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シンデレラになれなかった、凡人の夢の叶え方。

はあちゅうさんのブログに、「なんでみんな、すぐに悲劇のヒロインぶりたがるのかな」という記事がある。

最近noteを始めたっぽい人のつぶやきをたまたまこの間、見かけたんですけど、「やっぱ私にはnoteで稼ぐのとか無理…心が折れた…」的なことをつぶやいてるのみて、「まあ、本人がそう思うなら無理だろうね」って思いました。(中略)
noteのことに限らないけど、すぐに結果を求める人ってなんで人の成功してる部分にばかり目を向けて、それ以外の努力の部分に、気づかないんだろう?どうして他の人が、時間をかけて築いたものを自分は一瞬で得られると思えるんだろう?そして得られないからといって、悲劇のヒロインぶれるのだろう。(後略)

自分にも思い当たるふしがありすぎる…。
ちょっと膝まげてかがんだくらいで、あの人と同じ空を飛びたいと思っちゃうのだ。

自分は屈伸すら続かないくせに、日々地道にスクワットしてきた人の成功を、「あの人は××だから。」と勝手に理由づけして納得しようとする。

意志が弱い、長期的目線がない、計画性がない、継続力がない。
色々あるけれど、根本的要因は、自分で人生を「作る」のではなく、「選ばれるのを待っているシンデレラスタンス」ではないだろうか。

そうやって主体性が無いから、いともたやすく「悲観的」になるのだ。

大人になっても昔の夢を思い出して、「あの時、一歩踏み出していれば」「努力して続けていれば」と後悔している人は、実は少なくないと思う。

踏み出せなかった後悔と執着は、借金のように膨らみ、心に巣食う。そのリボ払いは延々と続き、自身に対する信頼残高がすり減ってゆく。

自身のプライドの高さや臆病さに蓋をして安全圏に居ながら、欲やコンプレックスを昇華させるなんて、出来るはずはないと分かってはいるのだけど。 

近年は以前よりもずっと、人が成功してゆく過程を、目のあたりにする時代になった。

一見すると表に出てくる人たちは、みなシンデレラに見えるけれど、実は日々地味に反復横跳びし続けてきた結果なのだと、今ならわかる。

以前、「努力のスター」安室ちゃんが、インタビューにこう答えていた。

「だけど、継続は力なりの道を選ぶならものすごい信念が必要だし、すごく時間もかかると思った方がいいんじゃないかな。一日二日、1年2年ではどうにもならないものもあるから。継続は力なりは本当に地味な作業なんですよね。今うまくいかないと悩んでる人たちは、きっとその地味な作業を上手に乗り越えられてないんだろうなと思う。成功に近道はないんですよね」

もちろん「これ以上、今ないものを自分に求めなくて良い」という考え方もある。

「なりたいわたし」になれなくても、なんとなく「悪くないな」と思える日常がある。

それは自分の志向×能力×環境が、奇跡的にマッチしているということ。

そんな日常が、実は当人の「ありたい姿」に最も近い、「ちょうど良い塩梅」なのかもしれない。今ないものを自分に望み見続ける以上、どうしたって満たされなさは一生続いてしまう。

だけどそれでも「何か」を望むなら、自分という畑を、日々掘り起こして耕し続けていくしかない。

それが「シンデレラ」にはなれなかった、「凡人な大人の夢の叶え方」だと思う。


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