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2024年の"書く"

 "書く"とき、自分がどう在りたいか、に嫌でも向き合うことになる。

 noteを読んでいると、情報提供という種類のものから、感想、アートまで、あらゆる文章を目にする。"書く"には、それぞれの目的に合わせた再構築が行われて面白い。

 私は、子育てしている当事者として、主に日常の出来事とそれに対する思いを書いてきた。書き手の私の中にはネガティブな思いがたくさん渦巻いていることが多いのだが、読み手の私は、あまりそれを好まない。不安や心配を人に伝染させたくないし、そうした思いだけで終わらせず、そこから何ができるか、最終的に生きていく勇気を持ちたいと基本的に思っているからだ。
 なので、"書き手の私"は、"読み手の私"を意識して、書くことを修正しはじめる。言葉選びに神経を使いはじめる。すると、"書かれる私"は、元の状態を一度崩され、再構築される。だから、再構築したのが、"noteの記事の私"ということになる。

 2024年、書く力をもっともっと伸ばしていきたいというのが、私の抱負だ。言葉は暴力よりも強い、というか、もっと大きく働く力だと思う。私の中に起こったことを、私はただ感じれば良いかもしれないが、それを伝えるツールは再構築された言葉しかない。市井の人たちが書くnoteは、同じ市井の人たちの共有財産だと思う。

 私も、財産になるような文章を書いていきたい。

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