答えは自分の中にあるという解

色々理由はつけてみるんだけど。
いや、確かにさ、新しいところですんごい驚いたわけ。
あれ〜こんな感じなの?!って。
で適応するべく頑張るけどもよ、
どうにも、そこが好きになれなくて苦しいの。
。。。好きになれない、ではないかもな。
得意じゃない、に似ているのかも。
色々理由つけてみて、それが自分にははまれないものだって、思うことで楽になりたいと。
で、そんな自分を「ちょっとどうなのよ、逃げてるんじゃないの?」
みたいに、睨みつけてジャッジするわけ。

でもねぇ。
やっぱり「好き」だったんだよね。
今日気付いちゃったんだけど、
やっぱり子育て中のお母さんとお話しするのが、好きなんだよね。
共感できる
っていうことが今の自分にはものすごく大事だったりするの。
「わかりますわかります」「でしょでしょ」っていう会話。

もちろん、しっかりしたアイデンティティーがあるのに、現実と不一致だったりすると、不協和音が始まる。
「こうやって進んできたのに、なんで?」と全てが疑問形になっちゃう時なんて、それはもう不幸よ。
否定ではないが、不信感を抱いてしまう。
現在にも過去にも、不信感。
そういうのって、私にはとても大きいことだったんだなって、気付いた。
でもそういうのって、我慢したり、塗り替えていくものだと思っていたんだけど。いや、少しは耐えた方が身になるってもんですから、頑張りましょ。
でも、それにはリミットを設けた方がいいと思ったわけ。
じゃないと、やっぱりどこかに「我慢」をし続けることになるから。
で、我慢はいつか慢性病になってしまって、
足腰の痛みに似た、「死にはしないが辛い」状況を生む。

私は心身ともに健康で朗らかな、幸せな人生を送り、さらにはそれを
周りの人、地域の人に波及したいという夢があるので、
ここで立ち止まる癖をつけてはいけないの。

反面、私のマインドと一致するような会社があるという「妄想」は捨てた方が良いのもわかる。
どこかで妥協するっきゃない。
でも最終的には自分で興して、世のため人のため自分のために生きていきたい。
事業計画とでもいうのかな。
言語化していこう、今回みたいに。
答えは既に自分の中にあるようだから、自分を発掘する作業が近道というわけだ。


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