Hello, World of 30!
1994年3月17日木曜日、大熊健司はこの世に生を受けた。
そもそも「生を受ける」とは、どのタイミングをもってそうとするのか難しいところだが、大学時代に聞いた話によると、法律的には出生をもって「人」とするのが一般的らしい。
何一つ専門的なことなど学ばずに大学を中退した身分ではあるが、一応法学部に通っていたんだぞ、とここでアピールしておく。
今日は2024年3月17日。僕が生まれてちょうど30年である。
いやいや、正確にはこのnoteを投稿する時点ではまだ生まれた時間にはなっていないし、もっと言うならこれを書いてる時点では全然29歳である。
いわば今この瞬間は、29歳のロスタイムである。まあ、この文章を読む時間によっては既にあらがえない運命の中にいるのだが。
正直サッカーより断然野球派の僕は、サッカーを90分間フルタイムで見たことなど未だかつてなく、小学生の頃以来、一切情報が更新されていないので、未だにアディショナルタイムのことをロスタイムと言ってしまう。
一応、サッカーより断然野球派といったが、野球も久しく見ていないので、未だにフルカウントのことを2ストライク3ボールと言ってしまう。
まあこんな話はこれくらいにして、本題はなぜ僕が30歳になるということをここまで受け入れられないかである。
人生という長いスパンで見れば、30歳なぞまだまだ若造。いや、宇宙規模で見れば赤子も赤子である。
しかし、何事も大局的に考えることができない身も心も小さい僕からすると、これは一大事なのである。
30というと、なんとなく親子の年齢差の平均といった感じ。実際僕の母も、僕が生まれたときは30になる年であった。ということは、既に子段階では子供がいたわけだ。
当然僕の周りの友人も続々と結婚していき、子供を儲けている人も少なくない。
なるほど、大熊は結婚していないから焦っているのか。そういうわけではない。
結婚をしたり、子供を儲けたり、この行為自体に意味があるのではなく、この行為を行えるということに意味があるのだ。
パートナーや子供について真剣に考えるということはつまり、一大人であるということ。
恥ずかしながら、これまでまともに社会経験のない僕は、まだ一大人とは言い難いように思える。
なるほど、大熊はまだ一大人だと言えないことを恥じているのか。そういうわけでもない。
じゃあ何か。
それはズバリ、本当のところは全く焦っていない点である。
ここなんだよね!
なんかここまで長々と色々書き連ねてみたけど、正直なんも焦りがないんだよね。お笑い芸人なんて言う不安定なことをしてるのに。
ビックリっしょ?
まあもちろん普通に考えて、なんか29から30になるのってなんか嫌じゃん?だからそれくらいの気持ちはあるよ。
でも、正直、なるようにしかならないからね。
まあつまり何が言いたいかっていうと、俺に生まれてきてよかった!いえい!