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母になるまであと41日(不妊治療のふりかえり)

気付けば妊娠9ヶ月を過ぎた。
予定日は7月後半だが、今のところ無痛の計画分娩なので38週で爆誕する(させる)予定になっており、妊娠記録アプリでは「うまれるまであと41日」と表示されている。

妊活開始から大体1年半くらい、不妊治療専門クリニックに通い始めてからだと約1年ほどで授かることができたが、運が良かったんだなという気持ち。
不妊治療の出来事を、いまのうちに軽く振り返ってみようと思い、ごろごろしながら今この文章を打っている。

不妊治療のステップアップと転院

2021年の年明けに、念のためと軽い気持ちで不妊治療専門クリニックに行ってから半年後、こんなnoteを書いた。

この当時はまだAIH(人工授精)にトライしていたが、結果が芳しくなかった。
というか、元々検査で問題がなかったはずの夫側の数値が劇的に悪化してそもそも中止になることが続いた。
これに関しては泌尿器科の男性不妊治療の病院(基本的に男性は別になってしまう。あんまり専門医っていないらしい)で診てもらったたりもしたが、結局原因も分からなかった。今も分かってない。
この時期は少し喧嘩もしたりした。

で、AIHじゃちょっとキツイかもしれない、原因が分からん以上今後改善するのかも見通せないし、わたしのAMH値を考えるとステップアップは早めの方がいい。
ということでART(体外受精・顕微受精)にしよう!とわりと早めに切り替えた。
それに合わせて元々通院していたクリニックから別のところへ転院した。
理由はいくつかあるので下記につらつらと。

時間の都合

これが1番大きかった。
ARTにステップアップする上で通院の回数も増える。
前クリニックの診療時間が16時終了と早く、シフト制で都合の付けやすいバイトの身とはいえ、16時までに行かなきゃならないとなると、さすがに休まないと通院が難しい。
新クリニックは19時までなので、バイト終了後でも通えることが大きかった。
距離は正直前クリニックも新クリニックもほぼ変わらず、どちらも自転車で頑張れる範囲だった。
でも本当、こんな風に選択肢があるのって東京だからなんだろうなとも思う。不妊治療するのには恵まれた環境である。

信頼感があった

知人に新クリニックでお世話になった人がいたため、良い面悪い面含めて評判を聞けたのは良かった。
その後の産婦人科探しでも多分書くけど、本当にGoogleマップのレビューは参考にならない。特に病院。
新クリニックは女性の先生1人で、サバサバしてる分少しものの言い方がキツく感じる面もあるとのことだったが、前クリニックでは先生が複数人で誰に当たるかランダム・指定できない・情報共有が微妙で同じことを何回も説明することがある、等でモニョる部分もあったので、むしろ自分には合っていた。

新型コロナ対策

これは転院して気付いただけだけど、完全予約制になってて待ち時間めちゃくちゃ少なかったの良かった。
前クリニックも建前上そうらしいけど、来たら結局受付てるみたいで、土曜とか本当に午前中いっぱい潰れる感じだったので…
そんな人の多い待合室で鼻出しマスク旦那おまえ〜〜〜〜みたいなことが度々あったり、先生のマスクもガバガバだったり、コロナ対策大丈夫??みたいなこともチラホラあり、新クリニックが「不織布マスク以外はNGです」ってサイトにも明記されてて初診予約の電話でもしっかりしてくれてたのは安心感があった。ちゃんとしてれば夫の付き添いも可だったし。
前クリニックは夫は緊急時とかよっぽどのことがないと一緒に行けなかったので…(結局1度も行けなかった)

と、こんな感じで夏頃に転院しました。
結果論だからなんとも分からんけど、まあ通いやすさやメンタル面の不安も減ったこともあり、そして運良く授かることができたので、転院して良かった。

初の採卵周期スタート


はじめからART希望なことを伝えて、次の周期から採卵周期がスタート。
私の場合AMH(アンチミューラリアンホルモン)の値が年齢平均より低く、1.4しかない(40代前半平均くらい)なので、どういう刺激法になるのかなーと思ってたんですが、とりあえず薬使うことに抵抗なかったのでしっかり刺激して少しでも卵が取れるようにと思いショート法を試すことになりました。
点鼻薬+自己注射。出ました自己注射…💉
いやー、不妊治療の体験漫画とか読んでたおかげでこういう治療があることを知っていたので自己注射に臆することなくステップアップしたけど、つらいもんはつらかったな…!
※自分が経験する前からたまたま拝見していた不妊治療まんがはこちら

私の場合注射する箇所が腰というかお尻の斜め上(?)みたいな箇所だったので、

  • そもそも刺す体勢がつらい(身体が硬い)

  • 刺すまでの緊張感がすごい

  • なんだかんだで刺すの地味にちょっと痛い

  • うっかりすると出血

  • 同じあたりに2週間くらい注射するから皮膚が硬くなってきてだんだん刺さりづらくなる

  • なのに身体が硬くて反対側向けなくて結局ずっと同じ辺りに刺すのでつらい(完全に自業自得)

みたいな…。
後述しますが結局2周期連続で採卵周期になったので、1周期目より2周期目のほうが刺さりにくさと怖さが積み上がってきて、注射するのつらかった。
刺す位置は刺激法?注射の種類?によって違うのかな、お腹だともう少し楽そうなんだけどなー。

救われたのは、毎日注射する時は夫にもついててもらったこと。
手順の確認や刺す位置の確認もそうだけど、「痛いし大変なことをやってる」ことをしっかり見て、体感してくれた(もちろん実際の痛みは伝わらなくても)からこそ、頑張ってくれてありがとう、という気持ちを持ってくれてたと思うし、不妊治療を独りぼっちで戦っているような、孤独な思いをせずに済んだ。
もちろん痛い思いしてるのは私だが、目の前で尻に毎日注射さしてる妻を見てるだけの夫もそれはそれで怖かっただろうに、本当に感謝している。
(不妊治療、どうやっても圧倒的に女性側の負担がでかいので、世のパートナーさんはたとえ自分にできることがなくても、相手に任せっぱなしにせずに少しでも寄り添ってあげてな…と思う)

初の採卵手術、そして新鮮胚移植

AMHが低めなのもあって、卵の育ちは微妙だった。
これ一個も移植可能な胚取れない可能性もあり得るな…と思うと、本当にメンタルべこべこになるなと恐怖した。
採卵手術は麻酔のおかげで恐怖など感じる間も無かったけど、術後はそこそこ重めの生理痛みたいな鈍痛だった。ハッと気付くとベッドに寝てるのよね…麻酔って本当に不思議。
1回目の採卵周期は結果的に4個の卵が採れたものの、形的に問題ないものだと実質1個しかなく、2個顕微授精してもらったがやっぱり育ったのは1個。
なので凍結までせずに、この周期に新鮮胚移植となった。
しかし、こちらは着床にも至らず陰性。
毎月、そわそわそわそわフライング検査するかしないか迷って結局して真っ白で「ですよねーーーーーー」みたいになるの、本当妊活そういうとこありますよね。

2回目の採卵周期と凍結胚移植

新鮮胚移植で撃沈、卵の育ちが悪かったので次どうなるのかと思ったら、引き続きショート法でいきましょうとのこと。
ただし今回は点鼻薬ではなく服薬する形に。そして相変わらず自己注射〜!つれ〜
今回は方法を変えたことが功を奏し、卵胞も順調に育っていた。
が、採卵手術で取れたのは成熟卵3つ。いや前回に比べたらいいんだけど、見えてた数からは半分以下なので、またメンタルしおしお。
だって、同い年くらいでこの高刺激法だったら、平均で2桁とか採れる話も聞くわけで。採卵時にたくさん卵が採れていれば、当然1回の採卵で移植に挑戦できる卵がたくさん凍結できる可能性が増える。
でも元からその数が少なければ。移植できる回数も減る。それが結果が出なかったらまた採卵が必要に。
採卵の回数も増えるということは、金銭的な負担も身体的な負担も増える。
凍結胚が出来るかどうか結果聞くまでは、本当にメンタルがしょんぼりだった…
幸い2個、顕微授精によって無事に胚盤胞まで育ってくれて凍結胚となり、グレードもどちらも3AAと優秀でした。グレードの話は気になる人はこのあたり見てみてください
余談だけど、この時の夫側の数値は基準値までとはいかないけどかなり回復してて(少なくともAIHは可能な数値に)、あの数ヶ月なんだったんだ?と…。
特になにか生活やら習慣が大きく変わったわけでもなく、思い当たることも結局なくて、謎なまま。今はどうなってるんだろう。とにかく男性の不妊要因もかなり不明なこと多すぎる。

移植周期と判定日

2回目の採卵で移植できる胚が2個できて、ようやく一歩踏み出せた感じに。
幸い卵巣の腫れ等も無く、採卵周期の翌周期には移植が可能そうだったので即移植周期スタート。
この移植周期にも自然にいく(排卵の時期が安定してるとこっちのことが多いぽい)かホルモン補充をしてコントロールするかの選択肢があり、私は迷わずホルモン補充の方法を選択。
理由としては、排卵のタイミングもちょっとズレが起こりやすくなってきていたことと、単純に休診日にぶつかるとその周期が無駄になるので…課金してでも…という感じでした。
お腹にテープ貼ったり膣錠という坐薬の膣版(雑な説明…)を入れたりしつつ移植の日になり、お腹にたまごをお迎え。
凍結時3AAだったんですが、元々ちょっと成長が早めだったとのことで、少し早めに融解したら移植時は5AAになってました。えらい…えらいよ…たまごなのにすでにえらい…。
なんかね、移植の際ってエコーを見せてもらえるんですが、受精卵ってピカピカしてて、お星さまみたいなんですよ。それが自分の胎内に返ってきてくれるの、なんかうまく表現できない感情になるんですよね。

で、そこから1週間。1週間で判定日。
これはクリニックによってまちまちっぽいです。私の場合わりと最速っぽいBT7が判定日だったので、全然いわゆる「超初期症状らしきものに一喜一憂」どころじゃなかったです。※いや日記読み返したらじゅうぶんそわそわしてた
(BTは胚盤胞のこと、移植日を0とする感じですかね。詳しいことはこの辺りを)

で。まさかの。陽性判定だったんですよね。
先生があまりにさらっと「着床してましたね〜」と言うもんだから、全然妊娠してると思わなくて、えっえっえっ????みたいな感じのリアクションに。
この時期、着床はしたが継続にならないケースもあるし、そういうこと??ってなったし、なんならまだまだこの先しばらくもそういう可能性も続くので、喜び爆発という感じでもなく、とにかく「第一関門突破かな…?」くらいの感覚でした。
ちょっと長くなっちゃったので妊娠中の話は別のnoteで書くことにしますが、ちなみに9ヶ月過ぎた今でも、全然不安感は残ってます。とにかく無事に産まれてきてほしい、毎日祈らないと眠れない。

不妊治療のつらさ

私は結果的には不妊治療を始めてから1年以内、しかもART治療でいえば開始から半年程度で授かることができたので、かなり負担も少ない方だったと思います。
正直このくらいの期間や回数で授かれてるのにつらいだなんて、という反感すら買うレベルだとも思う。
不妊治療は本当に長期間苦しむ人も少なくない。何年も。
何度も採卵、移植、時には流産や死産を繰り返すなど、本当にメンタルがぼろぼろになるだろう。

ただ、だとしても私がつらいと感じたのも事実なので、自分の経験と感覚としてここに記させていただく。
うまくいかないタイミング法とAIHで一喜一憂した1年、そこから2回の採卵と2回の移植しか経験していない私ですら、地味にメンタルはやられた。夫と衝突することもあった。泣きながら怒ったこともあった。
なにがつらかったか、つらくなりうる要因などを個人的な感情としてつらつら書き連ねておくと、

  1. 普通は自然に授かれるはずのことが自分たちにはどうしてできないのか、という苦しさ

  2. お金をかければ必ずしも授かれるわけではないという不安

  3. 時間めちゃくちゃ取られる上に先が見えない

  4. 不妊治療is高い

あたりだったかなと。
1に関してはこれ、実は私小学校半ばからの不登校児だったんですが、めちゃくちゃその頃思い出しました。
「みんなが当たり前にやってることができない」ってつらいんですよね。
できない理由が分からない。でもできない。どうして自分はどうしてできないんだろうって。
めちゃくちゃ不安だし、苦しい。この期間で済んでるから、踏みとどまってられるけど、これが何度も、何年も続くと、「どうして」の暗いぬかるみの底に引きずり込まれるような気持ちになったと思う。

2、3、4はほぼ繋がってるのでまとめて書くけども、本当に、お金をかけて頑張れば必ず結果が出るものじゃない怖さ。
採卵1回でウン十万と飛んでいくし、私の場合は卵が育ちづらかったので「スタートラインにも立てないのでは」という怖さもあった。
通院の回数も多いし、コントロールが効かない部分も多いから急遽休んだりもするし、おおっぴらにも言いづらい。
これフルタイム勤務だったら詰むのでは…?
そして時間の都合が付いても、金銭的な負担は大きい。
私たちの時期はちょうど保険適応前だったけどその分助成金やらが拡充されていた時期だったので、自己負担額は下がったのでかなりありがたかった。
それでも、授かるのにそれだけの金額がかかるんかってびっくりするし、その補助だって無限に受けられるわけじゃない。
回数も決まっているし、年齢の上限もある。
できるだけストレスにならないよう「きっとどうにかなる」という楽観的なマインドでいようと思ったけど、まあそんな風にもなりきれず、
「授かれなかったとき、いつか自分達で"不妊治療の終わり"を決めなければならない」という、最悪の"もしも"のルートのことも頭のどこかにあって、不妊治療でストレスを感じないのは無理だよな…と思った。
今年の4月から不妊治療が保険適応になったのは本当にすごいと思う、どうかその流れで育児の方も…子育て世代に対してももっと支援策増やしてください…。

びっくりするほど長くなってしまったので、このnoteはここまで。
これも書き始めて半月くらいだらだらしてしまったので、次の妊娠中の記録もどうにか産まれる前までには書きたいね!(フラグじゃん?)

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