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大人になってから読む『源氏物語』はいいぞ〜六条御息所編

最近、源氏物語を読み返している。

そして思うこと。源氏物語は、とても、いい。

……そんなの千年前から知ってるよ! と日本中から石を投げられそうだが、それでも言いたい。源氏物語は、とても、いい。その良さをなかなか分かられていないのではないか? 分かっている人はまだまだ少数なのでは? と思うほどに。

たとえば源氏物語の有名なエピソード、六条御息所の物語。光源氏の年上彼女でありながら、美貌も教養も身分もどれひとつ欠けていない女性。しかし彼女は、光源氏の正妻、葵の上に生き霊として取り憑いてしまうのだ。

……この話を昔読んだ時は「嫉妬ってこわいなー、いやでもそんな想いをさせる光源氏も悪いよ」くらいしか思わなかった。本当に。しかし大人になってから彼女のエピソードを読むと、思うのだ。

「生き霊になったり嫉妬しすぎたりしたあとの、光源氏と六条御息所の、ふたりの別れ話が、あまりにも良い」と。

紫式部は、もしかして若き光源氏にとっての「別れ話」を描きたかったから、六条御息所を登場させたのではないか? とすら思う。

光源氏にとって、女性と別れるタイミングは、基本的に死別である。葵の上も、夕顔も、紫の上もそうだ。あるいは空蝉のように失踪して振られたり、藤壺のように会うタイミングがなくなったりしたこともあるけれど。

ちゃんと「別れ話」をするタイミングは、六条御息所以外、ほぼない。

そして紫式部は、この誇り高き女性に、光源氏との「別れ話」をする機会を与えたのだ。この「別れ話」を描く場面が、まさに今より少し寒いくらいの秋の夜の風景で、絶品なのである。

遥けき野辺を分け入りたまふより、いとものあはれなり。秋の花、みな衰へつつ、浅茅が原も枯れ枯れなる虫の音に、松風、すごく吹きあはせて、そのこととも聞き分かれぬほどに、物の音ども絶え絶え聞こえたる、いと艶なり。

『源氏物語』賢木

広がる野の分け入った先はーーハッとするような風景が広がっていた。
秋の花は枯れ、虫の音に吹き荒ぶ風は寂しくて、どこからか琴の音が途切れて響く。
ぞくりとする、美しさだった。


う、美しすぎませんか!? この後始まる、ふたりの別れ話の予感が、情景で物語られている……! 原文の言葉も、表現されている風景も、美しいよお、しかしその美しさが六条御息所の寂しさを表現しすぎていて切ないよお、と泣けてきてしまう。

そう、六条御息所は自分が嫉妬のあまり生き霊になったなんて、みっともなすぎる、世間になんて思われているか、と常に自分を責めているのだ。こんな年上の未亡人が、年下の誰もが恋する貴公子に恋して、嫉妬のあまり妻を殺してしまうなんて。どんな噂になっているか、と心底恥じている。

しかし光源氏を魅了するくらい、やっぱり六条御息所は魅力的なお姉様なのだ。

それがわかるのがこの別れの場面なのである。一夜を共にしたふたりを描く描写も、まーーーー美しいので読んでほしい。

やうやう明けゆく空のけしき、ことさらに作り出でたらむやうなり。

  暁の別れはいつも露けきをこは世に知らぬ秋の空かな

出でがてに、御手をとらへてやすらひたまへる、いみじうなつかし。風いと冷やかに吹きて、松虫の鳴きからしたる声も、をり知り顔なるを、さして思ふことなきだに、聞き過ぐしがたげなるに、まして、わりなき御心惑ひどもに、なかなか、こともゆかぬにや。 

  おほかたの秋の別れも悲しきに鳴く音な添へそ野辺の松虫

くやしきこと多かれど、かひなければ、明けゆく空もはしたなうて、出でたまふ。道のほどいと露けし。

『源氏物語』賢木

少しずつ白んでゆく空が、まるで物語のようだった。

「明け方あなたと別れるとき、いつも切なくて、涙が少しこぼれてしまった。
でも、今朝くらい切ない別れなんかなくて……ほんと泣いちゃって、秋の空を曇らせてしまいそうだ」

光源氏はそう歌を詠み、帰りたくなさげに、六条御息所の手をきゅっと握る。帰るのを躊躇うまなざしは、とてもやさしい。

風がつめたく吹いて、鈴虫の鳴き嗄らした声が響く。ふたりの別れを知っているかのような、晩秋の夜明けだった。あんまり悲しくて、六条御息所は良い歌すら、作ることができない。

「秋が終わる、ってそれだけでも切ない気分になるのに……鈴虫がこんなに鳴いてたら、余計に悲しくなるわ」

後悔することもたくさんあるけれど、それでもこの人と仲は、どうしようもなかったんだ。六条御息所は歌を詠みつつ、そう思った。

空が明けてゆく。人に見つかるのを恐れ、光源氏は出発した。
帰り道は、朝露と、誰かの涙に、濡れていた。



「道のほどいと露けし」!!!!!!
私の拙い訳は置いておいて、最後の原文のこの名文を見てほしい……。

六条御息所との別れ話を終えて、光源氏が帰るときの描写、「道のほどいと露けし」。

これは、「帰り道は、露で濡れていた」という意味と、「道に、光源氏の涙がぽたぽた落ちていた」という意味を双方かけているのである。

ちなみに「露」は秋の季語。夜間気温が下がり、空気中で水蒸気が含みきれなくなり、草や木に付着する水滴が「露」。だからこそ昼夜の気温差が大きい秋は、朝に露が見られやすいのである(もっと寒くなるとこれが「霜」になる)。「露」に濡れる道中は、秋だからこそ。

そう、この名文は、六条御息所のいるところが光源氏の家から少し遠くにあって、帰り道がいつもより長い、という舞台設定と。ふたりの切ない別れが晩秋だった、という季節設定と。双方を最大限活かしているのである!!

はー、紫式部って、天才?

あまりの興奮に「賢木」の巻を読むたび、私は胸を掴まれてしまう。なんていい文章なんだ。

こういう話をたくさんするつもりなので、10/26(木)夜の源氏物語トークイベント、ぜひいらしてください!!!!(宣伝) 安田さんに能楽作品としての六条御息所のエピソードのお話もお聞きしたい……。



しかし「賢木」の名文の裏には、ツッコミを入れたすぎるオチがある。

実は光源氏が六条御息所の家へ向かった理由。それは、

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