人間の能力について

 どうも私達は何か能力を努力で得るとか、修行の末悟りを得るとか言っているが違うかもしれない。
 なぜなら神は自分の分身を人間の中に入れているのだから人間は誰でもその力を使えることが理論的にできるはずだ。
 だもんで俗にいうひらめきについても神の記憶を思いだすことに過ぎない。故に人間はだれにでもアカシックレコードがインストールされているので、それを思い出すに過ぎないということ。
 例えばその人間が長い修行の末、伝説の技「遠当て」を繰り出せるようになった。それは元々遠当てができる能力が身体に宿っていて、長い修行の末思い出したということになる。なぜならば身体にその能力がなければどうやっても遠当てを繰り出すことはできないからなんである。
 にゃんさんがいつもいっている「師匠は自分の中にいる」がつながってきている話である。

じゃあなんでわざわざ能力を忘れて生まれきてているのか

 にゃんさんの記憶がよみがえれば答えることができると思うがにゃんさん今のところその記憶は戻ってきていない。ただうすうす、人生のある時からあれ?世の中のこれって全てが逆じゃないかい?って分かってくる自分がいた。金持ちは不便。権力者は不自由。恋愛は束縛。頑張るって良くしようと必死になると死ぬ。美人は生きづらい。まあ何事もほどほどしかりですがよおーく考えたら全部逆の部分があるのですよ。もしかしたらそれを楽しむ為?経験する為?にこの世に記憶を消して生まれたのか?とも思いをはせる今日この頃いかがお過ごしですか。

あの世に持っていけるのは魂だけ

 それで思うのは結局あの世へ持っていけるのは魂だけだと。故に魂を磨いて霊性をあげようとにゃんさん思うのですが。ここで疑問。結局元々は神様の魂が入っているのでそこへ戻る道なのかな?と。なんだろうか、ぶーめんらんを投げて今ちょうど向こう側全きりの状態。その状態から戻って最後は神と同化となるのですかねえ。その長い道のりの過程なのかもしれない。
まあ、急がず焦らず朗らかに行きましょう。

現在の世の能力の出し方 幸せな生き方

 まあそんなことを言っても現代を生きていかないといけませんから。それをひとつこうすればいいんでないかなということを一つ。
まず幸せに生きるには。まずこの世は全て苦であることと知る。四苦八苦をリアルで味わう。この時の苦は痛い・辛いではなく実際は「思い通りにいかない」という苦である。なぜ痛い・辛いになるかというと「執着」をするからである。故にそんなもんだということを理解すれば人生は大分楽に幸せになる。
 次に最強の「安心」を手に入れる方法だが。私の場合は現実でリアルに一度心臓が止まって死ぬということをこれ以上ないくらい鮮明に経験した時にこれ以上ない安心を手に入れたのね。だから生きている人がやれるとしたら自分が死ぬ過程をリアルに想像する別名死の瞑想と呼ばれるものを行う。または死に向けて一つずついらないもの=執着を捨てていく。すると結局生きる力が沸いてくるという不思議なことが起きる。
 最後に貪瞋痴を克服する。これは自分がこういうことになったらこうするという行動を決めておくと良い。にゃんさんの場合は例えば相手が自分の愛用しているコップを割ったとする。にゃんさんはその時に言う言葉を決めてある。「大丈夫、怪我はなかった?」である。これ今までの人生で2回ある。つまり怒って割れたコップの粒子がくっつくはずがないので最初からその次の怪我をしなかったかということに意識を向けた方が良いのである。ごめん、にゃんさんかっこよすぎて。それと共に例えば間違って紙につつんであった入れ歯を捨てちゃったとか、大事な書類をシュレッダーにかけちゃったとか、もうしゃーないことはいちいち怒らない。原因見つけて次に気を付けるだけ。あと好き嫌いなんていくらでも変わる。次に人間てのは馬鹿だから自分が無知でどうしようもないということを心の底から認める。プライドなんてポテトにして食べてください。最後怒涛の面倒くさがりコンボでしめましたがそんなもんです。

次ー。それと共にチャクラ、気功、分泌腺を開くです。これはにゃんさんの昔の記事にのっています。にゃんさんがやったのは呼吸法と気功法を行い、柔と呼ばれる力の存在をみつけ、3つある結節をぶち破り、日常生活でその力を練ることで心も変わりぶわっと一発悟りの境地になったということです。
便所が水が出たまま止まらないので、ここまでにします。また。興味がある部分があれば詳しく説明しますのでコメントしてください。では。


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