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2018.11.9 見えていても見えていない

昨日結局2時間くらい寝るも起きてしまい、そのままあれこれしてたら寝不足のまま一日を過ごすことになり、ぐろっき~~なまま金曜日を過ごしてしまった。雨も降ってたしね!? でも研究室の先輩がくれた栗のお餅をみんなでもぐもぐして楽しかった。ちょっと儀式感あった。

さすがに栗のお餅を食べてる時に本は読めないのだけど(手がね!! 淀れるしね!!)、私はぐろっき~~な時にいきなりアウトプット作業に入るのが苦手で、なんか本とか読んで頭回してから作業することが多い。というわけで読んだのが『生物から見た世界』(ユクスキュル/クリサート著)。珍しく理系の本。なんかついったーで見かけて面白そうだなーと思ってたら、人が持ってたんで貸してもらった。

でも見た目は理系だけど、言ってることはめちゃくちゃ哲学系の話だな~と思った。國分先生とかこの本で言われてる環世界の話、どっかでしてなかったっけ!? 記憶違いかなぁ。

生物によって、「知覚できるもの」は違う。私たちは同じ世界に住んでいても、何を認識するか、時間をどう感じるか、は主体によって変わる。ダニはダニにとって刺激になり得るものだけを認識するし、ゾウリムシにとって他者は腐敗菌か障害物かいずれかでしかない。この本は、それぞれの主体にとっての知覚世界と作用世界をあわせて「環世界」と呼ぶ。

すごい面白かったのが、キリギリスを狩るコクマルガラスの話。コクちゃん(勝手に略す)はそもそもキリギリスを認識してるのではなく「跳ぶキリギリス」しか知らないらしい。それゆえ静止したキリギリスはコクちゃんは認識できない。知覚世界に静止した姿はインストールされていないから、死んだふりで対処できるらしい。ひえーなるほど。

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