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臨時営業中のo3njiについて

突然ですが、今日は、娘の誕生日でした。
今日は、一日、お店のお休みをいただきまして、家族で過ごす時間をいただきました。
お客様には、ご迷惑をおかけするとともに、ご理解いただくことへの感謝を始めにお伝えしたいと思います。


さて、今回は、o3njiとして、私個人として、新型ウイルスの問題が急速に広がり、社会そのものが、Gallery Café3の周辺が瞬く間に変わっていく中、

店頭に立ちながら感じたこと、
考えたことを書きたいと思います。

はじめに、o3nji(おさんじ)について、簡単に説明させていただきます。
o3njiというのは、Gallery Café3(ギャラリーカフェスリー)のお菓子ブランドの名前です。

主人が営むギャラリーの中で、私がお作りしていたお菓子がo3njiです。
展示や作家さんにちなんでお作りしていたのですが、コロナの発生で展示をお休みすることとなり、
o3njiとしては初めて、「展示のない状態でのスリーのお菓子」を作らなくてはいけないこととなりました。

今までは、一番最初に、展示をしていただく作家さんのコンセプトなどをお読みした上で、何を作るか、何がふさわしいのかを考えてきたので、合わせるはずのパートナーのいないような状況でのお菓子作りは、本当に心細いものでした。

そして、もう一つ、劇的に変わったのは、(お客様にとっては、これは「劇的に」というほどではないかもしれませんが。)お店番をするようになったことです。
通常営業では、毎日店頭に立つことになるのは、主人でしたが、お菓子の販売ということで、作っている本人がご説明した方が良いとのことで私自身がお店に立つことになりました。


このような状態で、カフェのみでの営業、しかもお店の外でテイクアウトのみ、という条件付きでスタートした4月。

日々、いろんなことが頭を巡りました。
それを、一つづつ、これは、言葉にしておきたいというものを、これから書きたいと思います。

1。お家の近くにお店があることについて
地元の経済圏の豊かさ。
言葉にするととても堅い感じがしますが、つまり、住んでいるところの周りにお店があって買い物ができることって大切なんだってことです。新型ウイルスの感染拡大防止のため、外出自粛要請を受けることになっている今、公共交通機関の利用も控えることになっています。そのため、住んでいるお家から、歩いて、または自転車などでお買い物できる場所が近くにあることの大切さを一生活者として痛感しています。

高円寺は住宅地域と経済圏が近い、つまり、お家の近くに商店街があったり、スーパーがあったりするので、新宿や渋谷などの繁華街に比べたら買い物に窮することはなく助かっています。

o3njiをSNSなどで知って「地元の応援に来ました!」と言って、お求めくださる始めてのお客様が来てくださったり、ご近所に住む常連のお客様が必要なお買い物のついでに寄ってくださったりと、感謝せずにはいられません。

ご存知の通り、高円寺には小さな個人商店がたくさんあります。
o3nji含め、Gallery Café3もその中の一つです。

それぞれの店主が悩み抜いた上で、営業や休業、営業スタイルを変えている中で、給付金、融資についての情報や政策についての話題が飛び交うのも事実です。

きっとコロナの発生の前後で、街の姿が同じであるのは難しいでしょう。
私たち自身も、決して同じでいることはできません。
けれど、高円寺の街のにぎわいはそれぞれの店主の色によるところが大きいと思うのです。
あの人に会いに行こう、あの人に聞けば教えてくれるかもしれない、たわいもない会話に救われることだってあると思うのです。

o3njiとしてできるのは、この街に在り続けてほしいお店に、私がお菓子を売ることで協力することしかありません。

たとえば、酵母を起こすところから手間暇かけているのに、自分が嬉しい値段で売ってしまうleavenさんのパン。

たとえば、o3njiのポルボロンに入っている幸せのてんとう虫は、oneflowerさんから。

たとえば、3ブレンドを一生懸命に焙煎してくれているぐりこーひーさんの本当に美味しいコーヒー。

たとえば、コーヒークッキーのコーヒー豆はクラウズアートアンドコーヒーさんから。

たとえば、ありがと3(さん)セットにお入れしているキャンドルは、matogaさんから。

外出の自粛要請の中ではありますが、どのお店もオンラインで見ていただけます。
どうか、高円寺やご自宅の近くのお店をこの機会に知っていただきたいと願っています。


2。物理的な距離と心的距離について
今までGallery Café3は、通販をしてきませんでした。
それは、何よりも「作品を直に見ていただきたい」、「作家と出会って話をしていただきたい」という思いからでした。o3njiも同様に、展示を楽しんでいただくための仕掛け、としてお菓子があればいいと考えていましたので、お菓子だけをお届けすることはありませんでした。

けれども、自宅で過ごさなければいけない時間がどうしようもなく増えてしまったり、日々刻々と変わる中で疲れてしまって「あー!甘いもの食べたい!」となったり。

そんな時に、お客様にo3njiとしてお返しできるものは、やはり「3のいつもの味」しかありませんでした。コーヒーとともに、お手元の作品とともに、ウェブに公開している展示中の作品とともに、今は「おうちスリー」を楽しんでいただけるならo3njiも配送という形で物理的な距離を超えたいと思うのです。

もちろん、配送業の方に負担をおかけするのは、とても申し訳ないのですが。こちらについては、今後も色々なやり方を模索したいと思っています。


そして、こちらは、現在進行形で準備中ですが、オンラインにてトークショウや
「いつもの3」を感じていただけるセッッション企画を少しずつ準備しています。

「不要不急な外出は控えましょう」と呪文のように降りかかってくる生活の中で、
アートがどのような位置付けにあるのかは人それぞれでしょう。

それでいいのだと思います。

ただ、こんなことを言うのは大げさかもしれませんが、ヴィクトールフランクル著「夜と霧」にもありますように、アウシュビッツという極限の状況を生き抜いた人は「心の繊細な人」だったことを知っておいていただきたいと思います。

沈みゆく夕日の美しさに、心を留めた人。

ああ、きれいね。本当に。

こっちの水たまりにも、映っているわ。本当に美しい。

美しさに目を留め、感動できることの重要性は、人類は、もう既に学んでいるはずです。

作家も、ギャラリストも、鑑賞者も、このことを思い出さなくてはいけないと思うのです。

3。働くこととお母さんをすることについて
この一ヶ月、最も大きな命題は、これだったし、これを書いている今もそうかもしれません。

私が急にお菓子を作り続けるようになり、子どもたちの様子が変わってきました。
今日4歳になった娘は、お手洗いの粗相が増えました。
1歳をやっと過ぎた息子は、ひどく泣く時々が増えました。

そろそろ、主人とともに、「限界」という文字にどうしてもぶつかってしまうようになりました。

子どもにとっては、急に公園に行けなくなったり、行っても大きな子たちが溢れていたり、大人がイライラしたり、保育園のお友達に会えなくなったり、街を歩く人がマスクをつけ表情が読み取りづらくなったり、??????理解できないことが増え続けている日々なのだと想像しています。

私自身、この前台所で、ごねる子どもを相手に、「あー、戦時中のお母さんたちってこんな感じだったのかも。。。」なんて、手に入らない材料を恨めしく思ったりしました。。。

さて、話は誕生日の話題に戻るのですが、
うちの娘は「素」と言います。

これは、中村好文著「普通の住宅、普通の別荘」という本で紹介されていたスウエーデン語「enkel」の意味からとった名前です。

enkel(エンケル)の意味を紹介すると、こんな感じです。

スウェーデン語で「普通でちょうど良い」の意味。肯定的に使われる。

「simple」や「plain」という意味で、「convenient」や「useful」という意味もある。

スウェーデンでは「とても、良い意味で使われる」


日本語で訳すとしたら「素」という言葉にちょうどいいのかもしれないと思って「素」と命名しました。

ですから、一年に一度は、今の状態が「enkel」なのかを問いたださせるのが、娘の誕生日となるのです。

結果からお伝えすると、今年は、おかげさまで、今日いちにちは本当にenkelに過ごさせていただきました。

けれども、このコロナの問題が発生し、働き方にも、母としてのあり方にも、正直enkelな状態を保つことが難しくなってきています。それは、私に限ったことではないのかもしれませんが。

ただ、作る側の心が落ち着かない時に作ったものは、単純に美味しくないと思うのです。
子どもを怒りながら作ったものは、美味しいわけないと思うのです。

enkelを味わっていただきたい、というのがo3njiの根っこにはあります。

別に、どこどこ産の素材にこだわってます!というのでもなく、
全てオーガニックです!というのでもなく、
どこの国のホテルで研修したパティシエが作ってます!というのでもありません。

ただ、手に入る素材をできるだけ丁寧に選んで、できるだけ嘘のない状態でお作りし、心を込めて作る。
o3njiとして、できることは、普通のことしかないのです。

それが展示作品とともにお客様に届く時、お客様が少しでも楽しめたり、面白かったり、美味しかったら、それ以上のことはないと思っています。

ですから、とても言い訳がましくなりますが、
自分自身がenkelでいること、子どもに負荷をかけすぎないことがo3njiの品質保証になります。

営業時間の変更や、商品が少ない日があるかもしれません。
商品発送をお待たせするかもしれません。
お客様にご迷惑をおかけしているのは承知でのことです。

申し訳ありません。


けれども、働くことも、お母さんをすることも、
お店のお菓子を作ることも、子どものおやつを作ることも、
私にとってはどちらも並列で、同じ「生きる」ということに過ぎません。

今のところは。

どうぞ、今しばらく、ご理解の上お付き合いいただけましたらとお願い申し上げます。


生きる

谷川俊太郎 詩

生きているということ
いま生きているということ
それはのどがかわくということ
木漏れ日がまぶしいということ
ふっと或るメロディを思い出すということ
くしゃみすること
あなたと手をつなぐこと

生きているということ
いま生きているということ
それはミニスカート
それはプラネタリウム
それはヨハン・シュトラウス
それはピカソ
それはアルプス
すべての美しいものに出会うということ
そして
かくされた悪を注意深くこばむこと

生きているということ
いま生きているということ
泣けるということ
笑えるということ
怒れるということ
自由ということ

生きているということ
いま生きているということ
いま遠くで犬が吠えるということ
いま地球が廻っているということ
いまどこかで産声があがるということ
いまどこかで兵士が傷つくということ
いまぶらんこがゆれているということ
いまいまがすぎてゆくこと

生きているということ
いま生きているということ
鳥ははばたくということ
海はとどろくということ
かたつむりははうということ
人は愛するということ
あなたの手のぬくみ
いのちということ

こんなに長い文章を読んでくださいました方、本当にありがとうございます。
どうか、美しさに心を留めつつ、お元気で。


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