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映画レビュー「カモンカモン」

公開 2022年 米
監督 マイクミルズ
出演 フォアキン・フェニックス
   ウッディー・ノーマン

あらすじ
NYでラジオジャーナリストとして1人で暮らすジョニーは、妹から頼まれ、9歳の甥・ジェシーの面倒を数日間みることに。LAの妹の家で突然始まった共同生活は、戸惑いの連続。好奇心旺盛なジェシーは、ジョニーのぎこちない兄妹関係やいまだ独身でいる理由、自分の父親の病気に関する疑問をストレートに投げかけ、ジョニーを困らせる一方で、ジョニーの仕事や録音機材に興味を示し、二人は次第に距離を縮めていく。仕事のためNYに戻ることになったジョニーは、ジェシーを連れて行くことを決めるが…(アマゾン商品紹介より)

最近、すっかりレビューを書く情熱が弱ってしまい・・
かつての嬉々としてレビューを書いていた自分はどこへやら・・。
僕がレビューを書いていたのは、見た作品の紹介や備忘録というよりは、何らかの心に響くメッセージを受け取った作品だけについて、その受け取ったメッセージを自分なりのフィルターを通して、他の人に伝えたいという思いからでした。
しかし、メッセージを受け取る感受性は枯渇寸前、かろうじてなにか受け取ったとしても、それを伝える言葉に無力さを感じたり・・・
だいすきな椎名林檎の歌「ありあまる富」にこんなフレーズがあります。

もしも君が彼らの言葉に嘆いたとして
 それはつまらないことだよ涙流すまでもないはず
  なぜならいつも言葉は嘘を孕んでる

賛否わかれ、若干物議を醸している歌のようですが、僕の今の心境にはぴったり沁みいる歌です。


さて、作品の話です。本作は、そんな言葉に無力さを感じながらも、言葉と真摯に対峙し続けようとする中年男をフォアキンフェニックスが演じていて、久々に心震えた作品でした。
おおまかなジャンルとしては、おじさんと子供の絆の話です。
昔から数あるお涙頂戴感動作のテッパンですが、僕はその手の作品嫌いじゃなく、いやむしろ大好きで見かければ必ず手に取ってしまいます。
今回のおじさんはフォアキンフェニックス。「グラディエーター」のころの美貌は見る影もなく、最後に見た「ジョーカー」の時の鋭い毒気もなく、すっかりくたびれた平凡なおじさんになってます。(もちろん役作りでもあるのだろうけど)時の流れの怖さをまたまた痛感して・・。
フォアキン演じるくたびれたおじさんジョニーは冒頭、子供たちにマイクを向け未来についてどう思うかとインタビューしています。(これ台本はなくリアルにインタビューしてるとのこと)子供たちの言葉はまあ、日本人の同年代の子供よりはしっかりと意見を持っている感じはあるけれど、僕が観た限り特別面白い話もなく、(ラジオジャーナリスト?とはあらすじ見て今初めて分かった)趣味でやってるのか、仕事でやってるのかもよくわからず、ジョニーの外見と行動がリンクして、まあなんだか、不毛なくたびれた行為に映ります。後々わかってくるのですがどうやらそれが仕事らしく、全米を飛び回って、たくさんの子供たちと会い、同じ質問をしているのです。僕には不毛と思えても、ジョニーは言葉と真摯に向き合っているわけです。


そんなジョニーが、ある事情から9歳の甥ジェシーを預かることとなり、仕事先の旅に連れてまわるというロード―ムービーになっていきます。
ジェシーの登場からしばらくしておやおや・・・。
これまでのお涙頂戴おじさんと子供の絆ムービーとは何か違うぞ。
となります。
何が違うって、ジェシーがかわいくない。顔はまあまあかわいいんだけど中身がわけわかんない。もはや悪魔。あらすじにもあるように、兄妹関係のデリケートな部分や独身でいる理由など、ストレートに投げかけてくるかと思えば、空想の物語を延々と話し始めたり、「もう少し普通にできないのか」とジョニーが言えば「普通って何?」と妙に大人びた返事を返してきたり。ちょっと目を離したすきにどこかにいなくなったり(わざと困らせようとして)その時につい怒鳴ったことを真剣に目を見て手を握って謝っても「ぺらぺら」と茶化される。
リアルな子供とは、こういうものなのだろうかと、子育て経験のない僕は思わされましたが・・。ま、そのあたりがいままでのお涙頂戴ムービーとはわけが違うのです。
さて、長くなってきたのでこの二人がどうなっていくのかは作品を見てのお楽しみとして。
テーマの話としてはこのジェシーの「ぺらぺら」という言葉が妙に真をついているのです。
どんなに目を見て真剣に話しても所詮言葉は「ぺらぺら」さ。
それでも「カモンカモン」つまり「先へ先へ」
対話を続け生きていくのだ。
と・・・。

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