宗教やってみようって。

角田 あっはっはっはっはっは!忘れてた!

豊津 だから僕は宿題を得たから、一生懸命勉強したんだよ。それが途中で変わっちゃうと困るなって(笑)

角田 そうですよね。そうだ!そうだ!先月、11月やってないから、10月の終わりには宗教とアート。どうですか?どうですかって言うと何なんですけど。どこから話しましょうか、宗教とアートで言うと。

04.言葉を信じるのが宗教

豊津 まず、アートは。宗教がアートのお母さんだよ。

角田 う〜ん!なるほど!宗教はアートのお母さん!

豊津 そうそう。宗教からアートが生まれてるから。というのは、不在の神、世の中にいない神様を皆に知らしめるために、イラストレーションとして絵を描いたわけじゃない?

角田 宗教画というか、そういうことですよね。

豊津 それは不在する神の実在性を証明するために絵が必要だった。なぜかと言うと、ほとんどの人が文盲だったから。

角田 そっか!そっか!だから、言葉ではそれを伝えられなかったんですね。

豊津 伝えられないから絵なんですよ。それがたぶんアートのはじまりだろうと。ところが途中で聖書ができたじゃない。だから経典ね。仏教だとそいういう経典ができて、言語になるわけよね。物語、そいういう神様の物語が言葉として本になったから、アートの役割が少しずつ薄れていくじゃない。だって圧倒的に聖書の、今、世界で一番出版物で多いのが聖書なんでしょ?

角田 聖書じゃないですかね。尚且つ聖書って「はじめに言葉ありき」って書いてありますよね。

豊津 そうそう。はじめに言葉ありきってのを考えたんだけど。結局ね、信じるってことはなんなのか?って考えたの。だから宗教の元は信仰じゃん。信じるってことでしょ?神様を信じる。見たことないんだけど、私は神様がいると信じますと。これが信仰だから。すると信じるってさ、「にんべん」に言葉って書くでしょ。

角田 あー、本当だ。そうだ、そうだ。

豊津 だから言葉なんですよ。僕がたちが信じていい対象は言葉しかないっていうのに気がついたの。例えばね、角田君と僕が約束するでしょ?それは言葉で約束されるじゃない。

角田 そうですね。何日にやりましょうとか。

豊津 それを信じるわけじゃない、僕が。角田くんが何月何日にここに来るってことを。

角田 豊津徳とやりましょう!と。

豊津 そう。お互い信じてるから成立するわけじゃない。

角田 そうですよね。zoom開くとこうやって繋がるわけですもんね。

豊津 ってことは、角田君を信じてるんじゃなくて、角田君の言葉を信じてるんだよ。

角田 おぉーっ!!(笑) そっか!うんうんうんうん、そうだそうだ。

豊津 だから言葉を信じることが宗教なんだよ。だからはじめに言葉ありきってのがあるんじゃないかと。で、僕は角田君と約束すれば僕も喋ってるじゃない。すると僕は僕の言葉を信じてるわけ。だから角田君の言葉を信じると同時に僕は僕が喋ったことの言葉を信じているわけよ。するとどこまで行っても二人で交わした言葉を信じてるってことになる。で、自分自身も信じられないことがあるでしょ?(笑) ね。

角田 夢なのかどうか?とかね。妄想なのかとか。

豊津 恋愛なんか一番いい例じゃない。あの人好きなんだけど、こっちもいいな、みたいなさ(笑) 俺はどっちの俺が本当なんだろうか?みたいな(笑)

角田 わからなくなりますよね(笑)

豊津 ところがそこにさ、結婚という誓約書があるとさ、それは紙だけど言葉じゃない。

角田 それがあるから、決まりごとが決まっていくというか、に、なるんですよね。

豊津 そうそう。そうすると言葉ということが聖書っていう形で信仰の中心になってくると、絵の役割が少しづつ少しつづ減っていくじゃない。

角田 ちょっと待って下さいね。ということは、絵だとなかなか決まりにはならないし、信じるものにはならないってことなんですよね?

豊津 それか、絵の場合は一対多数じゃん。一対一じゃないわけね。言葉ってのは一対一。角田君と僕、誰々と僕という形になるから。絵の場合は角田君と僕が絵のやりとりするっていうのはんないじゃん。

角田 ほんとですね。一対一のコミュニケーションって言葉なんですけど、絵って一対一のコミュニケーションじゃないんですね。みんなに見せるというか。

豊津 それか、もう1つはね。絵の場合は約束ではないんですよ。だから僕は角田君から絵をもらった。約束じゃないじゃない。

角田 うん。なんの約束もしてないですね。

豊津 なんにも約束もしてない。でも角田君っていうのがこういう人間だってことはお互いに知り合う機会にはなるけど、約束ではないから、言葉ではないんだと。そこがなんかアートのね、言葉から分離する、しかも、アートにコンセプトって言葉が必要だってことと、なんかすごく深い関係があるんじゃないかなと。

05.一人であることがアート

角田 今の話を聞いてると、宗教というのを言語化したものが聖書だという意味で言うと、宗教と言語って考えると、アートは宗教の方に近いですよね?

豊津 いや。それはね、宗教から人間が個別に離脱していくとアートが成立するの。

角田 宗教から人間が個別に離脱する…?あー、なるほど。

豊津 宗教っていうのは共同幻想だから。みんなが大衆で一緒のものを信じるってことがないと、僕が一人で神様信じててもあんまり宗教とは言わないじゃない。だからその宗教から、集団から個人が離脱していくということがアートの大きなテーマだとすると、何が起こったかというと、13世紀に書いた人がサイン入れるようになったの。

角田 なるほど。それまでの絵画って誰が描いたか分かんないんですよね。

豊津 分かんない。だって必要ないんだから。描いた人は。描かれた内容が必要なので。

角田 それがキリストの受難だったりとか、誕生だったりとか。

豊津 その辺からチマブーエとかね、ジョクトとかね、絵にサインが入ってくるんだよ。絵がサインになると、今度はその絵は個人の誰かが描いたことになるじゃない。で、絵は集団から離脱して個人の人が作るってことが大事になったっていうのが。

角田 そっか。その段階で宗教じゃないんですね、もう。

豊津 そっから宗教じゃなくなるの。

角田 なんかでも、そう考えると、アイドルって言うじゃないですか。偶像というか。だからその画家が自分の名前をサインする段階で、その画家の作品もすごいけど、その画家もアイドル化するのかな?っていうか。

豊津 逆に言うと、SMAPがあるじゃん。SMAPから木村拓哉君が出たから木村拓哉になったじゃん。SMAPじゃなくなるでしょ。だから最初、嵐とかスマップとかでデビューするんだけど、そのうちに離脱していくじゃない、個人として。それがなんか宗教から離脱するのと似てるかなと。

角田 なるほど。確かに集団から個々が出てくるのが絵画の発展というか。だからそれが印象派とかまで行っちゃうとこの絵は誰々、この絵は誰々ってことに意味があるんですもんね。

豊津 そうするとこの間言ったように、バンクシーは個人かどうかが分からないから、アートと言っていいかどうかというのが。

角田 面白いですね。戻ってきてるというか、そういうことですよね。それって僕が修士論文でテレビのことを書いたんですけど。マニュファクチュアって言うじゃないですか。工場制手工業。あれって元々で言うと産業革命の前、機会が入る前に個人でやってた人たちを1箇所に集めて手工業で作ってるのが工場制手工業でマニュファクチュアと言うって書いてあって。その説明を辞書とか歴史で習ったときに、テレビの制作現場ってマニュファクチュアじゃないかと。で、マニュファクチュアの辞書を見ると、専門家が集まって商品を作っていくって書いてあって。テレビの美術さん、技術さんとか、セットとかカメラとか、演出とか、みんな別れてるじゃないですか。で、みんなが集まって作ってるから、マニュファクチュアじゃん!って思ったんですよね。なので今回の論文でそんなこと書いてるんですよ。マニュファクチュアの流れをちゃんと言語化しますみたいな。でもそれをやればやるほどですね、僕思ったのは、というマニュファクチュアで生まれたテレビってアートじゃないんですよ。

豊津 じゃないです。

角田 そう。ところが、これがまた矛盾なんですけど、やっぱりアート的なもに憧れて演劇やってるとか、テレビ作ってるとか、映画やってるっていうのが元々の制作マンとしては大部分そうだと思うんですけど。ところがそのマニュファクチュアに組み込まれていくとですね、全然アートじゃなくなっていくんだよなーってことが、なんとなく僕の実感であるんですよ。で、そんなときに、でもアーティストって一人、基本は個人で絵を描くじゃないですか。だからマニュファクチュアじゃないんですよね。自分一人で作品を作る。だからやっぱりアートってアート性を維持できるんだなーって思ったんですよ。

豊津 そうなんですよ。一人であるってことがすごくアートにとて重要なんですよ。だから民主主義社会がアートにふさわしいのは、民主主義は一人一票の投票権を持ってると言う、一人が前提になるから。その一人が前提になってることが一番象徴化されてるのがアートなの。選挙とアートなの。

角田 なるほど!そっか。だから、自由主義というか民主主義というか、それとアートってのがなんで繋がってるのかっていうはそこなんですね。

豊津 そこなんです。

06.イデオロギーと宗教

田 じゃあ、どうなんですか?レーニン、スターリンの共産党時代のちょっと、ある意味クールなデイザインあるじゃないですか?ストレートなデザイン。あれはアートじゃないんですかね?

豊津 あれはプロパガンダ。近代は2つなんだよ。共産主義がプロパガンダで、資本主義がアドバタイジング。

角田 ああー!なるほど!プロパガンダとアドバダタイジングの違いなんですね。

豊津 で、宗教はこの宣伝性ですよね。集団を動かすから。だから宗教というのはそもそもポピュリズムってすごく大事じゃない。

角田 はい。みんながだってそれを、キリストをすごいと思わないととか。みんなが空海をすごいと思わないと、宗教として成立しないからポピュリズムですもんね。

豊津 だからイエスがやったキリスト教がね、イエスという一人から始まったにもかかわらず、なぜ最後ローマ帝国がキリスト教になるかだよね。

角田 国教になっちゃいますもんね。

豊津 そう。あれはだからプロパガンダとして大きな能力をもってるからじゃない?そうするとスターリンがプロパガンダとして芸術を先頭に立てたというのはなんか宗教に近いじゃない。

角田 うん。だからイデオロギーと宗教って似て、やっぱ似てるんすね。

豊津 相似形だと思うんですよ。

角田 相似形ですね。どっちにしても集団をコントロールと言うと言い過ぎかも知れないけど、集団をどう集団幻想に、思わせるかが宗教だったり、イデオロギーだったりってことですもんね。

豊津 だから人工知能に最もふさわしいのは社会主義ですよ。

角田 だから中国のAIがどんどん今進んでますもんね。

豊津 スターリンや習近平が人工知能になると、非合理なことしないじゃん。だから賄賂なくなるよ(笑)

角田 いらないくなりますもんね(笑)

豊津 そう。だから人工知能には賄賂必要ないからね。

角田 でもそれ言ってるとどんどんマトリックスの世界みたくなりますね。

豊津 そうそう。だからたぶんそっちの方へ行く可能性が強いんだろうっていうのがハラリさんが警告してることじゃない?

角田 してますよね。ホモデウス。

豊津 だからナチズムもそうだしさ、っていうことでしょ?

角田 整理すると、宗教というところから個人というのが出てきて、それがアートになってるんだけれども、近代現代になって、また共同幻想を作るときにアートを利用し始めるってことなんですね。

豊津 そうです。例えばポップアートなんか近いでしょ。アンディ・ウォーホルやってるのはアドバタイジングに近いじゃない。

角田 近いですよね。マリリン・モンローは全部色は違うのをわーっと並べるのなんて、あれアドバタイジングですよね。

豊津 そう。だから最後にやっぱりアンディ・ウォーホル自体が作ることのリアリティよりもどれだけの枚数を刷れるかとか、どれだけの人に影響与えるかってことに、すごく関心持って。それからあとはどれだけ退屈に耐えらるかとかね。だからほら、自分が寝てるところずーっと24時間、映像とか。だから退屈ということをどうやって人間が耐えうるかってこともすごく全体主義では大事だよね。

角田 だって退屈ばっかさせてたら革命が起こっちゃいますもんね。だからその現政権を、つまりパンと見せ物じゃないですけど、やっぱりそういうようなものを付加しようと思ってアートを利用してるんだなー。

豊津 アートがもう一つ選挙権と違うのは、物の売買ができるじゃん。交換。だから貨幣に近いよね。

角田 面白いですね。そうか、だからアートが生まれたことによって民主主義が自由主義がみたいなことがあるけど、一方で、資本主義もアートだから、やっぱり。豊津さんの本に書いてあるますけど、資本主義とアートって直結してるわけですね。

豊津 そうなんですよ。それはお札という形で、例えば千円札というのがみんな共通の記号だとすると、もしかしたらその共通の記号に個性を持たせたのがアートかも知れないじゃない。

角田 一枚一枚違うと(笑) その代わり一枚一枚違うから一枚50億円のものもあれば、5万円のもある。

豊津 そう(笑) 1万円のもあるし、22円のもあるし。

角田 はぁ〜、面白いっすね。ちょっと視点を変えると、アート…でも、アーティストがなにか作品を作った時に、まあ、出るじゃないですか、世界観というかその人の考えてることって。それってやっぱりその人の宗教感が出てるとも言えますよね?

豊津 そうね。やっぱり個別の宗教感だよね。

07.アートは八百万

角田 だから、宗教というもののプロパガンダで、たぶん宗教画みたいなものが描かれてて。そこから署名をする今日になって、宗教と切り離されたんだけども、じゃあ切り離されたのかというと、結局、個人個人が思ってる個人の中の神様を書いてるとも言えるんだよなーなんて思うんですよね。だからもしかしたら幻想の、みんなが支持する神様よりアートはゴッホが信じる神様とか、ピカソが信じる神様ってのを表現してるのかなって、すごいう思うんですよね。

豊津 そうするとね。一神教ではなくなるんじゃないかと思うんだよ。

角田 うん!そうだ!だって、70億人いたら70億の神様、つまり八百万の神になりますよね。

豊津 そうすると日本人の宗教観に最もあってるのがアートなの。

角田 う〜ん!ホントだ!

豊津 ね。あらゆるところに神がいるわけ。だから日本人はこのアート的なね、世界をすでにアニミズムをずーっと続けてるわけだから。しかも神道ってさ、経典がないじゃない。言葉がないのよ。

角田 宗教じゃないかと思われちゃうからわざわざ作ろうとしなかった。

豊津 もともと神道にはないから、文字の世界がね。だから神道は八百万の神だから、どこにでもいるわけだから、アートに最も近いのが神道じゃないかなと思って。勝手にね(笑)

角田 はははは!ほんとですね。言葉でもないし、八百万の神がおわしますし。なるほどなぁ。

豊津 だから、なんだっけ、ほら、日本人が牛乳のフタ集めるとかさ。あったじゃない、子供のころ。

角田 集めてメンコみたいに戦いましたね。

豊津 あれさ、誰に教わったもんでもないけどなぁ。切手を集めるのは世界中やってる。牛乳のフタとかさ、なんかどうでもいいもの集めるのが子供の時からあるって、なんかすごく日本的かも知れないなぁ。あるのかなぁ…

角田 価値が有るのか無いのか分からないけど集めちゃうわけですもんね。

豊津 そう。で、集めるとある能力を持つじゃない。あいつは俺の持ってないものを持ってるみたいな。

角田 なおかつそれが強いとか弱いとかもありますもんね。

豊津 なんだっけ、なんとか牛乳のフタは…、明治牛乳のフタは5枚分とかさ(笑) そこに交換が始まるじゃない。

角田 はい(笑) そうですよね、まさに資本主義ですよね。俺の強い奴と交換しようみたいな話になりますもんね。

豊津 その日本の国がね、美術品を資産として認めないっていうさぁ。

角田 また本末転倒ですね(笑)

豊津 本末転倒してんじゃねぇかな(笑) っていうのが僕はすごく思うんだけどね。

角田 僕本当にそう思うんですよね。日本を取り戻せとか、国を強くしようとか、色々言ってるじゃないですか。それが正しいか足しくないかはイデオロギーの問題だから皆さんの自由でいいんですけど。本当に国を強くするためだったら、アートが強い方が絶対国が強いですよね。それがなんで分かんねぇのかなとか思っちゃう。

豊津 それをもう少し言うとね。核を持つって一神教的じゃん。ね。アメリカが核持つ、ロシアが核持つ、中国が核持つっていうね。これ、イスラム教があって、仏教があって、キリスト教があるようなもんじゃない。すると日本は核を持てない、持たないということをするとすれば、何を持てば日本人らしい等価感かって話なの。そうするとね、光明皇后が集めた正倉院のコレクションを個人の女性の天皇がね、皇后が集めたって、なんかすごく面白いと思わない?それを日本は千年以上持ってるわけでしょ?一千年以上誰かの個人のコレクションが残ってるなんて、世界に日本以外あるのかな?だから俺はなんかそういうようなことをね、今日本が考えた方が核を持つお金を考えると、ねぇ、何兆円かで絵を買った方がいいじゃん。

角田 本当にそう思うんですよね。そういう絵がたくさんある方が攻めてこない気がするんですよね。そこにミサイル撃つうっちゃったら、あの絵が壊れちゃうと思った段階で、ミサイル撃ってこないと思うんですよね(笑)

豊津 ここで言っていいかどうか分からないけど。国会議事堂の前にプーチンと習近平と金正恩の銅像を建てたらどうかなって(笑)

角田 あははは!そうですよね!ミサイル飛んでこないですよね!!

豊津 だから、ちょうどほら、慰安婦の銅像を韓国が色んなところに作ってるんだったら、日本もそういう銅像じゃなくて(笑)

角田 代わりに(笑) ホントですよね。

豊津 そういうのもアートの国防っていうのかな。

角田 はい。アートの国防ですね。すごいですね。

08.アートの装飾性

角田 あの、あと僕思うのは、とはいえ、ミラノの大聖堂とかドゥオーモとか行って中見ると、ステンドグラスですごい綺麗で、荘厳な気持ちになるなーって思うじゃないですか。でもあれって、長野の善光寺に行って御堂を見てても同じ気持ちになるのがすごい面白いなと思うんですよね。

豊津 それはあれと一緒ですよ。あなたが高級な料理屋行くじゃない。高級な料理屋って食べるものも手が込んでるけど、お皿も手が込んでるでしょ?

角田 はい。あと装飾というか、壁、部屋もすごい良かったりしますよね。

豊津 あれだよ。食い物が主体なんだけど、周りに色んなものをやるってのも日本独特の文化でしょ。例えば四角い皿なんてフランス料理にはなかったんだけど、フレンチの人が日本で学んで四角い皿使うようになったとかね。ガラスの食器も日本人が使ってたから、フランス人が使うようになった。

角田 それまでは、白い普通の丸いディッシュでしか出してないですもんね、フランス料理は。

豊津 だから、なんかその装飾性っていうものが人間の感性を激情させるっていうのかな。そういう役割にかかってるんじゃないの?すると、モダンなギャラリーはホワイトキューブっていう四角い中に入れて、神聖化を図ってるじゃないですか。

角田 ん〜、なるほど!むしろそれを抑えようとしてるんですね。

豊津 抑えようとして。その代わり作品で興奮してくれって言い方じゃない。

角田 あ!だからああいう風にミュージアムってすごいモダンというか、すごいシンプルな建物になってるんですね。はぁ〜、面白いな。

豊津 だから装飾性を排除する。装飾性いれちゃうと、今度は逆に言うと、日本のアートもフランスのアートもどこのアートも同じに見えちゃうからね。周りの方の器が気になるから。だから過剰包装になるわけよね。デパートで言うと、中身は大したことないなんだけど、箱と包み紙ですごいっていうのあるじゃない(笑)

角田 うん(笑) ありますよね。過剰包装な感じ。

豊津 それがものすごく過剰なのが教会とか寺院とか、そういうところで行われてるんじゃないかと思うんだよね。

角田 はぁ〜。面白いですね。つまり寺院とか教会ってそう言う意味ではアートとかミュージアムとは対極にあると言えばあるんですよね。ただ一方で、すごいミュージアム性なところもあるじゃないですか。だから京都の東寺に行けば立体曼荼羅みたいなのがあって、仏像がたくさんあったりとかして。あれって国立博物館で並んでるのと考え方は一緒だなと思っちゃうんですよね。それが鑑賞なのか宗教なのか。

豊津 先ほど言ったように、そもそも宗教からアートが生まれたように、宗教の中の装飾性がアートだからね。だから神様がいるっていうのをみんなに伝えるために、神様がどんなに素敵な人かとか、どんな人なのかってのが装飾性じゃない。だからステンドグラスで綺麗に見せたりさ。だからあの世っていうのかな。天国をどうやってみんなに見せるかってことじゃない?

角田 さっきの話ですね。神様をどう、見えない神様をどう見せるかがあのステンドグラスだったかも知れないわけですもんね。

09.あの世とこの世

豊津 で、宗教の最も大事なのは、あの世とこの世なんだよね。僕たちは神を信じないとすると、この世しかないじゃない。

角田 はい。現世しかないと。

豊津 あの世がないんだよ。あの世がないというのはどういうことが起こるかって考えたんだよ。倫理の崩壊なんだよ。我々はあの世に行くためにこの世があるから、この世では少し抑えようじゃないかとか。そういうことしちゃうと地獄に行っちゃうよとか。

角田 この世でちょっと貧しくてもね、とか思いますもんね。

豊津 だから僕たちの時代の不幸はあの世がなくなったってことだと思う。

角田 あの世がなくなりましたよね。そうすると、アートってどうなっちゃうのかなってちょっと思うんですよね。

豊津 僕が今勝手に思ってるのは、アートがあの世の代わりになるの。それは前あたなに話したように、作品って死体でしょ?死人じゃない。死人っていうのはこの世じゃないでしょ。

角田 あぁそうか!作品が生まれた段階でそれは死んでるわけで。

豊津 死んでる状態が保存されてるから。それがあの世じゃない。ということは、アートを集めるというのは今すごく盛んになってきたのは、あの世がなくなったからかも知れないね。

角田 少なくともあの世という共同幻想がなくなってきちゃったから、個人個人のあの世を死体として表現してるのがアートだと。

豊津 そうすると、今度、自分史というのが出てくるでしょ?一時期流行ったじゃない。自分の歴史を書いて、自分史をどうするかって。それが僕たちが死体となったときにあの世の手形になるわけじゃない。だからアートがあの世の代わりになっているんで、コレクションというね、かつての物を集めて、自分たちのこの世を支える何かにしてるんじゃないかと。僕たちもいずれあの世になるわけだから、死体で。すると僕たちは未来に対する死体だからさ。するとそれは未来というのが今僕たちの目の前に現れないあの世かも知れないよね。

角田 うん、うん。なるほどなぁ。そう考えると画廊のオーナーというか、画廊の方って、閻魔大王というか(笑)

豊津 画廊は送り人。

角田 送り人ですよ!そうだ、送り人だ!送り人ですね。見届けているというか。

豊津 死体にお化粧してさ(笑) 焼き場に持っていって。

角田 もしかしたらお坊さんとも言えますよね。戒名つけて(笑) 送り届けてますもんね。

豊津 戒名つけてね(笑) まあ、だから、アーティストがタイトルつけるのも戒名みたいなもんだからね。だから今まで僕たちが言ってる宗教というのが今までの宗教が法人化して現世になっちゃったから、宗教自体が自ら薄まっちゃったわけよね、宗教性を。

角田 それって面白いですね。アートというものがあるのに、アートを資産と認めない日本は、一方で宗教という漠然としたものを法人化することでむしろ宗教性をなくさせちゃってるんですもんね。

豊津 それが、だから、減税でしょ。だから法人税の優遇措置をしてるわけじゃない。

角田 宗教法人。

豊津 宗教法人は。それは学術会議に似てるよね(笑)

角田 似てますよね(笑) どういう優遇なんだってことですもんね。

豊津 だから知性とか信仰とかにそういう経済的な対策を立てちゃうと、本来の持ってる機能が薄まるってことだろうな。だから出来れば学者は国家からお金を貰っちゃだめだよね。胡散臭い。

角田 だめですよね。だから僕はあの話ってなんか納得いかないのはそういうところがあるんですよね。完全に学問の自由みたいな話とちょっと違いますよね。既得権益の奪い合いみたいなところがありますよね。

10.パンデミックと宗教

豊津 だから今回パンデミックで誰かの話を聞いたら面白かったんだけど。今までパンデミックは人類の中でいくつもあったじゃない。パンデミックが宗教の崩壊を起こすんだよ。

角田 つまり死を招いちゃうわけですよね。

豊津 違う、違う。あのね、良い聖職者、牧師さんとか良い聖職者は患った人を助けに行くじゃない。すると、良い聖職者から死んでいっちゃうんだって、うつって。ろくでもない奴は危険だから行かないだよ。で、ろくでもない奴が生き残って宗教を支えるから信仰が離れていくっていう、逆の方向。良い人ほど死んじゃうんだよ(笑)

角田 (笑)やってらんないですね。

豊津 そう、やってらんないでしょ。それの一点が今の宗教者の幼児虐待とか、セクシャルハラスメントでしょ。だからそれが宗教の内部崩壊を招いてるといってもいいんじゃないかな。

角田 パンデミックで言うと、僕、今度の最速で身につく日本史ってのが出るんですけど。そこでコレラパンデミックの話を書いたんですけど。これは大学の先生に教わったんですけど。コレラって、江戸時代の中頃から明治時代に世界的に大流行してるんですけど、5回パンデミックが起こってるんですよ。そのうちの最後の4回目と5回目が明治時代なんですね。明治時代で…えーと今ぱっと数字が…本で書いたのに忘れちゃいましたけど、明治時代って日露戦争と日清戦争で死んだ人とかより、コレラで死んだ人の方が多いんですよ。だから戦争だと人が亡くなると思ってるんだけど、実はパンデミックで相当、30万人近く亡くなってるんですって。
 で、ちょうどその年号を見たときに、コレラのパンデミックしたとき、ちょうど夏目漱石とかが青春時代を送ってるんですよ。ってことは、今コレラじゃなくてコロナパンデミックじゃないですか。我々が緊急事態だとかGOTOトラベルどうするかとか、マスクつけようみたいな、うつっちゃううつっちゃうみたいなことを、夏目漱石とかも若い頃思ってたんだと思うんですよね。隣の人がうつるからもう近づくの止めようとか。そんな思いをしながら我輩は猫であるを書いたり、坊ちゃんを書いたりしたわけじゃないですか。
 ってことは、この2020年のコロナパンデミック、これって絶対、僕は今たまたま漱石って言いましたけど、小説もそうだしもしくはアートですけど、多大な影響を与えるんだろうなと思うんですよね。で、一方で、多大な影響を与えてきてたんだよなと思うんですよ。だからその、だってもしこのコロナパンデミックがなければ、夏目漱石がコレラパンデミックに恐怖してたなんて気づかなかったって言うか。そんなこととこころとかそれからの影響は全然なかったんじゃないかと思うんですけど。やっぱり、絶対、影響があったんだろうなと思うと、人類のアートの歴史の中でパンデミックの怖さと言うか、いつ人からうつるかも知れないみたいな恐怖って、ずーっと人類の中にこう、蝕んでたんだろうなーとか思って。

豊津 やっぱりそれを表してるものはたくさん残ってるからね。

角田 宗教でも、絵でもありますもんね。エラスムスとかもそうだしとか。

豊津 だからそれはもうアートも当然時代人がいるわけだから、残ってることは事実だと思うよ。

角田 そうすると、まさに現代アートもね、日本も、全世界でパンデミックしてるわけだから、すごい起こるんでしょうね、このアートの変容というか。

豊津 でもやっぱり、例えばね、パンデミックまで行かないとしても、パンデミックもあるけど、例えば鬼滅の刃ひとつ見ててもね、あれが当たってる最大の理由は家族崩壊というのが起こってるというかね。家族崩壊ってものがまずあって、それがパンデミックを引き起こしてるかも知れないじゃないですか。ね。だって、もう家庭に若い人がいられないという現象があるらしいんだよね。家族と一緒にいられないとかね。それがある意味でこういう病気を蔓延させる元になってるかも知れないし。だって、やっぱり十何歳でさ、渋谷に夜中にいるなんてさ。やっぱりかつてはないじゃない。それがやっぱりたくさんあるというのは大きいし。
 それからもう一つはやっぱり、この間NHKの特番で見てたけど、やっぱり若い女性が大変らしいもんね。パパ活っていうの?ああいうことが起こってるしね。それはだからパンデミックのベースになる社会の状況、それから思ったほど日本の国は近代化してないっていうの分かったじゃん、今回ね(笑) 早い新幹線は走って、すごいなって言ってるんだけど、意外と近所がダメだったりね(笑) だから足元が本当に近代化してるかどうか非常に難しいっていうのが今回分かったよね。

角田 分かりましたね。あと僕、すごく今回の件で思うのは、要するにそれまでの学生運動とかデモとかって、何か困難があったとき「団結せよ」だったじゃないですか。さっきの話で言うと、宗教というのが共同体だったのが、個人になったときに、やっぱり結局、共産主義革命とかもそうだと思うんですけど、革命って基本的には団結せよだったと思うんですね。
 ところがコロナって団結しちゃダメなんですよね(笑) ソーシャルディスタンスを、三密を避けなきゃいけないってことは、デモするなって言ってることと同じことかなというか。つまり団結しないで、だから今までだったら相手が可哀想な相手がいたら寄り添ってあげる、肩に手を乗せてあげるとか、手を差し伸べてあげること、声を掛けてあげることが、悲しい相手への対応として正しいと言われてたのに、コロナになったらむしろ相手のことを思うと離れて(笑) 喋っちゃダメで、なんなら会っちゃダメで、握手はもっての外で、キスなんてもっての外みたいな話じゃないですか。
 これってすごい価値観が変わるよなと思いつつ、さっきの夏目漱石の話じゃないんだけど、でもじゃあペストの流行とかね、ヨーロッパの流行とか、コレラの流行とか、まあ、そんなことってずーっとあったんだろうなーとか思うんですよね。

11.ニヒリズムとアート

豊津 でも、やっぱりね、ずーっとニヒリズムみたいなものはね、個人主義がつきまとうじゃない。どこまで行っても角田君は角田君だと。どこまで行っても僕は僕だと。ってことは、お互いに助け合うのも限界があるということも分かった。

角田 あぁ、そうか。そもそもそうだったんですよね。

豊津 そう。だからそれがみんな今回の件で、そもそも人間はもうすでに宗教を失った時点でニヒリズムに陥っているんだと。だから自分のことを自分で考える以外に救いはないというね。自ら助くるものを助くって言葉があるじゃない。あれが眼前に来たんじゃないの?目の前に。だからよくテレビ番組見てると、どの人も哲学者も何もかも、自分のことは自分でよく考えて行動するってするしかないって言ってるんだよね。こういう大きな思想があってあなたを助けるってこはもうないんですよと。みんなが自分たちで考えて、ここには行かないようにするとかね。ということだと思うんだよ。

角田 確かにニュースとかでもそういうコメントが増えてますもんね。だから結局、それまでってやっぱり皆んなで助けましょうとか。だからさっきの言葉の話に戻るんですけど、言葉でこう言う風にあなたたちを助けましょうとか救いましょうとか、言葉の力でなんとなく、もしかしたら麻痺というか詐欺だったのかも知れないですね。みんなその後できないのに。

豊津 そう。一番いい例がさ、24時間テレビじゃん。

角田 ホントですよね。詐欺ですよね。

豊津 あれさ、やっぱり耐えられないよね、見てて。

角田 はい。僕そんなに好きじゃないんですよね、ホントに。そんなに直接言いたくないんですけど。

豊津 ははは!

角田 百歩譲って出演者が全員ノーギャラだって言うんだったら。あと日本テレビがスポンサーを一切付けずに、あるいはスポンサーのお金を全部寄付してるなら分かるんですけど。スポンサーからは高額なお金を取って番組制作しておいて、純然と一般人からだけの寄付金から寄付を回してるって、やっぱりちょっと納得いかないんですよね。

豊津 あなたが言うようにあの24時間だけは全員ノーギャラで、テレビ局も全部自分のリスクでやるって言うならね。

角田 言うなら、素晴らしいことだと思うんです。

豊津 素晴らしいと思う。ああいう番組にならないよ。

角田 だからそれって欺瞞というと言い過ぎですけど、言葉の持ってる虚飾性というか嘘みたいなものの表現があの番組だし。もしかしたら、それも困ってる人には手を差し伸べましょうよって言ってた美辞麗句みたいなものが今回のコロナで本当に美辞麗句だけだったんだってことがバレちゃったというか。もう自分で考えなさいみたいな。自分で自分の人生、片をつけなさいよってことをすごい言われてると言うか、それが突き付けられてる感じがすごいしますよね。

豊津 そうだよ。だってさ、家族も見送れないんでしょ、亡くなって。

角田 人気があっても人を最小限に呼びましょうとか。それこそうちの親父のときもそうでしたけど、なかなか病室に入れなかったですもんね。

豊津 ってことは、見送りがないわけよね。だから本当にそうしうニヒリズムの社会に我々が向かってるということは、自由の裏返しじゃない。だからそいういうのがあるのかなと思うんだけど。そうするとね、自分の口からはへんだけど、そのニヒリズムの対極としてアートというのが、個別だからさ。

角田 団結を美辞麗句で描いてないのがアートなんですもんね。

豊津 そうそう。そういうようなもの、例えば今僕が一番アーティストにアドバイスするときに、なるべく余計なデコレーションを省けって言ってるのね。意味のないデコレーションを入れるなと。ということをアーティストにアドバイスしてるの。それはなぜかと言うと、その彼の言葉の中には関係ない猥雑なものが入ってくるわけよ。

角田 ノイズというか。

豊津 そうそう。そうすると、猥雑なもので彼が表したいものが雑音で消されちゃうから。なるべく若い時はその雑音を省くようにしなさいと。年取るとこの雑音の活かし方を理解してくるんだよ。だから雑音も使い方によっては大きなコンセプトになるから。若い時はそれが雑音かどうかも分かんないから。その訓練をしろとということを言うわけね。だからなるべくシェイプアップして、コンセプトだけに絞っていったってことよね。

角田 実際、東京画廊にときどき遊びに行くと、やっぱり扱ってる絵ってすごいシンプルなものが多いなーと思うんですよね。それってやっぱり豊津さんが今そういう風に仰ってるからってのもあるし、そもそも現代アートってそういうものなんですかね?

12.言葉のアート化

豊津 うん。そうだと思う。それはさっき言った聖書によってアートが言葉から離脱したけど、聖書がある機能を失ってきたら、言葉がアートに、今度は必要になってきたという不思議な(笑) だから今のアートは言葉というのがすごく大事になるから。だからその時にもう一回僕たちは聖書だろうがアートだろうが、根本には言葉っていうものがあるんだろうと。その言葉の信頼性というか信仰、信じるということがやっぱり一番人間にとって大事な部分だろうと。

角田 気付かされるわけですね。

豊津 言葉は動物は多少、記号的な音は出すけど、人間みたいになにか神だとかそんな世の中にないものまで言葉化するってことは動物にはないから。だから人間にとって言葉っていうのはものすごく大事だってことの中で、そこから貨幣だとか、アートだとか、色んなものが派生してるっていう風になってるんじゃないかな。その言葉の全体性を統括してきたような宗教性みたいな集団性はむしろ排除されていく方になる。だからやっぱり習近平さんが香港で言葉狩りをするのはそういうことでしょう。言葉が一番怖いんですよ。

角田 歯向かえなくなりますからね、言葉がないと。

豊津 で、言葉ってのは本当に、あなたが言ったように境を作れないからね。ここから喋るなとかいうのやっても。それが今の宗教のすごく大事なこと。それから先ほど言ったように、神のいない世界、神のいない世界の中で僕たちは彼岸、あの世というものをどう考えるのか。なぜかと言うと誰にでも死は来るから。その死に対してどういう覚悟を持って望むのかとか、そういうものも今文学ですごく大事なテーマになってるじゃない。それが多分アートの大きな役割かなって気がする。

角田 そうですね。今聞いてて思ったんですけど、色んなCGというかPCというか、そういうプログラミングがありますけど、プログラミング言語ってプログラミング言語で書かれてるじゃないですか。つまり言葉で書かれてるんですよね。だからすごいアートの作品とかもそういうPCとかデジタルなもので表現されてたとしても、あれを結局形にするのって結局言葉なんだよなーと思うと、すごい面白いなーなんて思っちゃったりするんですよね。

豊津 それから、あとはやっぱり独特の言葉の使い方。この言葉の使い方は山本豊津しかしないなっていう言葉の使い方が大事だと思うんだよね。

角田 これからですか?

豊津 これから。だから新聞読んでてもテレビ見てても、大体同じ言葉で喋ってるじゃない。

角田 そうですよね。匿名性ですもんね。

豊津 だから全然言葉に力がない。

角田 それじゃあもう意味がないってことなんですね。

豊津 意味がない。

角田 もしかしたら言葉もアート化するってことですね。個性化するというか、キャラクター化することは、言葉自体がアート化していくのを、もしかしたら必要なのかも知れないってことですよね。だから僕も自分が本書いた時に、すごい文章、言い方がすごい拙かったりして、プロの編集者だと直されるんですけど。それ直されすぎちゃうとですね、論理的には正しいんだけど、角田の味じゃなくなっちゃうみたいな。

豊津 そうなんです。角田君は角田君を伝えたい部分と、その角田君と真実がどう抵触してるかってことが大事で、真実が大事なわけじゃないよね。

角田 うん。そうなんですよね。真実が大事だったら、極論すれば誰が書いても一緒なわけですからね。

豊津 一緒なの。すると人工知能で済んじゃう。やっぱり本当に本を読む人が好きなのは、やっぱり芥川龍之介の文体、それから森さんの文体、そういう風に個人の文体が好きだって言うのがあるじゃない。だからそれがアートの持ってる個別的な自分たちの気持ちを優しくしてくれるっていうのかな。

角田 そう考えると、実際コロナでこうやってリモートが増えちゃったって意味で言うと、直接会えないみたいな意味で言うと、そんなに団結できないっていう意味で言うと、もしかしたら人間一人一人の生き方もアート化する必要がありますね。

豊津 うん。最終的には自分の人生を自分の作品だと思って生きるって言うことが(笑) 最も大事じゃないかなと思うんだよね。

13.大日本土葬党

角田 面白いですね。あと残り5分くらいで間もなく終わるところでまた今日イチの豊津トークというか(笑) 豊津さんの自分の人生どうアート化するか、アート作品にするかが人生だと。

豊津 僕ね、宗教って大好きなんですよ。宗教に対する興味がすごくあるのは、宗教が持ってる物語性。その物語性ってさ、一様じゃないじゃん。色んな見方で。で、不在なる神を色んなやり方で我々に伝えようとしてる、その伝えようとしてる文体っていうのかな。これがすごくアートと触れ合う部分だと思う。だからその文体が貧相な宗教って、最初から全く興味ないじゃん。

角田 僕なんか、前どこかでTwitterでも書いたんですけど。今の時代やっぱり新ためて宗教が必要なんだなと思うんですよ。ところが、宗教が必要だって言うと、新興宗教作ろうみたいな話に聞こえちゃうじゃないですか。だから宗教法人でとか。僕の言ってる新しい宗教って、宗教じゃないんですよね。だから今僕らがパッとイメージする宗教じゃないんだけど、ただ人間が生きていく上で、考え方というか指針みたいなものがないと、なんかこの後の人類ダメなんじゃないかなと思ったっ時に…

豊津 いや、角田君ね、お笑いとしての宗教を作りたいなと思うんだよ!

角田 あぁ〜っはっはっはっはっはっは!

豊津 ね(笑) もう、最初っから胡散臭いの。もう最初っから胡散臭いという宗教を作るのよ(笑) 入ってくる人は真剣じゃないじゃん。胡散臭いで入ってくるから。

角田 もう胡散臭いって初めっから思ってるんですね!

豊津 そうそう、それが大事なの。それで大日本土葬党っていう宗教作りたいなって思ったの(笑) ね。我々は土葬を失ったために、不動産売買やりすぎたと。昔は自分の庭に先祖が埋まってるから。

角田 売らないですよね。

豊津 そう。自分の土地は売り渡さないの。だからそれを大日本土葬党っていう(笑) 宗教を作ったら面白い。

角田 いかがわしくすればいいんですね!

豊津 なるべく。だから大を付けたのよ。日本じゃつまらないから。大日本じゃないと(笑)

角田 あれですね。壺とか買わされるのが前提みたいな感じですね。

豊津 そうそう。で、このね、お笑いから入るっていう方がシリアスで面白いと思う。

角田 僕がさっき言ったことと同じようなことかも知れないです。厳粛にってやるのがどんどんいかがわしくなって行くわけだから、初めからいかがわしく…

豊津 バラエティはそこが好きなのよ。真剣なバラエティは面白いじゃない。ね。おちゃらけたらつまらないじゃない。だからぜひ大日本土葬党のね、党首はタモリさんか、宣伝部長をさんまさんにしてさ(笑)

角田 やりたいです!そう言えばさんまさんも意味ないじゃ〜んって言ったときに、全日本意味なし教みたいなのやってましたからね(笑)

豊津 あ!そう(笑) 僕はね、それがユーモアの最高の面白さだと思う。

角田 うん、なんか分かります!

豊津 やっぱりね、斜めから見るって言うのかな。全てを茶化してみるとかね。真剣にデモしたりするよりはずっと面白いと思う。

角田 そっちの方がというか、そういうものが、どっちもあった方がいいんですけど、そういうものがあった方がトータル健全ですよね。そういういかがわしいものとか下らない物とかも含めた上での思想なんだっていう風にやらないと。つまりあの世がなくなっちゃった僕らに、新しいあの世を作ってあげないと生きていけないんじゃないかなーなんて思っちゃいますよね。

豊津 そうそう。

角田 なるほど。ちょうど1時間になりました、ここで。

豊津 あ、そう(笑) こんな話でいいんだろうか!

角田 今日は大日本土葬党の話で盛り上がりましたが(笑) ありがとうございます。あの、あれですよね、今、東京画廊70周年やってるんですよね。

豊津 そうそう、ぜひ皆さん。

角田 何日までとか、そいういう宣伝をしていただければ。

豊津 先程の、今度は真面目な話ちょっとしなきゃ(笑) 60年代、70年代の現代美術がいま世界でものすごく認められるように…

角田 そうなんですよね!すごく!

豊津 うん、その60年代と70年代の代表的な作品を2回に分けて展示したんです。だから今日話してる内容もここに展示してるものを見ると装飾性の問題とかね、それからそういうおちゃらけた部分、そういう一般の人にはおちゃらけてるようには見えないけど、基本的にはすごく人間とはおちゃらけたもんだってことがじわっと来るような作品とかね。そういうものを展示してますんで。

角田 豊津徳を見て来ましたって言えば、なんかあるんですか(笑)?

豊津 あの、説明してあげる!

角田 そうですね!豊津さんの個別解説。

豊津 前回は泰明小学校の3年生の子たちが東京画廊に見に来たの。今、泰明小学校とはそういうことやってるの。銀座に画廊があるから見ようと。で、小学校の3年生たちが見に来ると、当然3年生んは意味を教えても分かんないから、技法を教えるんですよ。

角田 技法??

豊津 どうやって絵を描いてるかって言う。なぜかと言うと、うちの技法はどの子供も全部できるから。うちのアートはね。だから白髪さんっていうのは足で描けるし。もう子供たちが自分で出来るって分かった途端にみんな気分が変わるんだよ。富士山の絵は自分じゃ描けないからさ。

角田 それ本当に子供達にやった方がいいですよね。

豊津 そう。でね、角田さん、3年生までだけ。5年生6年生はもうつまんない。

角田 あぁー、大人になっちゃってるってことですか?

豊津 そう。意味が発生しちゃってる子は。だから意味が発生しちゃう前にこういう体験しとくと子供は生涯忘れないと思う。

角田 あー、絶対それは経験した方がいいですね。

豊津 この中で一番高い絵はどれだと思う?っつって、全員がこれだって言ったのがピンポンで当たってんの。

角田 へぇ〜!分かってるんだ!

豊津 そう。親には分かんないの。

角田 親には(笑) みんな一緒に見えちゃうんでしょうね!値札がないと分かんない。

豊津 そう。子供には分かる。不思議だなと思って(笑)

角田 はい。そんな感じでございますが。またこれ来年もやりたいと思いますので。

豊津 はい、分かりました。またテーマをお願いします。

角田 そうですね。はい、じゃ、1回配信止めますので。皆さん良いお年をになりますが。

豊津 はい!皆さん、良いお年を!

角田 はーい、失礼しまーす。

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