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満を持しての天満呑み、終電に乗って始発で帰る。

大阪で酒を呑もうと思えば、僕はたいてい梅田の駅前ビルに行く。梅田第1ビルから梅田第4ビルまでの地下は迷路が張り巡らされたような造りになっており、右を見れば居酒屋、左を見れば喫茶店、ちょっと進めば右にも左にも居酒屋があるといった具合。素面でいても、どちらに向かって進んでいるのかよくわからず、なかなか抜けられない迷路なので、目ぼしい居酒屋にちょこちょこ入りながら進んでいれば、なおさら抜けられなくなる。そして、大瓶を注文しても500円でお釣りが帰ってくるほどの大阪価格なので、ついつい何軒も梯子をしてしまい、けっきょく帰る頃には財布がずいぶん軽くなるのである。


という話をするたび、「だったら天満にも行ってみなよ」と言われるから、天満のことがずっと気になっていた。それで、いざ向かわん!と勇み足で京阪に乗り込めど、到着する場所は“天満橋”。なにかがおかしい。“天満橋”というからには“天満”にあって然るべきと僕は考えるのだけれど、これが大阪の罠。大変紛らわしいことに、“天満”と“天満橋は全く別の場所であり、”天満橋“から”天満“は徒歩で30分ほどの距離も離れており、しかも”天満橋“はオフィスビルばかりだから酒好きはあまり楽しめない。僕は1年前ほどにこの「天満・天満橋の洗礼」を食らってから、余計に駅前ビルばかりに行くようになってしまった。京都から天満を目的地に定めるには電車を乗り換える必要もあり、ちと面倒が臭いということもある。


そんな僕に好機が訪れたのは、2023年の3月某日。大阪に住む友人と谷町六丁目(通称タニロク)の居酒屋“スタンドそのだ”で酒を飲んでいた夕方のこと。天満に場所を移して酒を呑もうという話になり、僕はかなり浮き足立った。それでバーで2杯ほどやった後、電車で移動して天満駅で降りる。なんだか祭りみたいだと思った。細い道の脇には選びきれないほどあまたの居酒屋が所狭しと立ち並び、その景色はどこか東南アジアの屋台街を思わせる。まずはどこに入ろうかと眺めながら歩くだけで酔っ払った心地がしてきて、それぞれの居酒屋の中では仕事終わりのサラリーマンたちが陽気に酒を飲んでいるから非常に愉快だ。そして僕らは中華屋“上海食亭”に入り、小籠包と春巻きをつまみにハイボールを飲むなどした。


その後、“但馬屋”という大衆居酒屋に移る。店先にある看板曰く、大瓶が400円で頼めるので迷うまでもなくビールをいただき、出汁巻などの居酒屋定番メニューをちょいとつまんで次の“酒の肴や”に移る。タニロクから数えると5軒目ということもあり、ここまでくるともう何を呑んで何を食べたか、記憶が定かではないけれど、焼酎のお湯割を呑みながら魚ユッケを食べていたような気がする。そして、「ここ最後ね」と言いながら訪れたのは“マーカス“。レモンチューハイと燻製のミックスナッツで終電間際までよろしくやって、JR天満駅から大阪環状線で京橋へ向かい、無事に出町柳行きの終電に乗り換えて眠りについた。


目を覚まし、「寝過ごした、やってしまった」と反射的に電車を飛び降り、改札を抜けるとそこは“枚方”。枚方パークなる遊園地があることで有名な枚方は、京都と大阪のちょうど中間くらいの場所。目的地は終点の出町柳なので、ずっと乗っていればよかったものの、終電を飛び降りてしまったので、京都へ帰る電車も、大阪へ戻る電車もすでになく、挙げ句の果てにはなす術もない。まさに文字通りの「絶望」だ。酔っ払いというのは困ったもので、こんなことをしでかしてしまってもなお、朝まで時間を潰せる酒屋はないかと探してしまうが、日付が変わろうとしている時間の枚方駅周辺はしんと静まりかえって人っ子ひとりくらいしか見当たらない。タクシーで帰るなんてそんな金はないし、酔っ払いがヒッチハイクをするのもなんだか申し訳ない。タイムズカーシェアを見つけたけれど、すぐに酔っ払っていることを思い出して断念。ということで、歩きながら北を目指した。


枚方からひと駅歩くと御殿山という駅が見えてきたので、料金表であとどれくらいの駅を越さねばならぬのかと確認したところ、出町柳まで約20駅。今しがた歩いてきた距離があと20ほどもあるし、明日は朝からバイトだと考えると流石に心が折れてしまい、通りかかったコインランドリーに入ることにした。そして、村上春樹の小説を読みながら洗濯が終わるのを待っている人のフリをしたり、仮眠をとったりしていると時刻はあっという間に5時を過ぎる。そう、5時といえば始発がやってくる時間だ。そんなわけで僕はやってきた始発の電車に乗り込み、終電に乗って始発で帰るという珍妙な経験をしたのである。

表紙画像はGoogle Mapストリートビューより

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