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小説の書き方について

こんにちは!

初めましての方も、
そうでない方もお立ち寄り下さり、
ありがとうございます!

わたしは自称もの書きとして、
仕事の合間にこうして文章を書いています。
皆さんはどんなふうに小説、そして文章を書いていらっしゃるでしょうか?

小説を書くには、何かを身近なものや興味のあるものを題材にしたり、パッと閃いたことをかいてみたりと色々な方法があると思います。

そんな中でも今回は「シャルレ二番館シリーズ」の休憩も兼ねて、どんな風に普段わたしが小説を書いているかについてお話ししたいと思います。

わたし自身のお話しをしますと、さきに映像が浮かんでいてそれを文章化することが多いです。
むかしから街中を歩いていると、なぜかそのときの景色や匂いや音で映像がばっと思い浮かぶことが多いのです。

普段わたしが話しを書くときは、
大抵その映像が浮かんでいるので、
その映像をもとに文章に起こしてみたり、
頭のなかの人と会話したりしています。
映像から言葉を起こしたり、
会話するのは結構エネルギーがいります。

自分のあたまの中にあるものを、外に出そうとするとそのイメージをきちんと言葉にしなければ伝わらないのじゃないかと思っているので、とても時間が掛かるのです。

シャルレ二番館の源ちゃんじゃないですが、
書いては消して書いてはけして…
ときにはわざと「下書き保存」にして文章を寝かすこともあります。

仕事の合間だと休み時間に見返しますし、
それこそ仕事のない日だと、気づいたら半日過ぎていた!なんてこともしばしばあります。

文章を書くとき、わたしが1番時間をかけるのは言葉の配置と述語の置き方です。

例えばうえの文章も、

わたしが文章を書くとき、1番時間をかけるのは言葉の配置と述語の置き方です。

と最初は書いていたのですが、

文章を書くとき、わたしが1番時間をかけるのは言葉の配置と述語の置き方です。と直したりしているのです。

(ここまでで手直しを4回加えています)

文章の手直しをするときは、
その文章が正しいかただしくないか…よりも、読んでてテンポが気持ち良いか、そうじゃないかということを大切にしていると思います。

あくまでもこれはわたしのやり方ですので、
もしかしたら違う方もいらっしゃるかもしれません。

ただ何度も文章の推敲や手直しをしていたら、
あっという間に時間は過ぎていって、気づいたら夕方なんてことも珍しくありません。
書き出したものを何度も追加しては削って、削っては追加する作業はとても労力が要りますが、この作業は個人的にはぜったい欠かせないと思っています。

noteにアップしたものを読み返しても、
推敲せずにそのまま載せた文章のものと、
時間をかけ何度も書き直ししたものでは、
出来上がりが全然違うことがあるからです。

自分のイメージしたものを文章でしっかりと表現しようとしたら、言葉の選び方や表現の仕方を変えないとうまくは伝わらないことが最近ようやく分かってきました。

言葉には端折る必要があるものと、説明を付け加えないといけないものがあるということに気づけたからです。

すこし前に公営の長屋について描写しましたが、西陽が差し込む六畳二間という表現だけだとどうしてもイメージが付きづらいのではないかと考えました。

どこまで説明を加えるかはとても難しい問題ですが、わたしの場合は以前知り合いのところへ遊びに行かせてもらった間取りを思い出しながら描写しました。

すこし建て付けの悪くなった引き戸や上がり框、それから水の滴る水道の蛇口…

多分その表現をすることで、多少はイメージしてもらえたのではないかなと思っています。

まだまだ稚拙な文章力なのですが、少し客観的に文章と向き合えるようになったのは、
きっと毎日noteを書いているおかげかもしれません。

どこかで読んだ文章には、
「作家に求められるものは、どれだけ自分の文章と向き合えるかだ。それが出来ないひとはいい文章は書けない」みたいなことが書いてあり
ドキッとしたことがあります。

それだけ推敲して書き直しする作業は、
大切なのかもしれません。

今でこそ読み返しを良くするようになりましたが、小説を書き出した当初はまったく推敲などしていませんでした。

わたしは物心ついて暫くした頃から、文章を書いてましたがそれこそ5歳くらいのときは

「りんご姫と王子さま」みたいな話しを書いては自分のおばあちゃんに見てもらっていました。

内容としてはりんごばかり食べる天真爛漫で無鉄砲なりんご姫と、その周りにいる家来や王子様との出会いの話しを書いていたのですが、そのときは思いつきで無鉄砲で、書きたいものを書きなぐるという表現がぴったりでした。

もちろん(?)書き直しなどもしませんでした。

あれから暫くの月日が経ち、社会人になってからはとくに日常の忙しさを理由に小説と向き合うことをやめていました。

目の前に色々な人たちが現れて話しかけてくれても、「いまは忙しいから!」と自分でじぶんの心に蓋をしていました。

書くことから逃げていたのです。

エブリスタやこのnoteに出逢えなければ、
いまでもわたしはずっと、書くことから逃げ出したまま自分のなかで蠢き続けている人たちと話し続けていたと思います。

このnoteでは表現することが、
好きな方たちが集まっていることもあって自由に表現することができます。

いろんな方や文章の形と出逢えてとても嬉しく思っています。

またもう少ししたら、新たな物語りを描きたいと思います。

そのときは、よろしくお願い致します!


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