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強い者が生き残るのではなく、生き残った者が強い

月2回のピラティスを始めて3か月が経った。
体重が限界突破したこと、以前お世話になっていたトレーナーさんがピラティス専門店をオープンしたこと、天下の石田ゆり子様がピラティスをやっていることなどが重なって、おそるおそる始めた。

何事もまずは3か月というので続けてきたが、体力も運動のセンスもない私にはかなりきつい。以前行っていた別のピラティス教室は、レッスン後に汗だくになったりしなかった。今行っているところは真冬でも下着の替えまでもっていかないといけない。

体型もそこまで変わってないしポーズもちゃんと取れないし、もうやめちゃおうかな。
根性なしの私はそんなことを思っていたが、先日のレッスン時に「小澤さん、背骨の柔軟性がだいぶ増してきましたね」と、美しいトレーナーさんに言われた。

自分としては全くそんな自覚はなかったので「え?」と言ってしまった。でも確かに言われてみれば、太ってからずっとあった腰痛を最近感じない。痛みというのは辛いときは気になって仕方ないけど、なくなると案外気づかないものだ。

「汗が出るようになったのも、体幹から動かせてる証拠です。きついポーズもだいぶ取れるようになってきましたよ」とも言ってもらった。
そういえば最近ポーズを取っているとき重りをのせてきたり、最初は両足でふんばっていたポーズを片足でさせられたりしていたけど、あれば意地悪じゃなかったみたいだ。

先月の私

今月の私。

足先にブロックを挟まされ、若干ポーズが不安定になっている。 

「次のレベルのポーズに進むと、最初は皆さん『出来なくなっちゃった、前までは出来てたのに』って言われるんですけど、次に進めてる、進化してるってことなんですよ。年明けからまた頑張りましょうね」とお見送りのとき励まされ、すっかり次のレッスンも頑張ろうと思っている自分がいた。

私の好きな言葉に「強い者が生き残るのではなく、生き残った者が強い」というものがある。

忍耐で耐え忍べという意味ではない。出来ないとき・調子が悪いときも起こるべき変化は起こっているし、その先に光があることを示す言葉だと私は捉えている。
スパッと美しい去り際を残すことも大事だけど、みっともないほど努力し続けた人が実は最後に笑う人だったりする。世界を見渡しても、歴史はそれを物語っていることが多い。

年末年始はおそらく暖房の効いた部屋で一升瓶を抱きしめて寝る日々になりそうだ。
それでも一応ピラティスで習ったポーズは家で復習し、私なりに精一杯あがき続けていきたい。