【「わかる」と「できる」】

(前置き)


人はどうやって新たな座標系/概念(→→思考体系)を「刻み付ける/植え込む」のか。つまり人はどう成長するのか?
人を育て、人を変えるとは、時に虐待とも思えるほどに苛烈な方法で他者に新しい概念を刻みつけ、時に愚直な農夫のように丹念に農作業に——田植えに、水の管理、雑草の除去に、害虫の駆除——勤しむというものだ。

(「わかる」、「できる」)


ご存じの通り、「わかる」は自分が理解していると考えるその各位に応じて、レイヤーが異なる。「できる」もまた同様だ。例えば、生徒は自分では分かっているつもりでも、教師から見れば彼は殆どなにも分かっていないことがよくある。

だから第一に重要なのは、「自分の理解は不足している」と気付いて貰うことだ、そしてそれに納得して貰うことだ。「納得」と言ったが、SNSやネット上のコメントにおいて見られる通り、自分の理解が欠けていたと感じたとしても、頑固にそれを認めようとしない輩が存在することを念頭に置いている。日常的に接する人もまた、どれだけ分かった振りを装っていても「意味わかんな〜い」「意味なくね?」「無駄じゃね?」とちっぽけな自尊心を保とうと、内心必死に抵抗している。ぼくが厳しい態度と固い語調を基本姿勢としているのはそういうわけだ(むろん時には、山下風ユーモア/アイロニーをふんだんなく唐突に披露している——むろんこれにも意味があったりもするわけだが)。態度の厳しさと生硬さは、「お前らはなにも分かっていないのだ。わたしはお前たちの理解していないものを理解している、ゆえにわたしの言うことを正しいと信じ、ひたむきにわたしから学べ」という支配/管理/強制/矯正の構造を生み出す。そしてこれは新しい座標系(聞き手/読み手が有していないであろう知覚領域——視点(座標)、捉え方(変数)、つまり畏怖や不安に繋がる謎)を刻み付ける/植え込むために必要な土台だ。

「わたしは分かっていないのだ」「わたしには出来ないことが沢山あるのだ」、こういう不安や不満から、成長への渇望が生まれる。また、「分からなくてはいけないのだ」「出来なければならないのだ」というある種の義務感から、人は自らを省み、自らを新たに形成しようと意志する。挫折のない人間は脆く弱い、挫折の経験こそが人を強く育むのだ、という物言いに似ている。むろん、挫折感ばかりではやるかたないので、ぼくは同時に目標を達成出来たらしっかり褒めて、少しばかりの休暇(少し態度/文体を緩ませ、内容にエンタメ的要素を設ける)を与える。そしてまた、本人の達成出来ない目標は、一対一で話をして下方修正に同意してもらう。

ともかく、話を戻せば、「先生と生徒」あるいは「教える側と学ぶ側」という関係に信頼感が必要だ(むろん両立場は固定的ではない、Kと山下も先生と生徒の立場を交換し合っているし、われわれの生徒が他の生徒に教えることもある)。生徒は教師の言葉を真実と受け容れ、教師は生徒の言葉を疑うと同時に彼の可能性を信頼し続ける。しかし人は実は他者を基本的に信じていないし、また自分に都合の悪い事実から目を背けようとする弱い部分が誰しもある。だから、少なからず支配/管理/強制/矯正の構造は必要であり、これを下地にぼく自らの知性と技量を用いて生徒を驚嘆させ尊敬を勝ち取ることで「信頼と信奉」が芽吹く可能性が生じると思う。この「信奉と信頼」は、いわゆる消費対象への——ミュージシャンとか芸能人とかへの——ものとは異なる。消費対象への信奉・信頼は、ある意味、自分に対して「快楽・快感」を与えてくれることに多くを依っている。しかし、それはやはり消費でしかない。人は消費からは何も学べない。YouTubeの学習系動画は「へえ〜」「なるほど!」「超わかりやすい」という刹那的な納得や理解を与えてはくれるが、結局だれもそれを体得しない。だが、ぼくは教師で、彼らに習得して貰わねばならない。teachという言葉は「仕組みを教える——なぜそうなるか、どうやって行うか」と「教え込む——できるようにさせる」という意での「教える」だ。一方、「情報の伝達の意での教える」はtellを使う。だからぼくは「ぼくはteacherですから答えは教えません。tellerじゃないからね。でも、ぼくは君らが自分で答えを出して出来るようにするだめの手引きを全力でしますよ」と偉そうに宣うのです。

だから、この「信奉と信頼」があってこそ、人はわからないことが分かるようになるし、出来なかったことが出来るようになる。きみが読書をするときもそうだし、ぼくに問いかけをするときもそうだ。ぼくもまた、読書をし学ぶが、この「信奉と信頼」という基本姿勢があってこそ、本物の魂の交流と陶冶/薫陶が実現する。そして最後に注釈として加えると、だが、完全に信奉してはならないし、やはり完全に信頼してもいけない。みんな違ってみんな駄目なのだ。

NO MONEY, NO LIKE