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天明クリエイターたち(3)~酒上不埒

酒上不埒とは何者か?

天明クリエイターたち(2)で挙げた狂歌師のひとり、酒上不埒さけのうえのふらちのお話です。

酒上不埒さけのうえのふらちとはなかなかビビットなお名前ですが、そんな先生の狂歌はこちらです。

もろともに ふりぬるものは 書出しと
 くれ行としと 我身なりけり

解説:ツケ払いの請求書はくるし、年は暮れるし、俺はまたひとつ歳をとるなぁ
( :゚皿゚)チッ

酒上不埒

切迫感と、どこか諦めにも似た感情が交錯する、ふところ寒き年末を詠んだ歌ですね。おまけにツケ払いの金を「くれ」と年の「暮れ」をかける巧みさ。みます。
(*TωT)💦ルイルイ
こちらが百人一首にある本歌です。

もろともに あはれと思へ 山桜やまざくら
 花よりほかに 知る人もなし

解説:わたしもおまえも、お互いに親しく想っているよ、山桜よ。おまえ以外、私の心を知らないだろう。

前大僧正行尊

わびしさ、もののあはれ。こうして本歌と並べるのも一興ではないでしょうか。
(*´ω`)

さて、酒上不埒さけのうえのふらちとは何者なのかと申しますと、駿河小島おじま藩江戸家老、倉橋格くらはしいたる(寿平)というお武家さんです。狂歌師にはお武家さんの出が多いということは前のお話でも触れましたが、藩の家老ともあらせられる方が酒上不埒さけのうえのふらちとは!また粋な感じがします(=゚ω゚)ノ

酒上不埒さけのうえのふらちにはもう一つ、恋川春町こいかわはるまちという作家としてのお名前があります。こちらの方がもしかしたら有名かもしれません。恋川春町は江戸小石川春日町に小島藩邸があったことから名付けたペンネームです。

以下、酒上不埒を恋川春町と呼びます。
春町は小島藩士で、滝脇松平家に仕えておりました。若き日より右筆ゆうひつ(書記官)を務めていたとのことですので、筆や文章を書くことには秀でていたと思われます。滝脇松平家は徳川宗家とルーツを同じくする三河松平諸流でして、江戸時代になってから1万石に加増された極小大名です。将軍家と近しい家柄ではありましたが領内に特筆するものはなく、藩財政は慢性的に逼迫しておりました。

春町は江戸家老の身分でしたが禄高は120石、現在のレートで年収600万くらいですからお付きの家臣、家族を養うには結構厳しかったと思います。副業として、特技を活かしてクリエイターをしてみようと思ったのは自然な流れだったのではないでしょうか。ちなみに春町は鳥山石燕(妖怪画で有名)に浮世絵も習っており、とても器用で、そして頭も良かったそうです。

武士道とは副業することとみつけたり。

一説によると江戸開府わずか40年ほどですでに幕藩の財政破綻は起きていたようです。
中期には俸禄だけでは食うや食わずやの状態で、副業に精を出すお武家さんはたくさんいたようで、副業については幕府も黙認していたとのことです。 
いや、むしろやってもらわねば困る。俸禄に不満で反乱でも起こされたらもっと厄介です。実際に生活に困って盗賊に転身する元お武家さんは結構いたようです。

お武家さんの特技と言えばもちろん武芸ですが、町道場の師範というのもなかなかレッドオーシャンだったようです。それから空き部屋を貸す大家業。これもいくら金に困っているとはいえ、浪人や不逞の輩を店子として住まわせるのも、ちとキツい。
(高野長英も逃亡後そうやって江戸に潜伏できたとか。)

手っ取り早いのは農作物🍅。屋敷のすみで野菜や果物を作って売るといったことは、どのご家庭でもしていたようです。

それから観賞用動植物の栽培。
朝顔に鬼灯ほおずき、金魚の飼育🐟
おや?と思った方もいらっしゃるかと思います。朝顔市に鬼灯市、それに金魚。江戸の地場産業ですよね。武士の副業はやがて江戸町人の文化と一体になっていったのですね。

副業解禁。
終身雇用神話が崩れ、自助努力が求められる現代と、何となく通ずるものがありますね。

一躍、時の人へ

さて、恋川春町はこの時代のベストセラー作家(戯作家)であり、人気浮世絵師であります。つまりお武家さん、狂歌師、戯作家、浮世絵師と、いくつもの顔をもつマルチクリエイターでした。作家としての代表作は金々先生栄華夢きんきんせんせいえいがのゆめという作品でして、タイトルを聴いただけでも面白そうなのですが、こちら文・画とも春町のものです。

恋川春町「金々先生栄華夢」

「金々先生」とは作中の主人公、村屋兵衛のことであり、また当時は成金をくさす意味でもありました。毎ページ「金々先生○○をする。」といった書き出しで始まります。

ある男が目黒の店先で頼んだ粟餅を待っている間うたた寝をし、夢の中で大金持ちになって色恋も、やることなすこと栄華を極めますが、夢が覚めたら現実だった……ざっくり言うとそんな「夢落ち」のあらすじです。

これは中国の「邯鄲かんたんの夢」の故事をモチーフにした物語ですが、スマッシュヒットの理由は春町の描くかわいらしいキャラと、軽妙ながら皮肉の効いた内容、そして吹き出し💬のような構成です。絵をご覧いただくと、そう、今で言うところの「漫画」と「絵本」の中間的な作風なのです。

春町の挿絵付き物語は、表紙が黄色かったことから「黄表紙」と呼ばれ、このジャンルは一大ブームとなりました。他方では狂歌師としても名を挙げており、春町は時代を代表する売れっ子クリエイターとなりました。

この「黄表紙」というジャンルは、天明時代、子供向け絵本だった「赤本」と、その流れを継いだ「青本・黒本」とは一線を画す、「大人の読み物」としての地位を確立しました。と言いますのも、物語の内容が社会風刺や洒落、色恋を盛り込んでおり、子供には分かりづらいけれども、大人には明朗で痛快だったからです。画風も当時としてはコミカルで最先端をいっていたのだと思います。
やはり大人はコ□コ□コミックというより週刊モ〇ニングでしょうか。
(; ・`д・´)💦

おわりに

さて、酒上不埒さけのうえのふらちこと恋川春町は天明クリエイターのトップランナーとして時代の寵児となりますが、一転、不遇な末路を辿ります。

そのお話の結末は天明クリエイターたち(4)、で続きを。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

恋川春町の名は小石川春日町からとったものと聴いて、シャンプーハットの小出水こいでみずさんが「こいで」さんになり、最近「こいさん」になったのを思い出しました。
(´っ・ω・)っ



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