思い入れがありすぎる人物について。

幼馴染ーここではKとしようーは、運動神経が良くて、足が速くて、スポーツは基本何でもできて、決めたことには全力で取り組む人だった。
一方わたしは、運動が嫌いで、足も遅くて、臆病で、我ながら弱い人間だと自覚していた。
Kは、先生に対して反抗的なクラスの問題児だったが、ここぞという時に見せる本気の表情は真剣そのもので、
Kのことで散々手を焼いていた先生たちもそんなKの表情を見ればKを応援せずにはいられなかった。

Kと幼い頃から一緒にいる私は、問題児Kが引き起こすあらゆる問題に巻き込まれることも多く、それが嫌で、なるべくKと関わらないようにしようと心に誓ったこともあった。
しかし、そんなことを思った途端クラス委員で一緒になってしまい、同じ学校に通ううちはKに巻き込まれることは逃れられないなと悟った。

そんなKとの別れは思いのほか早く来た。
Kがスポーツで違う中学に行くことになった。
Kと関わることを避けようとしていたのに、いざ別れるとなるとめちゃくちゃ寂しかった。
私も、Kが見せる本気の表情に魅せられていた人間の1人だった。
幼馴染ということもあり、本気のKに引っ張ってもらうこともたくさんあって、その安心感は偉大すぎるものだった。

Kと別々の道を歩み始めてから10年近くが経ち、私もKも、春から新社会人になる。
2人とも、営業職に就く。
私もついにここまで来たかと思った。
小さい頃、Kに勝ちたいと思っていた。
Kに勝てば、強くなれる気がした。
運動やスポーツでは勝てないので、土俵を変えて勉強で。
だからとにかく勉強はずっと頑張ってきた。
別々の道を進み始めてからも。
今考えてみれば、土俵が違うので“勝ちたい”というより“負けたくない”の方がニュアンス的に正しいと思うのだけど、とにかくKの持つ強さが羨ましかった。
この4、5年は本当にいろいろあって、自分の弱さや愚かさに凹み、後悔に押しつぶされ、目的が見えなくなることばかりだった。
生きてる意味を見失うことも、
なぜ強くなりたいのか分からなくなることもたくさんあった気がする。
就職先を決めた時も、もっと楽な道があるのに、なぜか茨の道を選んでしまう自分に嫌気がさした。
それでも、“強くなりたい”という本能にできるだけ忠実に生きてきたつもりだ。
図らずも、Kと同じ職種に就くことは、今まで自分が歩いてきた道や選択を肯定してくれる気がする。

卒業という区切りの季節。
大学時代の行動の結果を目の当たりにすることが多く、
いろんな人にいろんな言葉をかけてもらうたびに、
この4年間の成長を実感できた。

今でも時々不安になる。自信がなくなる。
でも、環境は違えどKと同じ土俵に立てている事実は何よりも自信に繋がって、私は子供の頃より断然強くなったんだと、やっと本気で思える気がする。
そして何より、Kが同じ職種で働いているというのは何よりも心強い。
やっとここまで来た。
本気のKと戦えるくらい、私も本気で強くなるぞ。

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