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海の見える高台と神様

「このままではダメになる」
そう思った僕は白のサンダルを引っ掛けて、
古びたアパートを飛び出した。

アパートをくだっていくと、
その右手にはこの島の中心を走る階段があり、僕はその石造りの階段を、手摺りも持たずに一気に駆け上った。
この高台から見る景色は最高だ。

けぶる緑と住宅の屋根。
その先には遠く陽の光で揺れる海が見えた。
風がざわめき、頬を揺らす。
身体中の細胞が喜んでいるのが分かった。

坂を一気に駆け上がったからか、顔に大粒の汗が滴っている。
それを手の甲で拭いながら見つめる先には
いつもの街並みが広がっていた。

外に出るのは実に8日ぶりのことだ。
陽の光を浴びることがこんなにも大切なことだなんて今まで思いもしなかった。
緊急事態宣言の余波は、この遠く離れた島にまで届いていた。
ずっと家に篭りきりで、少しだけ外の風を吸いたいと人目を避けてはじめて外に出た。

もちろん家にいることが良いことは分かっている。だけど、何日もなんにちも家に閉じ篭っていると正直あたまがおかしくなりそうになる。

テレビの向こう側では、
えらい有識者のひと達が、コロナ対策をしきりと叫んでいた。

誰かと話すことも出来ない。
どこかに行くことも出来ない。

それなら、せめてこの片田舎の階段を一気に駆け上がることくらい許される事ではないのか
そう思った。

普段は、この街に暮らしながら道の駅で働いていた。
ここは魚も旨いし、いまは懐かしい昔ながらの街並みがここにはある。
都会に長らく住んでいたが、街の喧騒にどうしてもなれなかった。
そして僕はバックパック片手にこの片田舎にたどり着いたのだ。

汗がおさまり、ひと息ついた僕は階段の続きを今度はゆっくりと登り始めた。
この島のひとは、誰ともしれないこの僕に本当に良くしてくれた。
分からないことは何でも教えてくれたし、
近所のひととすれ違って挨拶をすると、時々新鮮な魚や野菜をくれた。
僕はこの島が大好きだった。

だけど、いまはもうほとんど人影もみない。
それが切なくも悲しかった。

階段を登り切ったところには、古びた神社があり昔からこの村を見守ってくれていると有名だった。
事実階段を登りきったその先には、年月が経って薄くなった朱色の鳥居がみえてくる。
その先にはぽっかりとだだっ広い空間が出てきてくたびれた境内が見えてくるのだ。

土を踏みしめるたびに、カサカサッと音がする。境内の周りはもうすっかり葉っぱを伸ばした木々達に覆われていて、陽の光がその隙間から時々影を作り地面を揺らしていた。

「あぁー!!いつになったら終わるんだろう!!」

境内につくと、年季の入った鈴緒をカランコロンと揺らし、ワイシャツを腕まくりして僕は叫んだ。

「まぁまぁ、そう焦んなさんな」
振り返ると見たこともないばあさんが、
夏蜜柑を持って立っていた。

やばい、こんな時に人に会ってしまったら…
そう思って後退りをすると

「心配せんでぇ良え。あたしはここに祀られてる神様じゃから」といった。

夏蜜柑を持っている神様なんて、聞いた事ないけど…
そう訝し気に思いながらも、僕は後退りをやめた。
「いま、みぃんな我慢、がまん…で暮らしてるのはよう伝わってくるよ。子ども達も皆走り廻りたいやろに…家にいてじっとしておる。

村の人たちだってそうじゃ。ものを作ったり売ったりして生計立てとるやつは、店開いちゃいけん言われたらニッチもさっちも行かんようになる…。皆んな暮らしていかないけんからの…。幸いここの島の人たちは自給自足しとるさけぇ、食べものは何とかなるにしてもそれでも苦しいのは皆んな変わらんのじゃ。」

ばあさんは境内の近くにあった切り株に
「よいしょ」と腰掛けた。

「お前さも随分と我慢したんやろ?」
そう言われて僕は言葉に詰まった。

「あー…、自分なりに出来ることはしてみたつもりやけど…でもやっぱり、ずっと家にいたら頭がおかしくなりそうで…耐えられへん…」
思わず僕は本音を話してしまった。

すると神様はふんわり笑ってこう言った。

「まぁ、多かれ少なかれそうなるやろなぁ、みんな。ええんやで、外に出ることは別に悪いこと違うから。いまはこうして風の音を聞いたり、海を眺めて過ごしながらまた日常に戻れることを願うんや。

願いの力は凄いんやで。
こうしたい!!こうなりたい!!って真剣に願ったらきっと半分以上のことは叶うんやから…」

「そうなんか?」
僕は半ば信じられない気持ちで、その話しを聞いていた。

「せやで、わたしら神さんも強う念じてくれとる人の願いは叶えたい。そう思ってきたからな。けどな…一つだけやったらあかんことがあるんやで。」

「それはなんなんですか?」

「それはな…誰かひとの不幸を願うことや。
じぶんの幸せのためなら、ほかの人はどうなってもええ…そんな気持ちで願うねがいはな、濁ったどす黒い色がしてるんやで。」

「なるほど…」

「そうやって願った願いごとは、仮に叶ったとしても後からちゃあんと、しっぺ返しが来るようになってるんや。わかるか?」

「はい…何となく分かります」
これまでに僕も人や何かを恨んだときには、
決まって嫌なことが待っていた。

「分かってくれるんやったらええわ。
ほなアンタもせっかくやから、一個願いごとして帰り」

そう言われて僕は
心の底からの願いごとを呟いた。

「はやくまたいつもの日常が戻って、皆んなの笑顔が見れますように。そしてまた僕も働けますように」

気付いたら、さっきまでいたばあさんの姿は消えてなくなっていた。

「あの人はほんまに神様やったんやろうか…?」

呟いた瞬間、風がゴォッと唸り、夏蜜柑がひとつ転がっていたことに気付いた。

僕はその夏蜜柑を見つめながら、
本当にはやく日常が戻ってきてくれるように、
心から願った。






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