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57歳のコーチと29歳のクライアントのふしぎな関係について


今日はライフコーチてつさんとのセッションでした。僕たちのセッションはいろんなところに移動しながら対話をします。約束の時間に車で迎えに行って、その日の気分で行き先を決めて、北九州市内を気ままにぐるぐるします。








今日はコーチの自宅近くのコンビニでコーヒーを買って、海釣り公園までドライブ、いつものラーメン二郎を食べ、橋を渡り海辺のカフェへ。


2人とも他県から来客があるようなワークスタイルをしているので、一緒に新しい地元の魅力を開拓するくらいの気持ちで、いろんな場所に遊びに行きます。


おしゃれなカフェを見つけてははしゃぎ、気持ちのいい散歩コースを見つけてははしゃぎ、美味しそうなパン屋を見つければはしゃぐ、陽気な2人です。僕たちのおもてなし力はこうして養われています。ぜひ、北九州へ。







同じタイミングで写真撮ってる


すぐ次に生かそうとする


おじさんとおはなし屋なおとの関係


昨日の話じゃないけれど、僕には「思考停止で延々と受け続けているサービス」が2つある。15年通っているヘアーサロンと、毎月受け続けて80何回目かのライフコーチングだ。


このおじさんは優しい顔をしているけど、実はとても優しい。でもただ優しいだけじゃない。謎の魅力というか、達人のオーラというか、「どのくらいの修羅場をくぐり抜けたらそうなるんですか?」的な空気がずっと漂っている。


僕はこのおじさんのサービスを受け続けることに一切の疑問を持っていないし、来年も再来年も一緒に二郎を食っているだろう。これは冷静に考えたらすごいことだ。僕とおじさんは父と子くらい歳の差がある。


現にてつさんの娘さんは僕の母校の後輩(入れ替わりだけど)だし、てつさんは僕の父よりも2コ上だ。本当に親子と言ってもおかしくないくらいの年齢差がある。


57のおじさんと29の青年が、やれサウナだやれ顔より大きいハンバーガーだ港のカフェにいる猫ちゃんだを見て、一緒にはしゃいでいる。友達として、コーチとクライアントとして、そして同業者として、同じ時間を共有して自分の生活に持って帰っている。不思議な関係だ。


なぜこの関係が成り立っているのか。おはなし屋なおとはなぜ父親ほどの年齢のおじさんに報酬を払い続け、毎月欠かさずセッションをしているのか。ここにおじさんのすごみというか、深さがある。


てつさんはとにかく人に好かれる


別に僕はてつさんが他の人と喋っているところをいつも見ている訳ではないけれど、おじさんの周りにはとにかくたくさんの人がいる。「そういえば最近〇〇県で〇〇をしている人と話したんですけど…」のレパートリーが尋常じゃなく多い。


僕の周りでもてつさんの話はよくするし実際に話をしている人は多いけれど、その比じゃないくらい「そういえば…」の後に出てくる人の種類が豊富すぎる。


僕とてつさんは1ヶ月に1回のペースで話しているけれど、毎回必ずと言っていいほど「濃い新キャラのエピソード」が出てくる。いやいや。だれやねん。その引き出しの多さはなんやねん。


そういえば最近YouTubeのコメントでも「僕もてつさんのコーチングを受けてますが…」ってコメントきてたな。知らん知らん!誰やねん!


てつさんに関わっている人の数が多すぎて、「僕もてつさんに関わってます」と声をかけられても全然親近感が湧かない。そのくらいてつさんと関わっている人は多い(ように感じる)。


親近感を感じない理由はもう一つあって、てつさんは圧倒的に「空気を消すことがうまい」ので、誰のどんな悩みにでもスッ…と寄り添える(だろうと勝手に思っている)。


おはなし屋なおとはクセつよつよマンなので「おはなし屋なおとと関わってます」というと隠れキリシタン的なつながりを作ることができるかもしれないが、このおじさんの場合は別だ。てつさんは僕と真逆の価値観を持つ相手とも容易に関わることができる。


人間的な相性で繋がっているわけじゃない。積み重ねた時間の上に2人の関係があるだけで、もちろん積み重ねられていると言うことはある程度の共鳴はあるのだろうけど、僕とてつさんの関係は僕とクライアントさんたちとの関わりとは少し種類が違う。



ネテロ、レイリー、トキ、テツ



てつさんは圧倒的自然体であるが、圧倒的にプロである。越えてきた修羅場の数が違う。ハンターハンターでいうところのネテロ会長、ワンピースでいうレイリー、北斗の拳でいうとトキだ。

ぜんぶいなすタイプ


ここまでくると得意とか苦手とかそういう次元の話ではない人を見ない。てつさんからいつ真顔で「生きとし生けるものすべてから学ぶのですよ」と言われても僕は驚かない。


というか現にてつさんは僕の2倍以上生きているのだから、同じ次元で話ができると思っている時点で考えが浅はかだ。


てつさんは僕がどんなことを言っても「うん、うん、そうだよね」とうなづいてくれるが、これは僕の話に同意したからではない。わかった上で踊らされていることも多い。


「そういえば3ヶ月前にこんなことを言ってましたけど、あれについて少し思うことが…」とスーパー時間差フィードバックがくることも珍しくない。そのくらい僕とてつさんとでは生きているフィールドが違うし、見ている時間軸が違う。


ユニークな存在でいるためにはユニークな仕入れが不可欠である


だからこそ僕はこのおじさんとの関わりを渇望している。親ほど歳の離れたコーチとここまでの関係を築けていると言う時点で、僕にとっては「圧倒的にユニークな仕入先を持っている」ようなものだ。


年齢がこれだけ違えば、生きてきた世界が全く違う。だから僕の意見に対する「私からはこう見えますよ」もとても鋭い。


つねに「世代間ギャップ」という視点が1つ追加された状態で対話が進む。「圧倒的違い」がもたらす異質な視点と気づき。コーチとしてこんなにオイシイことはない。


「おはなし屋なおと」が圧倒的にユニークな存在でいられるのも、インプットの時間がユニークだからというのも理由の一つだと思っている。


僕の原点はこの「自分の年齢ほど歳の離れたおじさんと延々と繰り返してきた対話」であり、普遍的でなく極めて個人的な感情がベースだ。だから人と被らない。


僕はてつさんとの時間をとても大事に思っている。「コーチングを受けているから自己理解が深まっている」なんて簡単な言葉では表現できない。




「この感覚は間違いねえな」と思えればなんでもいいのよ


この時間に価値があることをお互いが信じ、楽しみ、実際に料金を払い、毎月のように「この感覚は間違ってないな」と思いながら帰路に着く。


話している内容なんて取り止めもないことばかりだ。それでいい、それがいいと思えている自分がいれば、それだけで僕の商売は成り立つ。十分だ。


違う文化を生きてきた人間と、価値観を共鳴させ、時間を共有し、言葉を交わす。これでいいじゃないか、これがいいじゃないか。相手を満足させるために特別な何かをする必要はない。


「一緒にいて楽しい」と思えること、「この時間に価値がある」と信じられること。今の時代に生きる人たちはさ、そういう時間に飢えてんじゃないかな。


だから僕は今日も生きてる。生かされてる。対話に価値がないのだとしたら、おはなし屋なおとの商売は続いていないから。


というところを根拠に、僕はてつさんとの対話を楽しみ、この関係を誰かと結んでいきたいと思ったところから、ビジネスを始めたのです。


人と話すことが好きだからね、「おはなし屋」なのよ。対話は楽しいじゃない。それだけだよね。うんうん。


今日のところは以上です。てつさん!ありがとうございました!


追記 昨日の文章に感想くれた人へ


ありがとうございました〜!返事、書きたかったのですが時間が取れなくて明日以降書いていきます。目は通してますんで、少々お待ちを!


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