まっすぐでいることと柔軟であることは違うよなって。

「社会人になって、多かれ少なかれ社会の理不尽さに直面することもあると思います」
卒業式で聞いた言葉。
そもそも社会が理不尽なのがおかしくないか?と思わずにはいられませんが、
私1人の力ではどうしようもないことなので、そこに抵抗するのは心の中だけにしておきます。

いつからか、自分の意見がないことに焦りや不安がありました。
大学生になって、いろんな人間を見て、話して、
「尊敬できる人間とはどんな人間か」「どんな大人になりたいか」ということを考えるようになりました。
見つけた答えは、











ある人は、とにかく自由人でマイペースだった。
仕事はちゃんとする、けど、休憩時間に入ったらお客さんから見える場所で堂々と昼寝をする人だった。
その人を見ていると、居心地が良かった。
見てるだけで居心地が良いなんてよく分かんないけど、
しっかり自分を持ってる感じがかっこよくて、
周りに流されない感じに憧れた。
その人が職場を辞める時に、最後にご飯行こうってなって、いろんな話をしてもらった。
「周りに流されない感じがかっこ良いです」って伝えたら、「ゆる〜く流されとけば良いのよ〜」って返ってきた。
この時はまだその意味がよく分からなかった。


ある人は、優しくて可愛くて、ずっとニコニコしてる人だった。
最初は少し警戒してたけど、そんな自分をぶん殴りたくなるくらい素敵な人だった。
嫌なことや面倒なことも、その人と共有することで乗り越えられた。
嫌だね〜面倒だね〜怖いね〜。そんなことを言いつつも、それはそれ、これはこれって切り替えて、基本的には前を向く。
その人が前を向いてくれるから、私も自然とそうなる。
近くにこういう人がいてくれる、その安心感は大きすぎて、優しさと強さはこうやって繋がるんだと知った。


ある人は、他人の意見を尊重できる人だった。
私が言葉に行き詰まっても、自分の中で整理する時間をくれた。
私が自分の言葉で伝えるのを待ってくれた。
自分の意見が尊重されていると思える時間だった。
熟考の末捻り出した私の考えや本音を“とある大学生の一意見”程度に聞いてくれている感じが話しやすくて、話すつもりがなかったことまで話してしまうことが何度もあった。
否定されるのが怖くて言えなかった本音や野望、それらにつきまとう不安やストレスが、その人に話すことで少し解消される気がした。
“尊重”って、単に「否定しない」ってことじゃなくて、もっと奥深いものかもしれないと思った。










強い人になりたいと、小学生の頃から思ってきました。
大学に入るまで、私にとって“強さ”とは“学力”で、
勉強を頑張ることで自分を成り立たせていました。
目標に向かって、もっと上に向かって、真っ直ぐ頑張る。
それができるのはすごいことだけど、ただ真っ直ぐなだけは想像以上に脆いのだと気付きました。
大切なのは、人の意見を受け入れて、時にはうまく流されるという柔軟さ。

芯のある人間よりも、土台がしっかりした人間になりたいというのが、大学時代のまとめ、そして大人のスタートです。

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