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仏(ほとけ)男子のススメ。

奇跡のような話だが、世の中だれと一緒になっても幸せになれる人は居る。
暴力を振るう人などはさておき、世の大概の男性と付き合っても、大概うまく行き、大概幸せにやれる人だ。

一方で、こだわりやクセが強く、パートナーを選びに選ぶ必要がある人(=わたし)も居る。こだわりが強い、パートナーの言動が気になりやすい、傷つきやすく繊細。「重い女」「面倒な女」と、自分でも思っているかもしれない。

だけど自分を好きになってくれる人には「しっかりした、大人の女」を好む男ばかり。

付き合いはじめこそ順調だけど、こっちの感情のパンドラの箱が開いた瞬間に「そんな人だと思っていなかった」と突然振られる。

どんな人だと思ってたんだよっ!(涙)

そんな感じで俗世の男性に疲れ、「もう恋愛をアガリたい…」と血反吐を吐きながらもパートナーを望む、そんな貴女にオススメしたいのが、「仏(ほとけ)男子」である。

『恋哀広辞苑』(俺作)には、「仏(ほとけ)男子=懐が深く、情緒が安定しており、忍耐強い男性。パートナーに安心感と自己受容をもたらす。」と書いてある。

作家のアルテイシアさん(@artesia59)が提唱されている、ケツの穴の広い「アナルガバ夫」がまさにそれだ。アルテイシアさんは、「男はアナルの大きさで決まる」ということを、色んなコラムで書かれている。「男はアナル論」の第一人者と思う。

わたしが仏男子と初めてお付き合いしたのは、18歳の時。25歳まで7年半お付き合いした男性だ。初めての彼が偶然「仏男子」。棚からぼた餅、超ビギナーズラックだった。

6年前noteにも書いたのだけど、彼は常に寄り添ってくれ、受け入れてくれた。彼のおかげで、わたしは自分の感性や過去を徐々に肯定することが出来た。

だけど当時今よりさらにバカ作でおまけにメンもヘラっていたわたしは、それがどれだけ希少でありがたいことか分かっていなかった。
結局最後は、しょうもない喧嘩を吹っかけた延長線上で彼に振られ、別れてしまったのである。

当時、彼を失った喪失感はもちろん大きなものだったが、「長年付き合って、家族みたいになってたし。まだ恋愛したいし。」と失恋の傷に蓋をした。「久々に恋愛市場に出れば、別の恋が待ってるんじゃないかな♪」なんて淡い期待も正直あった。

世間知らずなド畜生である。

それから今の夫と付き合うまでの6年間、わたしは坂道を転げ落ち、ゲボゲボと血反吐を吐きまくることなんて、予想だにしていなかったのだ…。

はじめての仏彼氏との失恋後、1年間喪に服した後、26歳から31歳まで短命な恋愛を繰り返した。
そして失恋する度に、「もう失恋したくない。失恋が怖い…」と痛みにのたうち回っていた。

わたしは自分ことを、世の男性にもっと受け入れてもらえると思っていたし、自分自身も世の男性を、もっと受け入れることができると思っていた。知人や友人ではない、パートナーの距離感で。
でも、それが出来なかった。

そんなこんなで坂道をズッタンバッタンと大げさに転げ落ち、血反吐を吐き散らかし、底をついた時に付き合ったのが今の夫だ。

夫は学生時代の同期で、14年来の友人。
特に親しくしていたわけではなく、卒業後は2年に1度くらいの頻度で、飲み会で一緒になる程度の仲であった。

そんなある飲み会で、久しぶりに再会した夫を見てピンときた。
「こういう情緒の安定した、人として信頼できる男と付き合うべきなんではないか」と。

んなこたぁ数年前から頭では分かっちゃいたのだが、その考えがやっと腹に落ちたというか、底つきの勘と言うか、当時のわたしには神の啓示のように思えた。
そしてその後、自分からデートに誘い、幸運にも付き合うことができた。

しかし自分からちょっかいを出したものの、長年の友人と恋愛関係になることに最初は戸惑った。シラフで居られなくて、自分だけ昼間からアルコールを入れてデートに向かっていた。
初デートでは酔っ払いすぎて泥酔し、翌朝22時まで酷い二日酔いが抜けなかった。今までの彼なら、この時点でアウトである。

しかし彼は常に寛大で、そんなわたしを面白がってくれた。
わたしもだんだん彼の優しさと安定したに心地よさを覚えていき、友情のような穏やかな空気感のまま、付き合って半年で結婚を決めた。

入籍時、「これで恋愛の惚れた腫れたとは一旦おさらばか…」と一瞬思ったが(懲りねぇやつだな)、予想外に結婚後、日毎に夫を好きになっている。
「人はありがたみでときめける」ことを知った。

特に実家に悩んできた人こそ、穏やかな仏と暮らしてみて欲しい。
こちらからすると、生活を共にする相手の情緒が安定していることなんて奇跡で、「ありがたみ」が半端ない。

365日毎朝毎晩、同じテンションで安心させてくれる。わたしのややこしく厄介な性格も、「そうじゃなかったら、きみじゃないよ」と受け入れてくれる。

夫と付き合う前は、「もっと自分が面倒な女じゃなかったら」とか「イイ女にならなきゃ」と思っていた。

だけど今は、「好きなところは、面白いところ」と言ってくれるパートナーが居る。
「自分が、ほかでもない自分でよかった」と思えるのは、人生において最も幸せなことのひとつだと思う。

そんな仏男子推しのわたしだが、「仏男子なら誰でもOK。いつ付き合っても即幸せ」と言いたいわけじゃない。
仏男子と出会っても、「男性として見れなくて…」と悩む人も居る。
どんなに一緒にいる時間を重ねても、それでも生理的に合わない人はしょうがない。

周りは「高望みだ」とかなんとか言うかもしれないけど、一生に数度あるかどうかの伴侶選びで、生理的観点を我慢する必要はないと思う。
その仏男子はきっと、いつかほかの誰かの愛しい人になるはずだ。

それに、仏男子に魅力を感じるかどうかは、こちらの感受性でも変わる。
以前は、「自分が何にときめくか」(わたしの場合は安心感)ということを、まだじゅうぶんに自己認識出来ていなかった。
あのタイミングで今の夫だったからこそ、カチッとハマったんだと思う。

だけど、くれぐれも「最初だけ懐広く振舞う、エセ仏男子」にはお気をつけて…!恋愛初期のドーパミンで、一時的に人格が変わっているだけなので…。そういう人もいます。

何を食べても大概美味しいと思える人も居るし、最初から好き嫌いがハッキリ分かっている人も居る。

だけど、いろいろ口にして「自分、思ったより偏食でした」と気づく人も居る。苦手な味を知らなきゃ、自分が何を美味しいと思うかも分からない。

恋愛いばら道で血反吐を吐いて疲れたら、俗世の男性は諦めて仏門に入ろう。ピッタリとハマる仏男子がきっと居ると思う。

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