決して満足はしてない、それでも

こんにちは、フジミです

五月に入ってからメンタル面での不調が続いていて、つい先日完全に吹っ切れました。

自分のことについてぐるぐる考えた結果
結局は「なるようにしかならん」という結果に辿り着いた。

今年で31歳。世間的には立派な大人である。
自分の行動には責任を持たなきゃいけない。
時にはリスクも取っていく。

子供の頃になりたかったプロ野球選手にも売れっ子バンドマンにもお笑い芸人にもジャーナリストにもなれておらず、会社員として粛々と働く毎日。

別に美人の嫁さんや彼女がいるわけでもない。
ましてや家族がいなくなるなど、考えても見なかった。

泣きたくなる日ばかりだけどまぁ、こんなたくさんの人に囲まれて毎日も悪くないよな。と思っている。

先のことは誰にもわからない。
良くも悪くもそうだ。

今悩んでいる若い子の目にこの記事が入るかどうかはわからない。

いじめられてるかもしれない、親と不仲かもしれない、大切な人を亡くしたのかもしれない。

無責任に生きろとか頑張れとか俺は言えない。

それでも時間が経てば環境ってのは目まぐるしく変わります。最初の一歩を踏み出す勇気があればきっと。

予想通りの未来が手に入るかは置いといて、結果を産むために頑張ってきた過程ってのは残るんです。と最近気づく。

走ってきた道を振り返ると結構いろんなものが立っている。友達や恋人、辛いこと苦しいこと。楽しかったことや笑った時のこと。
それは何一つとしてかけたら自分を構成できないモノ。

なんか行動して大いに失敗するって大切だと思うんですよね。

世の中には失敗を笑う奴らがいる。確かにそういう風潮はある。
でも間違いなく味方になってくれる人、寄り添ってくれる人がいる。
そういう人を大切にしていきたい。

以前、好きなバンドの時速36kmのワンマンに行った時のMCを覚えている。
「僕らは喪失を繰り返していくもんです。喪失があるから今が美しいと思えるんです」

水をぶっかけられたような戦慄だった。

俺は幸せが怖い。いつか失うモノだし、永遠ではない。だけど、だからこそ美しいしその瞬間瞬間を大切にしようと思えるのかな。

そういう風に思った。

俺も喪失を受け入れようと思う。
それがデカければデカいほど素敵な時間だったのかもしれない。

俺に関わる人はみんな幸せになってほしいけどなー。これから関わるであろう人にも。

そんなことを考えた五月でした。

これからも悩んだりを繰り返して生きていきますよ。

そんな感じ。

またねー。

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